ようこそバーボンハウスへ  10/04/01(木)

(´・ω・`)やぁ

ようこそ、思うがままにへ。

このう●こはサービスだから、まず食べて落ち着いて欲しい。


うん、「嘘」なんだ。済まない。

エイプリルフールって言うしね、謝って許してもらおうと思っている。


でも、更新のワードを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない

「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい、

そう思って、このページを作ったんだ。


じゃあ、更新以外の注文を聞こうか。

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人生の分岐点  10/02/10(水)

今年で魔法使いとそろそろ僕もいい歳になってきたので、ちょっと人生を振り返ってみようと思います。

全部振り返ると長すぎるので、「ここが分岐点だったかなー」と思える箇所を見ていきます。

※ってかそれでも長くなりました。興味無い人はここらで戻るを押すべき!


最初の分岐点と言えるのはやはり高校入試ですかね。

当時の僕はいわゆる全国模試の偏差値で言うと61,2辺りでした。

そして高校の選択肢は、偏差値63ぐらいの所 or 偏差値51ぐらいの所、という何この差っていう2つ。

というのも、丁度僕の入試の年に、本命だった偏差値57,8ぐらいの所が普通科から総合学科とかいうのに変わり、

ここが一次試験のみで合否を決めるというスタイルを取る事になったからです。

落ちても後がある一次試験なので当然受験者も多く、倍率がかなり高くなってしまったのです。

試験前日に友人とエキサイトステージ94をやってたような僕が受かるはずもなく、前述の2択になったというわけで。

──そして僕はそこで偏差値51の方を選びました。

この頃はまだ大学へ進学するつもりでいたので、下の学校へ行って上位に入れば推薦入試で大学を受けられると踏んだのです。

せこいですね。

ただ、57の所が消えたせいで、その一つ下であるこの51の所は受験者が増えて激戦区になるだろうと言われていました。

・・・が、蓋を開けてみるとまさかの定員割れ、激戦区になったのはもう一つ下の高校でした。なんという幸運。

悠々と入試を突破、そして高校では思惑通り成績上位に陣取る事が出来たのです。


そのまま大学入試を迎え・・・となるはずでしたが、ここでもまた人生の分岐点となる選択がありました。

ゲームプログラマーになりたいと、専門学校を選んだのです。

理系の大学に行かなかったのは、将来の事なんて全く考えてなかった高2進級時の選択で、

単純に得意だった文系のコースを選んでしまっていたからです。

親にはかなり反対されました。大学は行っておいた方が良いと。

お金も大学用に積み立ててたのがあるから気にするなとも言われました。事実ちゃんとお金はあったのだと思います。

ただまぁ、気にするなと言われても気になってしまうのが実際のところで(口には出しませんでしたが)

専門学校選びにしても学費が安めの所を選んでいました。

今思うとほんっとーに子供が考える余計なお世話ってヤツですが、当時は気になって仕方なかったのですよw


で、結局そのまま専門学校へ進み・・・と、これが本当に大きな分岐点だったと思います。

コンピュータの専門学校、それもゲームプログラマーのコースです。

一般人の道から足を踏み外すには十分過ぎる環境です。
(参考:専門学校体験記

そしてそこから就職活動となったわけですが、ゲームと全く関係ない所に就職が決まりました。(今勤めてる所)

これはちょいと学校選びがマズかった点もあります。僕達がゲーム科第1期生だったのです。

つまりこれまでのノウハウってのがない。

ゲーム系の就職活動には、一部の大手を除いて何か自分が作った作品を持っていかなければならない所が殆どでした。

つまり1年生の時に何でもいいから何か作品を作っておかないと駄目なのですが、そういう授業は無かった・・・どころか

そういう作品が必要となるって事すら実際に就職活動が始まるまで知る事が出来なかった。

なのでそもそも応募が出来ないところが殆どだったのです。

僕の知る限り誰一人ゲーム系企業への就職は決まらなかったところから考えると、やはりカリキュラムに問題があったんだと思います。

ただ、それでも僕は就職が決まっただけ幸運でした。

2000年という世はまさに 就職氷河期時代 って中での就職活動だった割に、大した活動はしないまま決まったんですから。

って言うかむしろ凄く大変という噂のゲームプログラマーになってたら発狂してたかもしれませんね。
(あくまでこの学校はゲーム系への就職という点でマズかっただけで、その他普通の就職サポート等はしっかりしていました)


で、その後はそこにずっと勤めているわけですが、さらにもう一つ大きな分岐点がありました。

それが、東方Projectとの出会いです。

東方が何かっていうのはリンク先見てください。ここでは割愛します。

どう分岐したかと言うと、これまでは足を踏み外した程度だったのが物凄い勢いで一般道から外れました。戻れない位に。


その頃僕は東方に凄くハマリ、その内ちょくちょくと他の人のプレイ配信を見に行くようになっていました。

VIPで実況が禁止になり、なん実Vに実況民が流れていった丁度その境目辺りの話です。
※何の事言ってるかさっぱりな人はもう読み飛ばして下さい、この後も何言ってるかわからないままです、すみません。

なん実Vに移行してからは常にスレが残るようになり、より見に行く機会が増えました。

そして、僕もいつの間にか配信する側になっていったのです。

今はどうか知りませんが、当時の弾実スレは一人で200レス以上する事もあったり等酷い過疎で進行が遅く、

スレ全体が一種のコミュニティみたいになっていました。

そんなスレで完全に住人の一人と化していた僕は、段々他の配信者達と横の結び付きが出来ていきました。

そうしてその頃知り合った配信者達とのチャットの集まりが、とっくにスレを去った今でも続いています。

丁度3年程でしょうか。

2chに出向いて東方の配信をやるような人らの集まり・・・

その中に3年も居たのです。

道からズレる勢いも加速するってもんですよ。

抱き枕を買いまくったりフィギュアを買ったりエロゲを一杯買ったりするようになりました。

最近ツイッターを始めましたが、これも一人だと恐らくやってなかった・・・

いや、やってたかもしれませんが、botと戯れてうへへへみたいな使い方はまずしなかったでしょう。

なんとも楽しい人生になりました。


・・・と、長々と振り返ってみましたが、何故急に振り返ってみたくなったのか?

そこを補足しておきす。

丁度今、『第7回東方シリーズ人気投票』が行われているのです。

そこで”ほおずきみたいに紅い魂”に一票いれた時に色々思うところが出てきましてね・・・

もはや感慨深い曲ですわ。

ちなみに投票は2/13迄らしいので投票したい人は急いでね!


「感謝するぜ 東方と出会えたこれまでの全てに」


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