Lost word


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08/29【意思が交差する条件】
 ある何かの意見があり、それに対しての反論があったとします。 さらにその反論に対しての再反論の手段に「○○とは言ってないのに勝手に判断するな」とか「その時の僕の気持ちが判るか?」 といったように相手の無責任さを非難して言葉そのものを封じてしまうといったようなやり取りをたまに見かけます。 例えばその手段を使うのが私の対話相手だったとしたら、確かに効果はあります。 もちろん、無責任さを反省して意見を持つことを恥ずかしいと思うからではなく、 大概の場合、対話をする気力を奪われてしまうからです。 それ以上進めてもお互いに有意義な時間が過ごせるとは思えない。 問題の本質は何かを見極めることなく上げ端の取り合いに終始してお互い不愉快になることが目に見えていますから。

 私と君は対話をしている。そして人類はニュータイプに革新したなんて話は噂にも聞かないです。 ならば、私と君との意思を疎通するのは言葉以外にありない。 君の感情も君の伝えたい意見も口にするから初めて私に伝わる可能性があるのです。 説明してもいないことを「判るか?」と問いかけてくること自体すでに怠慢でしかありません。 また、誤解が生じたなら解く義務があるのも発言者です。まずは自らの説明不足を疑るべきでしょう。 結局、湾曲されて困るもの自分ですしね。

 もちろん対話である以上、意見に対する責任は両者にあります。 だから私は私の意見が(実際にはほとんど不可能だろうけど、なるべく)私の意図した通りに 伝わるよう努力したいと思っています。そしてそれを対話相手にも求めたいのです。 少なくても真面目な話をしている時は。

08/28【罪悪感のないタブー】
 ちょっと前の話なのですが、妹が職場で書類をまとめる仕事を任されていたことがあります。 妹の職場のノートPCは数ヶ月前の日記で触れたように妹が大破させてしまいましたので 代わりにディスクトップPCが支給されたらしいのですが、そうなると終業に間に合わなかったら 自宅に持って帰って気軽に続きをするということができなくなってしまいました。 もちろん家には私の所有するPCがありますがofficeなんて入っていませんから、 仕事が終わらなかった場合、妹は友達(のPC)を頼って出かける他ありませんでした。

 そんなある日の妹に、特に悪びるでも無く「兄ちゃん、このCD焼いてー」という言葉と共にoffice xpの インストールCDを手渡されました。親切心(?)で妹の友達が貸してくれたようです、多少の悪知恵と一緒に。 妹はPCに関しては、「ディスクトップにショートカットが無くいからエクセルが立ち上げられない」と人の仕事中に電話で 助けを求めてくるくらいの無知なので(←この状況すらも要領を得ない説明から何とか察したわけですが) CDさえあれば万事が簡単に解決すると思っていたのでしょう。さて、どうしたものかなー。

 問題なのは、行為に対してまるで悪意と罪悪感を感じていない、というか感じるべきであると知らないことで、 そういう人に説明して納得させるのは結構大変なのです。 なまじ知識を持っている者の言葉は知識が無い者にとっては(私が信用されていないことも手伝って)胡散臭く聞こえるという部分もあります。 しかし、私もソフト屋さんの端くれですから進んで違法コピーに手を貸す気にはなれません。 結局「もちろん兄はofficeを作ったMSの人間ではないけど同じようにソフトで飯を食っているのだから、 自分がお金を出さないで手に入れたアプリケーションが簡単に手に入ってしまう土壌ができると、 廻り回って自分の首を絞めることになるのでCDは焼いてあげられないし、まして兄のPCにインストールするわけには いかないよ」という話を噛み砕いて説明しました。融通利かないなーくらいには思ったかもしれませんがとりあえず妹は引き下がってくれました。

 んでも、次に同じような場面があったとして罪悪感を感じてくれるか?といったら多分NOでしょう。 罪悪感は生理的な何かの感情の裏返しだと思うからです。怖いとか恥ずかしいとかカッコ悪いといったような。 nyの悪用もそうですが、悪いとされているから頭では悪いと選別できるけれども感情の変動を持って悪さの根拠にできないようなものは モラルに頼るか罰でしか抑止になりえないので根が深いです。

08/27【ネットって】
 まあ、プログラマなんて仕事をしている私といえども友人の中には今だにネット興味無し!なんて人がいます。 彼に言わせれば「必要無いじゃん」の一言で終わってしまいますし、逆に「ネットって何に使うの?」などと問われたりします。 私自身にしてもインターネットが世の中に普及しだした当初から興味があったわけでもなく、 ほんの数年前までは彼と同じ意見でした。職業的な面での必要性はある程度認めていましたが、プライベートの時間をネットに費やす必然性は感じていなかったのです。 もっとも当時は今よりも斜に構えていたのでニュース的なもの全般にあまり価値を見出していなかったのですが。 TVにしても新聞にしてもゴシップ感が強くて、進んで追いかけることを低俗に感じていました。

 「何故ネットをするか?」もしくは「ネットを何に使うか?」という問いに 今の私が答えるとするならば、その返答の1つは常識の再構築であると言えます。 自分の持っている常識や良識といった観点は、それを構築した時には確かに正しい認識であったとしても絶対ではありません。 本来の意味が複数人における意見の平均という外側に委ねた物差しである以上、月日の流れに乗って変化したり、新しい概念によって破壊されたりします。 昨日今日のズレは大したことがなくても油断していると(本人にしてみれば)ある日突然に非常識の蔓延る世の中になっていたりするわけです。 「俺の若いころは云々…」なんて説教は昔の常識にして今の非常識が語られていることも少なくありません。 で、こうしたズレを意識的に減らそうとするなら、ある情報を取得して吟味して自分なりの意見を持ち、 その上で人の意見を参考に試行錯誤するというプロセスが効果的で、その意味ではネットは格好の舞台だと思います。 語ることを許された一部の人間が発する大声という半ば押し付け気味のメディアが語る常識より、一般人という名の、しかし確かに等身大の人間の意見が溢れるネットの方が 常識を求めるに相応しい所であろうと。

 とか、書くと日和見と誤解されそうですが、常識はあくまで常識で社会と馴れ合うために必要なスキルのようなものです。 だからこそ時代に合わせて変化させていくのが妥当だと思います。 そして今現在の世間で通用する正しさを念頭に置きつつ、自分なりの信念とかスタンダードといったものを 構築していけばいいし、主張する範囲を判断すればいいと考えます。 何にしろ、自分内常識を信じて疑わないことが一番カッコ悪いです。

08/25【見所】
 毎月21日に発売するマンガ雑誌に「 電撃大王 」というのがありまして私のチェックリストに入っています。 チェックというのは「読む」行動を指しているので毎月購入しているわけではありません。 そもそも「あずまんが大王」という四コママンガを書いていた人の新連載「よつばと!」が始まってから 読むようになったのですけど、他の作者の人には本当に申し訳ないことに「よつばと!」以外の連載に興味が持てないのです。 うーん、平たく言うなら他がつまらなくて1作品読むためだけに雑誌買う気が起こらないということなのですが、 その辺は個人の感性の問題で、単に私のヲタアンテナが老朽化して感度鈍っただけかもしれないので 実は次世代を担う萌えマンガがひしめいている可能性も否定はしません。 凶器になりそうな厚さと大きさを誇っているので近所の本屋で買わないと持ち運びが非常に不便である点も 購入意欲の減退に一役かっています。

 んで、まあ、アレですよ。「今月も立ち読みですませようかなー」と思って本屋に行ってみたら 特別付録とかいって独り者でも置く場所に困りそうな女の子フィギュアが付いてるじゃないですか。 付録内容自体は私にとってはどうでもいいのですが、 そうすると盗難防止用にヒモで縛ってあったりビニールに覆われていて立ち読みできないのです。 「これは一大事だ」と思って他の本屋にも寄ってみたのですが例外は存在しませんでした。 しかも微妙に値段高いし今月分は単行本まで諦めるしかないかなー。 いや、これが ステルス性などまるで無視した派手な着色の口有りロボット フィギュア付き!とかだったら普通に購入してましたけどね。もしくは惰性で読めるような次点の作品が1、2つあればもう少し違うんですけど。

 ちなみに「よつばと!」は、そんな困難な環境を克服しても読みたいくらいお勧めです。 日常風景(っぽいけど実際はそんなこともない)ところからネタ引っ張って来て上手い具合に加工して 読者に面白いと感じさせるセンスはすごいです。27日に単行本1巻が出るので未体験の人は私に騙されてみてください。

08/23【灰色のマック】
 毎日、同じ場所で同じ面子と働いていると何が困るって昼飯のレパートリーです。 特に華やかさとは無縁な人種の集う職場だと基本的には年中ずっと安定した5、6店をローテーションしているなんて ことが多いのではないでしょうか。 「今日は何食べるー?」とか問われたって正直どうでもいいので 誰も意見が無いなんてことも少なくないです。 私にしても天下の東京23区内で働いているのだから食い物屋なんていっぱいあるわけで、 色んな情報に目を通して話題の店を探してみるなど 少し拘りを持てば結構楽しいランチタイムになるのではないかなーとは思うのですが、 どうにも実行するほどの遊び心が足りないのが現状です。 そんな状況を打破すべく昨日は同僚の誘いに乗って開拓の旅に出かけました。 「赤坂見附のマクドナルドに行こう!」

 「はぁ?マクドナルドが開拓?」と思った人もいるかもしれません。 実は私も昨日はそう思っていのですが、 目的地に近づいた時、見えてきたのは見慣れた赤と黄色の看板ではなく灰色の中に黄色のMの文字でした。 連れて行かれた先は「マクドナルドダイニング」という マクドナルドの高級志向店だったのです。 内装は落ち着いたシックな雰囲気でまとまっていて ベレー帽の店員さんが迎えてくれます。とても60秒キャンペーンやってますか?なんて聞ける空気ではありません。 全体的に割高なお値段でその分普通のハンバーガーが食べられるといった感じです。 雰囲気に呑まれ、 初めてセレクト型のコーヒーショップに行った時なみに混乱した(基本的に田舎者気質の)私は セット物を頼んで難を逃れましたが、ハンバーガー、オニオンリング3個、サラダ、アイスコーヒー といった組み合わせで700円でした。肝心の味は取り立てて絶賛というほどではないけど「あー、ハンバーガー食べてるなー」って実感できて悪くないです。 マクドナルド初心者の頃は店内で食べると一度くらいはゴミ箱にトレーごと捨ててしまうといった経験をすると思うのですが、 ダイニングではサラダも飲み物もガラス製の器で出てくる上に全体が陶器の皿の上に乗っているので 非常に危険です。…と思っていたら席にそのままにしておけば店員さんが片付けてくれるようです。 ああ、一安心(←どうやって片付ければいいのだろうと目が泳いでいた奴)

 んん、そんなわけで全体的には好印象でした。 ただ、例えばモスバーガーが調理に手間を掛けたり独特のソースとトマトを挟むことで モスバーガーらしさを出しているのに対し、マクドナルドらしさって 安さとか速さとか申し訳無い程度のハンバーグとか、後、ドナルドなど の印象しかないんですけど、そういうのをある意味で否定してしまっている ダイニングはどの辺がマクドナルドなんだろう?という気がしないでもないです。

08/22【更新再開したと思ったら早速グチを溢す奴】
 言葉はいつでもどこでも同じ印象を聞いている者にあたえるとはかぎりません。 例えば、つい最近ネットで騒動になった出来事では 「お客様は神様です」という言葉がキーワードとしてありましたが、これなどは極であると言えるでしょう。 受け手として考えた場合、奉仕する側(店)がこの発想と発言をするなら、謙虚とか献身といったサービス精神として好意的に捉えることができますし、 奉仕される側(客)が常識として神様のごとく扱われることを要求するなら、 傲慢とか横暴といった卑しく悪い印象を抱いてしまいます。 同じセリフを吐いたつもりでも、発言者の立場の違いがまったく正反対の印象を与えてしまうのです。 だから、誰かから聞き知った時には好印象を受けたフレーズであっても、 自ら発して同じ効果を得ようと思うのであれば、 ひと呼吸して、空気を読み、状況を把握するといった姿勢でTPOを見極めることが必要になります。

 8月中旬といえば世間はお盆休みなわけですが、結局私は仕事に追われて日曜日1日しか休めませんでした。 普通の平日進行だと思えれば問題無いのでしょうが(実際には年中行事上の問題はあるけど)人が休んでいる時に休めずに深夜まで働いていると 気持ちが滅入ってくるものです。そこに追い討ちを掛けるようにタイトなスケジュール組んだ 元凶がこんなことを口走りました。「好きでこの仕事(職種)やってるんだから仕方無いだろ」 そりゃ、まあ、その通りなんですけどね。そのセリフは私らが口に出すからこそ、美徳であり慰めになるのであって、 アナタが口に出したら受け手には不満を爆発させる火種にしかならないことを気づいてほしいものです。 良い意味でも悪い意味でも人の顔色を伺わなくていい環境(地位)ってのは 便利さにあぐらを掻いてしまうと本当に鈍感になってしまうようですし、 私らに本音で嫌われていることが偉い人にとってマイナスに作用するわけでもないですが、 ちょっと気遣えば改善されることなら好き好んで嫌われる必要性も無いですよねー。


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