Lost word


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10/29【そんな季節】
 お昼によく行く某チューン店は今だに氷を入れたお茶が出てきますし、 西部新宿線は「窓を開けて涼しい風を…」なんてアナウンスで換気を呼びかけています。 そして、私の部屋には暖房器具が出ていません(故障中)
何だかピントがずれてしまいそうですが、 それでも、最近の冷え込みは私に季節の移り変わりを実感させると同時に冬という空間を思い出させるに十分な効果があったようです。 (そう言えば、巡回先でも寒さネタが多かった気がします)

 で、この季節になると感傷から孤独を感じたり、人恋しくなったりするのは人間の性かもしれません。 かく言う私もついそんな気分になっていることに気がついて苦笑したりしているんですが、 ふと矛盾を見つけて考えこんでしまうのです。

 んー。ここ何年かはずっと独りで生きてますし、別に無理をしているわけでも無くこの先も独りで生きていけるような気がします。 大事だと思われる決断も全て自分自身で決めて(流されて)きましたし、癒しの必要性を感じたこともないです。 もちろん、広義な意味では人は一人では生きていけないわけですが、私自身は安心感をくれるような存在、寄りかかれるような存在を特に必要としていないのかもしれません。

 つまりは判別の難しい話なのです。はたしてどちらが錯覚なのやら…。

10/28【朝は静かに…?】
 世間一般では電車の中で携帯電話を使って話す行為は認められていません。 その理由とされている医療機器云々の話はどうも後から取ってつけたような気がしますが、私には真偽を見極めるだけの知識が無いのでおいておくとして。 どうもよく判らないのですけど、2〜3人で会話してるのと携帯で話てるのはどこが違うんでしょう? 声の音量が同じならどちらも耳障りなのは同じ筈なんですけど。 むしろ、多人数での会話の方が煩いような気がします。 推測するに、聞く気有る無しに関わらず内容が理解できるなら耳障りと認識する確率が減るのかもしれません。 当然、携帯の会話は半分の情報しか得ることができないわけですから、傍で聞いている分には理解不能です。 それが不快を演出してしまい注意されるような状況を作り出しているのでしょう。

 んーと、今朝は最悪だったのですよ。片道50分の通勤、座席に座れたまでは良かったのですけど 隣のサラリーマンは小声で英会話のテキスト朗読してるし(小声というのはある場面では大声より耳障りです) 正面のおじさんは、私の顔の数cm前で忙しなく新聞捲ってるし、その隣の兄ちゃんの耳からは勢いよく重低音がだだ漏れていました。 そんな中で考えていたのです。「あれ?そもそも電車ってのは静かにしなければいけない場所なんだっけか?」と。 これだけの雑音と認識できるものが席巻しているなら携帯電話だけ槍玉に上げられる根拠が解からないです。

 いや、本当は問われないことが一番良いんでしょうけど。ガチガチに規制されたら息苦しくてかなわないですからね。 やれることと言えば、自分を棚上げしないように気を配ることのみなのかな。

10/24【会社ゴッコ】
 んーと、あまりにも利に適わない話を聞いてしまったのでまとめ方に困ってしまいました。ので、今日はただの罵倒(?)です。

【あらすじ】
 ある開発系の会社に、転職したてで張り切っている営業さんがいたそうな。 なんとしても初めての仕事を取りたかった営業さんはほとんど無謀ともいえる値段と期間の仕事を受注して来てしまいました。 金額は80万円、期間は2週間、肝心の仕事内容は私の見立てたところ、それなりの経験と知識を持った人間が最低3人は必要なものです。 基本的には社員が受け取っている給料の倍の稼ぎがないと会社の経営は成り立たないといいます。 実は2週間という期間自体がかなり無謀なのですが、さらに営業さんも含め4人を期間内拘束するのは80万円では難しいです。 結局、現場に涙を呑んでもらうということで、開発は2人でやることになりました。 ところが、ここで営業さんはヘマをしてしまいます。 なんと、手違いで80万円の契約が30万円になってしまったのです。 しかし、契約してしまったからには前に進むしかありません。 今月末の納期に向けて現場は嵐のようになっています。皆、必死です。 そんな中、彼は言うのです。サワヤカな笑みと共に。
「この仕事、私絶対にやり遂げたいんです!!」

 あー、書いてて悲しくなってきました。新人ならともかく30歳過ぎた親父が言うセリフじゃないです。 30万ではすでに仕事にはならないんですよ。2週間3人分の給料にもならないんですから。大赤字を目の前にして心意気を語っても誰も関心しません。 私は過去何回かこんなセリフを聞いた覚えがあるんですけど、大体、この人達は何を「やり遂げた」気になれるんでしょうね。 実際には時間張るのも、苦労して開発するのも現場なわけですから、便乗して何かを作りあげた気になろうなんてのは凄く不愉快にしか聞こえません。 いや、100歩譲って営業の役割をやり遂げた気になりたいのだとしても、前述の通りすでに破綻しているわけですから、 耳障りの良い言葉を口にして酔っているだけにしか思えないのですよ。自覚無いんですかね。

まあ、金額もそうなんですけど、こんな出来事が起こって、尚、現在進行形な会社ってのはいい歳した大人が集まってオママゴトしてるようなものですかねー、ああ、もはや他人事で良かった。

10/23【理解】
 子供の頃「勉強は誉められるためにするモノじゃない」とか諭されたことはありませんでしたか? このセリフは誉められる程の好成績を取ったか、誉められる程の努力をした子供がいて、それを見て関心した誰かがその子供を誉め、さらにその出来事を発言者が知ったときに発生します。 私自身はすでに初めの方の定義で外れてしまうような子供時代だったのであまり縁のないセリフでしたが、たまに耳に入ってくる度に「どうして?何が悪いの?」と疑問に思ったものです。

 実は今でも思うのです。「誉められるために勉強したってイイんじゃないの」と。 まあ、セリフの意図は解ります。「誉められなくなったらやらないではダメだ。勉強は自分のためにやるモノだ」などの正論が並ぶのでしょう。 でもねー。何が自分自身のためなのか?なんてその時が来てみないとわかりません。 実際、学習した知識が役に立った場面か、逆に知識の無いことを後悔するような場面に遭遇して初めて認識できることのような気がします。 切実に感じられるような状況は、やはり、自分の持っている能力だけで生活するようになってから訪れるわけですが、 その時には勉強に費やせる程のゆとりを作り出すのも難しく、本来、それに割り当てられていた筈の時間は遠い過去と化しています。

 で、まだ実感できないようなことを理由にするよりは、誉められたいから勉強するって方が立派な励みになるんじゃないかなーとか。 この場合、必要なのは過程や動機ではなく結果でしょうから。 それに、認めてもらいたい人が居て認めてくれる人が居るという関係は素晴らしいことだと思いますし、改善を要求されるようなものではないでしょう。

 や、もっと勉強しておけば良かったなーという話なんですけどね。…数学。 (プログラマーが数学ダメってどうなのよ?とかいう質問は受け付けません)

10/19【お疲れモード】
 「事実は小説より奇なり」という言葉があります。私は通勤の途中で地下鉄を利用しているのですが、おとといは目的地と逆方向の電車に乗ってしまいました。 さらに昨日は帰りの電車で2駅乗り過ごしました。そして今朝は1つ手前の駅で降りてしまいました。
んー。2ヶ月近く同じ経路を使っていながら今更何をやっているのでしょう?

 地下鉄のホームは何所も似たような景色ですし、この3日は薬で風邪を誤魔化しながらの出勤だったので連続して間違える要素はそれなりにあったのかもしれません。 これが小説の1ページであったなら今頃は作者の構成の安易さを嘲笑しているところでしょうが、現実にやってしまうと苦笑いしかでてきません。 架空の中で演出すると業とらしくなったり、ウソ臭く見えてしまうことが実際に起こってしまうとは不思議な体験ですよね。

 …不思議なのは私の頭か。というわけで4度目の悲劇が起こらないように早目に休ませてもらいます。おやすみなさい。

10/18【タイミング】
 どうも「私は欠陥人間だなー」と思わずにはいられないのですが、最近は新しい環境、新しい人間関係の構築の過程で人の敬称や話言葉をいつまでも変えることが出来ずに困っています。 右も左も解らないような状況では、年齢、スキル、地位の上下に関係なく「さん」付けと敬語で対応することが無難です。 特に今回、私は初めは短期のお客さんのつもりだったのにいつの間にか就職という話になってしまったので一定以上の距離を保って1ヶ月を過ごしてしまいました。

 で、敬語ってのは本質的には他人行儀なものですから深く打ち解けようと思ったら障害になってきてしまいます。 普通の人ならあるタイミングで自然と変えられるものなんでしょうけど、私の場合、どうも業とらしく感じてしまって切欠を掴めないんですよねー。

 まあ、表面上は丁寧な対応をしているわけだしそのままでも良いのかもしれませんが、他人行儀の中に自分の居場所と見出せるのか?と取られたら結構疑問なわけで。 過去を振り返ってみても、この辺に失敗の理由が多いような気がします。 無理にこじ開けようとするなら徒労でしかないと思うし、そういった努力はまったくする気も無いのですが、開かれている門戸なら自分の不器用さを理由に閉めてしまわないようにしたいものです。

10/17【今日の私は偉かった】
 久しぶりにマジ風邪を引いてしまいました。現在、喉と胃でウィルスが猛威を奮っており熱は38度を超えています。 しかしタイミングが悪いのです。入社17日目、まだ信頼も有給休暇無いこの状態では休むに休めません。 新しく月末納期の仕事も振られてしまったので時間的な余裕も無いし、今週は土曜が通常出勤と八方塞がりです。 なんとかバファリンとルルで騙し騙しやってます。

 たまに、風邪の原因を体調管理に求めて「社会人としての自覚に欠ける」とかいう結論に持っていく人がいますが、これってどうなんですかね? 確かに私は社会人としての自覚には欠けてますが、それでも今が休めない状況にあるのは判っていますから進んで苦しい思いはしたくありません。 「うわ、何か風邪引きそうだぞ」という感覚があったところで回避する手段があるわけじゃないし、 引いてしまってからは症状の緩和はあっても早期回復は無いです。 どちらかと言えば災難ですよね。台風などに例えるとイイかもしれない。 備えがあれば被害を多少食い止められるくらいで、来るとなったらその進路は変えられないし、通り過ぎるまでは耐えるしかないのです。

 そう言えば、昔、某マンガで「休むのは仮病に限る。体調が悪いときに休んでもどうせ何もできないのだし、それなら出社し同情を買って何もしない方が良い」なんてセリフがありました。 私も本来はそんな感じなんですがねー。

10/14【歪んだ視界】
 使い捨てコンタクトレンズの残りが無いことに気が付いて(と言うより金が無くて2週間使い捨ての最後のひとつを1ヶ月半程使っていたのですが)最寄の店に買い物に行って来ました。 コンタクトは去年、今まで騙し騙し切り抜けて来た運転免許の更新が、とうとう眼鏡無しでは難しくなってしまったので仕方なく使用を決意したのですが、今ではすっかり馴染んでしまいました。

 ところで、私は免許更新直前の少なくても1年くらいはボヤけた空間が当たり前の世界の中で生きていました。 駅のホームで電車の時間を確認する時も睨むように凝視してやっと判るような感じだったので、視界から得る情報がかなり制限されていたのだと思います。 コンタクトを使うようになって久しぶりにクッキリした視界を取り戻した時は、あまりの情報量の多さに処理が追いつかず頭がクラクラした覚えがあります。 拾う捨てるの区別がつかず「ああ、何て世の中は文字に溢れているんだろう」なんて感想を抱いたものです。 道行くおばさんの顔のシワまで情報として拾ってしまうのは、さすがに悲しさを感じました。

 まあ、最近は気にならなくなりましたが。 以来、視界が良好のまま今日まで来ているわけですから、何時の間にか区別の基準が再構築されたのでしょう。 ただ、それに今気付くくらいなので何を捨て情報と認識していたのか判ったものではありません。 とりあえず、美人のお姉さんと自分に好意が有りそうな女の子の存在くらいはきちんと情報として拾いたいものです。

10/13【救いの手】
 家に帰ると妹が「まってました!」とばかりに話しかけてきました。多分、また託児所の仕事で納得いかない事でもあったのでしょう。 このところの私は忙しいので正直相手にしたくなかったのですが、まったく気にする様子もなく話が始まってしまいました。

 託児所では子どもは基本的に外に出て遊ぶらしいのですが、運悪く足を骨折していて長期間外で遊べない子供がいるそうです。段々と孤立してしまっているので何らかの対策を立ててあげたいのだとか。 さらに、中には室内で遊びたいという子供もいるのだけども、影響力のある子供に逆らえず仕方無く外で遊んでいる状況があるらしいです。

 で、妹は子供達と話をしてこの状況を変えていきたいと思っているのだけど、子供の中に大人が介入するわけですから結果的に命令や強制になってしまうのは間違えなく、その辺に危惧があるので踏みきれないと。

 これが正しい行動なのか?と問われれば、私にはかなり怪しく思えてしまいます。 一人の例外のために他の全員が犠牲になる事が正しいのか?とか、 リスクを背負ってまで自分の意見を通す事が正しいのか?むしろ、極力揉め事を起こさず周りに同調できる人間の方が社会では重宝されているのではないか?とか。

 さらに被害者の立場でしか見えないものがあります。 ケガという理不尽が招いた孤立で得た実感は、この先別の誰かが同じような状況になった時に彼が取る行動に影響を与えると思います。 それは手厚い保護の中では気がつかない事かもしれません。

 とかく弱者の味方をすることは正しいと解釈されがちですが実際には間違っていないだけなのです。 何を最善手と思うかは人によって違うのでしょうけど、私は少なくても自分で実践できていないような諭し方は気が進みません。

10/07【天然的発想】
 今日は風が強かったです。昼ご飯で外に出たとき、何気無く空を見上げると流れる雲がとても急ぎ足でした。 しばらくボーと眺めていましたがその内、白い物が視界に入りました。 どこからともなくコンビニのビニール袋が舞い上がってしまったらしいです。 東京には似使わない青空、そのど真ん中に在る高層ビル群の上を飄々と舞うコンビニ袋という風景は中々シュールでした。

 ふと隣を見ると同僚も空を見上げ満面の笑みを浮かべています。 …というかニヤニヤしています。 確かにシュールな風景だけどそんなリアクションが出る程のことでもないよなーと思いつつ聞いてみると、
「いやなー、あのコンビニ袋、実は見えない(透明な)おばはんが手に持っとんねん。 おばはん、めちゃくちゃ焦っとるやん。おもろいなー」
(あずまんが@大阪風着色有り)


 んー。確かにそれは面白いです。君の発想が。

10/06【つまらないモノでも…】
 やっと、現在開発中のゲーム(厳密には違う)に終わりが見えてきました。月曜提出の予定です。 そこからクライアントの検証が入るのですが、これ以上納期がずれこむと来週の3連休も潰れることになるので何とか無事に通過してほしいものです。

 ところで今回のゲームには本編とは別にオマケモードなる存在がありまして。 本編はエンドレスな内容なので、このオマケをクリアするとスタッフロールが流れる仕組みになっています。 ここには私(本名)も載る予定…と言うか、この部分は手が空いていた私が作ったのですが、 条件が難関で一般教養レベルのクイズを240問中150問正解しないと辿りつけないのです。 単純に全問正解しても1時間は掛かります。 クイズ自体には興味の無い人間を引き付けられるような仕掛けも演出も無く、本音を言ってしまえば単調で面白くありません。 もちろんユーザーは本編目当てで購入するわけで、関係ないオマケクイズに時間を費やして最後までやってくれる人は中々いないと思います。 関係者以外見たことが無い幻のエンディングと化してしまいそうです。

 以前、付き合いのあった営業さんの話では、自分が担当することになった商品はどんな些細な部分でも面白さの要素を見つけ出し、そこから膨らませて無理やりに「これは面白いんだ!」と自分に思い込ませてしまうことが重要なのだそうです。 まあ、これから人に勧めようという商品ですから、自分が本気で面白いと思っていなければ売り込みの言葉も真実味に欠けてしまうのでしょう。 仕事のためなら自己催眠すら厭わない。涙ぐましい努力ですにゃ。

10/05【天秤のバランス】
 人が集まる場所には自然とルールが作られていくものです。 しかし、そのルールが集まった個々の、居心地の良さに対する感じ方の平均と、その場に対して発言力のある人間の意向の集約だと仮定するなら、 私が完全に馴染める(受け入れられる)ルールなど、どこを探しても存在しないでしょう。 平均化した時、ズレが出るのを防ぐには私と完全に同じ感じ方をする人間の集合体を作るしかないのですが、それは言うまでもなく不可能です。

 人の輪の中で生きようと思うならある程度の部分は妥協しなければならないという事でしょう。 だから逆に、これだけは譲れない、大事にしたい部分をきちんと見極めて決めておかなければならないと思います。 特に私なんか弱いですから、核たるものを決めておかないと全て大事に思えて捨てられなくなってしまいそうですからね。 実際には全てにおいて自分を通すのは不可能ですから、そこそこの環境にも不満ばかりを溜めてしまうことになってしまいます。

 大事な部分というのは結局は自己満足ですから他人と比べることは無意味です。 常識でつまらないとされているモノに価値を見出して生きるのも良いと思います。 今の環境に不満があるなら考えてみるべきです。何に妥協するべきか、何を大事にして生活していくか。 変化を求めて飛び出した後「状況が逆転したのはいいけど、やっぱり自分にとっては捨てたモノの方が重かったな」とか思い直しても少なくても同じ環境には戻れませんよ。

10/02【台風と共に・2】
 そんなわけで昨日は正式入社1日目だったのですが、戦後最大とウワサの台風がお祝いに駆けつけてくれました。 取引先の会社が次々と早期退社命令で不在になる中、ウチも5時頃帰宅勧告(命令じゃないところがミソ)がでました。 そんな中でも「(やばければ)会社に泊まればイイだけだし」とか言う上司を私は立派だと思いました。 イヤな顔ひとつせず「そうですね」とか同意する人がいるも立派だと思いました。

 私は特にやる事も終わってしまっていたので内心帰りたかったのですが誰も席を立たない状況ではそれはできません。 もちろん、この状況は居残ることで何の得を生むわけではありませんが、日も浅い私が率先して帰るような素振りを見せれば反感を買うのは目に見えています。 まあ、当然なのですが、転職するということは新しい集団では一番立場の弱いところからスタートになるのです。初日から再認識してしまいました。

10/01【台風と共に】
 とか何とか言っている内に契約先での就職が決まってしまった。
 この1ヶ月考えていなかったわけではないけど、一昨日に正式な話があり、昨日意思確認、今日から社員というバタバタ加減です。 1ヶ月の派遣契約が終わり、開発していたソフトの納期に遅れが出ているため契約延長の予定でしたが、 会社にしてみれば、私に就職の意思があるなら早期に社員にしてしまった方が安く済みます(もちろん、私の身入りは減るんですけどね)
しかし、月の節目ということもあり回答を急かされてしまったので、今だ何の実感もないです。 しいて挙げるなら、「んー。私って流されまくりの人生だなー」とか他人事のような感想があるだけです。

 私の場合、普通なら道程で諦めてしまうような夢に拘っていたため、学生時の就職活動は困難を極めました。 それでも最終的には志望に近い場所で働くことができましたし、 その後、紆余曲折をえて今回で3つ目の職場ですが活動らしい転職活動はせずに 成り行きで何時の間にか組織に属していたりするので、実は私は運が良いのかもしれません。何せこの御時世です。

 もちろんそんな展開だからこそ、ろくな終わり方がないのかもしれませんが。


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