出版物の紹介 「古関裕而物語」紹介│もくじ│本文「古関裕而略年譜」紹介│本文より抜粋:作品名/長崎の鐘 |
古関裕而物語 | ▲トップへ |
昭和音楽史上に燦然と輝く作曲家 2000年7月7日初版発行 四六判 272ページ 定価:本体1,800円+税 |
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福島の呉服屋に生まれて 楽しかった福商時代 同級生から見た裕而 童話作家としてデビュー 『赤い鳥』と音楽ノート 福商卒業後は音楽浪人 福島ハーモニカ・ソサエティー 伯父の口利きで銀行員生活 川俣時代の裕而 舞踊組曲「竹取物語」の入選(ロンドン) 雅楽を取り入れた「竹取物語」 「竹取物語」が結ぶ恋 全国に紹介された「福商青春歌」 琴線に触れる歌を! コロムビア入社と野球応援歌 「荷物片手に」 初のレコード「福島行進曲」「福島小夜曲」 ワセダの「紺碧の空」は二十二歳の作曲 古関メロディーに流れるヒューマニズム 処世訓話と「暁に祈る」 幻の楽譜と「若鷲の歌」 父母の逝去と報道派遣 修錬隊歌作曲と古関の兵役 飯坂町への疎開と温泉楽団 国民に夢を与えた古関メロディー 母校火災復興のために大きな尽力 |
「二十歳の扉」と「コロムビア音楽会」 |
古関裕而年譜 | ▲トップへ |
明治42年 | 8月11日 福島市大町に生まれる。生家は呉服屋「喜多三」。 | |
大正3年 | 5歳 | このころ父親が蓄音機を購入。レコードを聴く。 |
大正5年 | 7歳 | 福島県師範附属小学校入学。 |
大正7年 | 9歳 | 小学3年から6年まで担任遠藤喜美治先生に唱歌とつづり方を習う。 |
大正8年 | 10歳 | 卓上ピアノで作曲を始める。 |
大正11年 | 13歳 | 福島商業学校入学。このころ「喜多三」廃業。妹尾楽譜により本格的な作曲・編曲を始める。 |
大正12年 | 14歳 | 福島ハーモニカ・ソサエティーに入る。このころ関東大震災をテーマに「大地の反逆」作曲。 |
大正13年 | 15歳 | 福島市新町70番地に転居。 |
昭和2年 | 18歳 | ペンネームを「裕而」とつける。 |
昭和3年 | 19歳 | 福島商業学校卒業後、川俣銀行に勤務。福島ハーモニカ・ソサエティーとともに仙台中央放送局記念番組に出演。 |
昭和4年 | 20歳 | 舞踏組曲「竹取物語」ほか4曲をイギリスロンドン市のチェスター楽譜出版者募集の作曲コンクールに応募し、二等に入選。 |
昭和5年 | 21歳 | 6月1日 内山金子と結婚。 |
昭和6年 | 22歳 | 最初のレコード「福島行進曲」と「福島小夜曲」発売。早大応援歌「紺碧の空」作曲。 |
昭和10年 | 26歳 | 「船頭可愛や」初のヒット作となる。 |
昭和12年 | 28歳 | 「露営の歌」作曲。この年、菊田一夫と出会う。 |
昭和13年 | 29歳 | 中支従軍。 |
昭和15年 | 31歳 | 「暁に祈る」作曲。 |
昭和17年 | 33歳 | 南方慰問団派遣員となる。 |
昭和20年 | 36歳 | 約1ヵ月間軍隊生活を送る。 10月 NHK連続ラジオドラマ「山から来た男」で、終戦後初めて菊田一夫とコンビを組む。 |
昭和22年 | 38歳 | 7月 NHK連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」放送開始。(25年12月まで放送) |
昭和23年 | 39歳 | 「栄冠は君に輝く」作曲。 |
昭和24年 | 40歳 | 「長崎の鐘」作曲。 |
昭和27年 | 43歳 | 4月 NHK連続ラジオドラマ「君の名は」放送開始。(29年4月まで放送) |
昭和28年 | 44歳 | NHK放送文化賞受賞。 |
昭和31年 | 47歳 | 「忘却の花びら」がNHK連続ラジオドラマの最後となり、この後は菊田一夫とともに舞台活動へと転進する。 |
昭和32年 | 48歳 | 日曜名作座開始。福商新校歌「若きこころ」作曲。 |
昭和39年 | 55歳 | 東京五輪において行進曲「オリンピック・マーチ」作曲。 |
昭和44年 | 60歳 | 紫綬褒章受章。 |
昭和47年 | 63歳 | 札幌冬季五輪において「純白の大地」作曲。 |
昭和48年 | 64歳 | 菊田一夫死去。芸術座公演「道頓堀」が名コンビの遺作となる。 |
昭和54年 | 70歳 | 福島市名誉市民となる。勲三等瑞宝章受章。レコード大賞特別賞受賞。 |
昭和55年 | 71歳 | 日劇にて作曲生活50周年記念ショー。 5月 自伝『鐘よ 鳴り響け』を主婦の友社より刊行。 7月 妻金子死去。 |
昭和61年 | 77歳 | 30年間音楽を担当したNHKラジオ「日曜名作座」を健康上の理由で降り、作曲生活から引退。 |
昭和62年 | 78歳 | 森繁久彌、加藤道子とともに「日曜名作座」を3人で30年間続けた業績に対し、放送文化基金個人部門賞受賞。 |
昭和63年 | 79歳 | 9月 画集『風景の調べ』を自費出版。 11月 福島市古関裕而記念館開館。(福島市入江町1−1) |
平成元年 | 80歳 | 8月18日逝去。 |
(以上古関裕而著『鐘よ 鳴り響け』主婦の友社刊を参考に、一部加筆いたしました。) |
本文より抜粋 | ここでは「古関裕而物語」の一部を紹介させていただきます。 |
本文より作品名抜粋 | ▲トップへ |
【あ】 「愛国の花」 「会津高校校歌」 「暁に祈る」 「新しき朝の」 「阿武隈に立ちて」 「飯坂小学校校歌」 「イヨマンテの夜」 「栄冠は君に輝く」 「大阪タイガースの歌」(六甲おろし) 「オリンピック・マーチ」 |
【か】 「要田小学校校歌」 「鐘のなる丘」 「君の名は」 「巨人軍の歌」 「久遠の希望に」 「郡商青春歌」 「紺碧の空」 |
【さ】 |
【た】 「竹取物語」 「タンゴ阿武隈の月」 「利根の舟唄」 「ドラゴンズの歌」 「とんがり帽子」 |
【な】 「長崎の鐘」 「日米野球行進曲」 「荷物片手に」 |
【は】 |
【ら】 「露営の歌」 |
【わ】 「若鷲の歌」 「わらじ音頭」 「我ぞ覇者」 |
本文より「長崎の鐘」の項抜粋 | ▲トップへ |
●なぐさめ はげまし ●短歌「新しき朝の」作曲 ●天使の音楽を作曲 (永井博士の書簡は古関裕而記念館に展示中です)
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