古関裕而作曲 野口英世の歌

  

日本の科学者人気投票第一位 

 

 今話題の「野口英世の歌」を紹介しよう。

  野口英世は日本の誇る医者であり、平成十六年秋には、千円札にその肖像が載ることが予定されている。

  朝日新聞社が「この千年・日本の科学者」の読者人気投票(二○○○年十月二日)を実施した時、堂々の第一位を占めたのが野口英世で、五一四六票を獲得している。また第二位は、戦後の日本に希望と自信を与えた湯川秀樹で三六三六票。第三位が江戸時代のレオナルド・ダビンチこと平賀源内で一四一一票となっている。以下杉田玄白、北里柴三郎、中谷宇吉郎、華岡清洲、南方熊楠(みなみかたくまくす)、江崎玲於奈、利根川進となり、いわばノーベル賞受賞者の遥か上位を飾っている。(写真 ロックへラー研究所での三七歳の野口・大正十一年)

野口は残念ながらノーベル賞候補に三度挙がるも、医学後進国のハンデと戦争当事国ということもあって受賞を逃している。

ところで野口の業績を顕彰した「野口英世の歌」は何曲あるだろうか。『フォトドキュメンタリー・野口英世』には三曲の歌が掲載されており、また最近では郡山市出身の演歌歌手・大月美佳が「偉人・野口英世」を発表して新聞を賑わしている。

各新聞社でもこぞって野口の記事を特集し、筆者なども資料収集に追われている。また筆者の所属する教育現場でも総合学習や調べ学習の一貫として、野口を取り上げることが多い。(写真 野口英世大正 十一年)

 

 

土井晩翠作詞・古関裕而作曲

 

 野口顕彰歌の最初の曲は、土井晩翠作詞・古関裕而作曲の「野口英世」である。これは昭和十五(一九四○)年に作られたもので、詩人土井晩翠は英世の生い立ちを克明に表現し、古関裕而によって美しいメロディーが付けられた。

 

 

   一 会津若松白虎隊/歴史に薫る郷にして/

   明治九年の菊の節/野口英世ぞ生まれたる
 

   二 磐梯山の影写す/漣(さざなみ)清し猪苗代/

   湖水の岸の小(ち)さき村/村の貧しき家のうち


  三 
幼き時に炉に落ちて/左の手なる大火傷/

  不具を嘆ずる一念は/世界医聖の実を結ぶ


  四 見よ南米の野口町/見よアフリカの頌徳碑/

   四海にひゞく英名は/母の慈愛と信とより


  五 
その大いなる仁術の/功(いさお)日本の誉掲げ/

  末は万里の遥なる/地に黄熱(おうねつ)の牲(にえ)となる

 

六 艱難(かんなん)人を玉とする/尊き言葉証したる/

  野口英世を範(のり)として/日本の子らよあゝ奮へ 

 

 

文部省唱歌

 

 二つ目の歌は文部省唱歌「野口英世」(昭和十七年二月・文部省初等科音楽二唱歌)がある。

 一 磐梯山の動かない/姿にも似たその心/苦しいことがおこっても/つらぬきとげた強い人/

 二 やさしく母をいたはつて/昔の師をばうやまつて/医学の道をふみきはめ/世界にその名をあげた人

 三 波ぢも遠いアフリカに/日本のほまれかがやかし/人の命すくはうと/じぶんは命すてた人

 

古関裕而の曲と文部省唱歌とを比較すると、野口の一生を克明に辿り、また快適なテンポと歌いやすさの点において、古関裕而作曲の歌が勝っているといわれている。

この二つの「野口英世」の歌については、歴史春秋社刊「福島春秋」創刊号に、「もっと知りたい野口英世」と題して、会津在住の詩人村野井幸雄が発表会の様子など詳細に紹介しているので、参照されたい。なお以上二曲の音源は、猪苗代の野口英世記念館によって制作され、CDとテープが販売されている。歌うは野口の地元猪苗代中学校合唱部の諸君で、楽譜も添えられている。

 

「ああ野口英世」 

 

 また『フォトドキュメンタリー・野口英世』には、昭和四十年七月発表された「ああ野口英世」(作詞鈴木稔・作曲服部正)も収録されている。ー著作権の関係で歌詞は掲載しません。

 余談となるが平成十六年六月、双葉郡双葉町体育館において浪曲「野口英世少年時代」(作中田比良夫)が木村友衛によって披露された。木村は双葉町出身の歌手兼浪曲師であり、元祖「浪花節だよ人生は」を歌い日本レコード大賞特別賞に輝いている。こと福島県においては野口英世に関する話題は事欠かないようである。

 

 


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古関裕而−歌い継がれるメロディ