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古関裕而とハモンド・オルガン

 

 

 

ハモンドオルガンの復活 (文中敬称略)

平成14年4月、福島市にある古関裕而記念館で、数十年ぶりに美しいハモンド・オルガンの音色が復活した。それは聞く人々の心を癒した。

ハモンド・オルガンは、1929(昭和4)年、アメリカのローレンス・ハモンドによって発明された電子楽器で、35(昭和10)年以来市販され次第に一般化するようになった。それは91鍵盤のオルガン型の楽器で、30年代後半からはポピラー・オーケストラに加えられたり、ソロ楽器として盛んに用いられるようになった。また50年代にはジャズ楽器としても活躍している。

日本で最初に使用したミュージッシャンは、寡聞にして判明しないが、少なくても古関裕而が、昭和20年代のNHKラジオ・ドラマ「鐘の鳴る丘」や「君の名は」等で演奏を披露し、ハモンド・オルガンの音色に魅了された国民は多いはずである。古関はその後、自宅レッスン用として、ハモンド・オルガンを家一軒分に相当する価格で購入し、数々の名歌曲を創作していった。

(写真 桜ライブ・コンサート会場)

 

 

桜ライブ・コンサー

 福島でハモンド・オルガンが復活と紹介したが、どのように復活したかを述べよう。

福島市の中央には、御山と地元の人々に敬愛されている信夫山がある。信夫山は県内きっての桜の名所で、古関裕而の眠る墳墓も山の中央にある。また福島市の辰巳(南東)方向には、カメラマン秋山庄太郎がこよなく愛した花見山があり、全国からその風情を楽しもうと四季を通じて来訪者が絶えない。福島市では、これらの風光明媚な観光スポットと、古関裕而記念館を結んだトライアングル・ゾーンの基点として、古関裕而記念館における桜祭りライブ・コンサートを誕生させたのである。

 古関裕而記念館長宮田潔によると、ハモンド・オルガンは年1回業者によって手を加えているという。しかしNHKから寄贈された貴重なハモンド・オルガンも、弾かなければ宝の持ち腐れであり、ここにハモンド・オルガンに演奏会が企画されたわけである。

 

 

 

魅力は小さな宇宙

ハモンド・オルガンの魅力は何か?

私の感じたところによると、それは小さな宇宙であった。頼りなげな音色には、霊妙で不思議な魅力がある。

桜ライブ・コンサートで聞いた演奏曲目によってハモンド・オルガンの印象はかなり変化があると思われるが、宗教曲の「アベマリア」を聞くと、大きな宇宙に一人漂い、人類を瞑想に引き込む妙なる音楽を感じさせ、まさしく癒しの音楽そのものであると思われた。

また「主よみもとにちかづかん」は、荘厳なパイプ・オルガンの響きを感じさせ、重厚なハーモニーを奏でていた。そこにはヒタヒタとせまり来る神の足音が聞こえるようであった。

「マイ・ハート・ウィル・ゴーオン」は「タイタニック」の主題歌であり、どのような演奏か楽しみであったが、ハモンド・オルガンによって、海に沈みゆく恋人が泡をはきながら沈んでいく姿がイメージされ、その音色に息をのむ思いであった。「コラール(フィンランディア)」では、自分の知らない未知の世界の扉が静かに開かれ、古き良き時代が戻ってくるような不思議な感覚を実感させた。「マルセリーノの歌」や「シャレード」では、この楽器の音のかすかなふるえが聞くものの琴線を震わせ、哀愁とペーソスに満ちていた。      まことにハモンド・オルガンは怒りや喜びより悲しみを、また渺々たる宇宙を表現するのにふさわしい楽器であると実感した。

演奏テクニックはかなり難しそうである。物の本によるとその音色は2億数千万種もあるといわれている。しかしこの楽器は実は古関によって即興曲を奏でるには最高の楽器であることが証明された。(写真 ハモンドを演奏する相原さん)

 

 

 

ラジオ・ドラマで大活躍

昭和22年7月から開始された「鐘の鳴る丘」は、菊田一夫脚本、古関裕而音楽で、3年6ヶ月も続いたラジオ・ドラマであった。娯楽の少ない敗戦直後の国民は、そのストーリーと音楽につかの間の心の安らぎを求めていた。しかし当時売れっ子の菊田は、実はその脚本執筆で苦悩していた。国民に受けるストーリーは、そう安易にはかけるはずがない。

しかし番組に穴をあけるわけにはいかないので、スタジオに入っての脚本執筆となる。放送時間が押し迫っても、完成しない脚本。そこに古関の出番がやってくる。菊田の台本の出来るまでが古関の勝負である。そのとき大活躍したのが、ハモンド・オルガンであった。この楽器はピアノと違い、音に連続性がある。つまり音を長くのばすことができるわけで、その間に次の曲想が生まれる。その繰り返しの中で古関は音楽と戦っていたのだろう。しかし盟友菊田が苦しんでいる。古関は今まで学んだ多くのメロディーを想起しつつも、即興曲を演奏し続けた。菊田の台本がやっと完成すると、ハモンド・オルガンの役目が終わるわけではなかった。いよいよ本番である。古関はその後も続いた「君の名は」でも見事な演奏を披露し続けた。けだしハモンド・オルガンと古関は、戦後のNHKラジオ・ドラマを支えたといっていいだろう。

 

 

初めて習った鍵盤楽器―『鐘よ 鳴り響け』より

 ところで古関裕而はどのようにしてハモンド・オルガンと出合い、数々の名曲を生み出すようになったのだろうか。ここで古関自伝『鐘よ 鳴り響け』(昭和55年出版 主婦の友社)をひもといてみよう。71歳の古関は次のように回顧している。

「(昭和22年頃)、進駐軍放送が始まっていたが、その終了番組に、ハモンド・オルガン独奏が毎晩あって、その音色が非常に多彩豊富で変化があり、幽玄な境地さえ表現できるので、私は、これを使おうと思いついた。菊田さんも独活山さんも、これに賛成。

 放送局には、ハモンド・オルガンが発明された2年後に1台購入してあった。時々パイプ・オルガンの代わりに使用されていた。奏者は、東京管絃楽団のメンバーであり、パイプ・オルガンも、アコーディオンも弾ける小暮正雄氏にお願いした。また一番大切なテユープラー・ベル(鐘)だけは、打楽器奏者でないと困るので、1名加えて演奏関係は2名と決まった。」

 「最初は順調だったが、だんだん台本の仕上がりが遅くなり、作曲が間に合わなくなりそうで、小暮正雄氏に渡すオルガンの楽譜もぎりぎり放送直前になったりした。また菊田さんの音楽指定が複雑になり、ムード表現の作曲はその場その場で、非常に微妙な変化を要求され難しくなってきた。それを伝える時間的余裕もない。ついに独活山さんは菊田さんと相談して、私自身がオルガンを弾くことになった。小暮さんには悪かったがそれより方法がなかった。小暮さんに電気的操作と、レジストレーション(音色構成)の基本を教えてもらい三か月目頃から私が弾くことになった。これが私とハモンド・オルガンとの最初の出合いであった。それまで鍵盤楽器を習ったことはなく、作曲する時にちょっとピアノを弾いてみる程度であった。」   

 「私の演奏が少し巧くなると、菊田さんの音楽効果をねらう要求は、益々細かくなり、せりふの間をぬって時々刻々の変化をせねばならなく、結局、即興曲のようなことになった。その間も即座に音色を変えられ、2億数千万種の音色が出るというオルガンの機能の魅力にひかれ、菊田さんの指定の個所で秒差の狂いもなく場面転換できたりし、二人で満足した。」(写真 ハモンド・オルガンを前にした古関家 昭和27年 古関裕而記念館提供)

 

 

ハモンド・オルガン事始め

 ところで前述の桜ライブ・コンサートの演奏者は「福島オルガンの会」に依頼された。オルガンの会は、福島市音楽堂のパイプ・オルガン演奏を任されている実力者たちである。会代表の石川さんは次のように語っている。

「福島オルガンの会は、昭和62年9月に結成されました。福島市がパイプ・オルガンの講習会を開催しました折、その受講者によって結成された自主的団体で、全くの市民活動です。会の目的は、パイプ・オルガンの自己研鑽とオルガン音楽の普及にあります。メンバーは現在10名で、 主に教職員とピアノ教師がその活動に当たっております。」

しかし数十年も前に活躍したハモンド・オルガンは、実はなかなかのくせ者であった。解説書は英文で、江戸時代の『蘭学事始』にも似た悪戦苦闘が待っていたのである。

福島オルガンの会のメンバーは、どのようにしてこの楽器マスターしていったか、その苦労話を平成14年5月17日(金)伺ってみた。場所は古関裕而記念館で、ご出席頂いたのは石川さんと相原さんである。 (写真 結成当初の福島オルガンの会)

 

 

ハモンド・オルガンはオーケストラ

石川 ハモンド・オルガンは、パイプ・オルガンの後継楽器として発明されました。パイプ・オルガンに比べて、コンパクトで軽量、リーズナブルで、価格的にもパイプ・オルガンに比較して安価になっています。そんな特徴を持ちながらも、パイプ・オルガンに似た音色を出す楽器で、足踏みのリード・オルガンの音を出すこともできます。

操作については、ピアノが一番簡単です。ピアノは楽譜通りに弾けば、音が出ます。しかしハモンド・オルガンは、弾いても音が出ません。レジストレーション、つまり自分の求める音色をさがし出す必要があります。どの音を作るか、どの音が自分のイメージに合っているかを追求する作業がレジストレーション(キー・セッティング)で、それが一番大変なのです。

ハモンド・オルガンは、2億数千万種の音色を出すといわれておりますが、それは数字上の可能性をいったもので、人間の耳では到底聞き分けられません。またハモンド・オルガンはパーカッション(打楽器)機能などもあり、オーケストラを目指す楽器だといわれておりますが、説明書ではよほど練習しないとできませんと書かれておりました。

ハモンド・オルガンはパイプ・オルガンと同じように、いくら弾いていても音に飽きが来ません。いつまでも弾いていたい楽器です。

相原 パイプ・オルガンと違う点は、ハモンド・オルガンは懐かしく、柔らかい音が出ることです。これからいろいろな音を出していくのが課題といえます。(写真 座談会に出席いただいた左から石川さん、筆者、相原さん)

 

音の出なかったハモンド・オルガン

相原 ハモンド・オルガンを最初に弾き始める時、スイッチの入れ方が分かりませんでした。また、弾いても音が出ないのです。スピーカーとの接続がなされていなかったのです。それから鍵盤のタッチは、パイプ・オルガンに比べて軽かったので、意識を変えないといけないなあと感じました。また演奏曲目が多かったせいもあり、ハモンド・オルガンのレジストレーションを決めるだけで精一杯でした。古関裕而記念館では来客の関係上、練習もあまりできませんでしたので、福島市音楽堂の音楽室で、足鍵盤のある小型のパイプ・オルガンを借りて練習しました。ただハモンド・オルガンは、外国人用に作ってありますので、足が届かないので、大変疲れました。ハモンド・オルガンを演奏するには、「体勢づくり」が大切です。

石川 私の場合は、ハモンド・オルガンはどのような音が出るかが問題でした。音によってどのような曲がふさわしいかと、プログラムを考えました。初日の演奏は音のバランスが悪く感じられましたので、2日目からは音を変えました。とにかく楽器に慣れることが大切だと分かりました。年中弾いていればできるのでしょうが、弾いている時は音色を変えることができませんでした。 

 

 

 

歌い継ぎたい、古関音楽

相原 私たちは、パイプ・オルガンで、「長崎の鐘」や「白鳥の歌」など、時々紹介しておりましたが、今回ハモンド・オルガンで古関先生の音楽を弾いてみて、先生の曲はハモンド・オルガンにピッタリ合う曲だと感じました。特に「トンガリ帽子」や「白鳥の歌」は素敵でした。先生の曲はほとんどハモンド・オルガンに合うのではないでしょうか。

石川 先生の音楽は付点が多くて、難しい曲が多いと感じました。先生の曲を拝見しますと、先生は何でも作曲しているのではなく、詩を選んで作曲されていると思いました。先生の曲は歌謡曲ではなく、歌曲として評価できるのではないでしょうか。

 今回取り上げました「福島セレナーデ」(作詩竹久夢二)は、歌詞が12番までありましたので、どれをとりあげるか楽しみでした。たまたま取り上げた歌詞は齋藤先生(筆者)の『古関裕而物語』と同じものでした。

夢二さんの短歌は含蓄があり、音楽だけを理解しても音楽は伝わるものではなく、国語の力が大切だなあと実感しました。古関先生はこの曲を作曲なされる時、強い思い入れがあったのではないかと感じました。一生懸命作曲したと思いました。この歌はちゃんと聴いていただける歌だと思いました。

私たちはこれからも先生の曲を演奏していきたいと考えております。また、桜ライブ・コンサートで独唱を披露してくれました、ソプラノ歌手の小野さんも、「これから先生の歌を持ち歌として長く歌っていきたい」と話されておりました。

今回のライブ・コンサートはすばらしい企画でした。多くの若い人にも聞いて頂けました。観客の反応を見ましても、古関先生はすごく偉大な人だと思いました。私たちは先生の存在の大きさを感じ、先生はすごく好かれているなあと思いました。(写真 桜ライブ・コンサートで熱唱した小野さんと奏者石川さん)

 

意欲的な企画に高い評価

以上のように福島オルガンの会による桜ライブ・コンサートは大成功であった。地元マスコミも、この企画を大々的に取り上げ、NHKテレビでも特集を組んでくれた。

観客の反応も大好評で、ハモンド・オルガンの妙なる音色に癒され、久しぶりの古関音楽を満喫していた。ただし今回の企画は、ハモンド・オルガンの復活と、ハモンド・オルガンで何が弾けるかという試みがメインであった。次回からは古関音楽を大胆に取り入れたコンサートを期待するとともに、紅葉ライブ・コンサートなどもあって欲しいと願うのは筆者ばかりではないはずである。

平成14年5月26


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