<font color="#006633"><b><font color="#339966">古関裕而と校歌・応援歌</font></b></font>  

古関裕而と校歌・応援歌

古関音楽の業績古関音楽の特徴古関さんの校歌・応援歌作曲上の配慮ふるさと福島への思い歌い継ぐ古関音楽古関 作曲校歌・応援歌学校一覧

福島商業高等学校関東支部会報誌「あぶくま第21号」に寄稿した特集記事を紹介します。【平成13年9月20日記載】
 参考文献:『古関裕而物語』齋藤秀隆著 歴史春秋社刊,『鐘よ 鳴り響け』古関裕而著 主婦の友社刊


古関音楽の業績   ▲トップへ
作曲校歌・社歌等分布図 古関裕而さんは福島の音楽文化と豊かな自然に育まれて大成した、日本を代表する作曲家です。生涯の作曲数は約5千曲といわれ、「長崎の鐘」や「イヨマンテの夜」「白鳥の歌」「君の名は」などの数多くの名曲を残し、平成元年、八十才で逝去されました。
 古関さんは歌謡曲、スポ−ツ歌、童歌、オペラ、ミュ−ジカルなどの作曲で知られておりますが、そのほかにも、優れた才能を示した分野に、校歌・応援歌の作曲があります。
 古関さんの校歌・応援歌の優れていることは、万人が認めることです。私の知る範囲でも多くの方が、「古関さんの校歌は他の作曲家とは全然違いますね」と語っております。
 古関さん作曲の校歌・応援歌の数は、福島県内では101校、全国では300校を超えると、古関裕而記念館の調査で確認されています。地元福島県内では、「福島高等商業学校」(現福島大学経済学部)をはじめ、「会津高等学校」や「福島商業高等学校」などの校歌・応援歌を作曲しております。また県外では、早稲田大学の「紺碧の空」や慶応大学の「我ぞ覇者」などを作曲しております。(写真=古関さん作曲校歌・社歌等分布図:古関裕而記念館提供)


古関音楽の特徴   ▲トップへ
 古関さんの音楽は他の作曲家と違う大きな特色があります。
 その一番目は、古関さんの音楽には気品と格調があるということです。古関さんは福島商業学校時代から独学で、ドビッシ−やストラビンスキ−、ムソルグスキーなどのクラシック音楽を学びましたが、それらが古関音楽の根底をなしております。
 特徴の二番目として、古関さんの人柄からにじみ出る優しさと、ヒュ−マニズムがあげられます。古関さんの「長崎の鐘」や「ひめゆりの塔」、「サクランボ大将」などには、弱者に対する温かな愛情を感じることができます。
 三番目にいえることは、人生をひたむきに生きる青年や子供たちに対しての応援歌を作っていることです。特に古関さんのスポ−ツ歌は、その典型といえます。私は昨年、夏の甲子園で「栄冠は君に輝く」を聞き、歌い、思わず涙しました。あの歌詞とメロディ−によって、青春の戦いに命をかける若人に対して、古関さんは限りない応援のメッセージ贈り続けていることを実感できたからです。


古関さんの校歌・応援歌   ▲トップへ
早稲田大学応援風景 古関さんの同時代には、服部良一さんや古賀政男、吉田正さんなどの作曲家がいます。しかし古関作曲の校歌・応援歌が多いのはなぜでしょうか。
 服部さんはジャズ、古賀、吉田さんはどちらかといえば演歌系統が多いと思います。これに比して古関さんの実績は「オリンピック・マーチ」や「紺碧の空」、「栄冠は君に輝く」などと、重厚で格調の高い作曲をしておりました。またクラシックが作曲のバックボーンをなしておりましたので、その実力は高く評価され、校歌・応援歌の作曲の依頼が多かったのでしょう。
 また福島県内の校歌・応援歌が突出して多いのは、古関さんが地元出身であることによって、比較的容易に作曲の依頼の仲介がなされたと思われます。
 しかし古関さんはきわめて多忙な方でありましたが、どこよりも福島を愛していましたので、ふるさとの学校からの作曲依頼には、何をおいても取りかかったのではないかと考えられます。(写真=早稲田大学応援風景:古関裕而記念館提供)


作曲上の配慮   ▲トップへ
 古関さんが校歌・応援歌を作曲する時に特に配慮したことは、作詩されたことばの一つ一つを大切にしながら、そのことばにふさわしいメロディーをつけて、ことばに命を吹き込むことでありました。古関さんは子供たちの目線にたって、詩のことばにふさわしいメロディーを作り上げたところに素晴らしさがあります。子供たちは古関さんの作曲した歌を明るく、大声で歌うことによって、歌のイメージをふくらませ、学校生活を楽しく過ごせたのではないでしょうか。
 音楽というものは、精神を高揚させ、魂の浄化し、陶酔感を味わうという効果があります。また集団で歌うことによって、連帯感を醸し出す効果があります。私たちは古関作曲の校歌・応援歌を歌うことによって、まさしく心が一つになるのではないでしょうか。
 また古関さんは、子供たちの歌いやすさを尊重しておりましたので、音域をあまり広げることはせず、しかし限られた音域の中で、高低やメリハリをつけて作曲しておりました。しかしそれでも音が高すぎた場合は、音を下げて歌ってもよいとの添え書きを、手紙の中で指示するなど、細やかな配慮をしております。


ふるさと福島への思い   ▲トップへ
福商時代の古関氏 古関さんはふるさと福島を絶えず愛していました。子息の古関正裕さんは、「父は、福島の方々に大切にしていただきましたし、また父は、福島をどこよりも愛していました」と語っております。
 古関さんが福島を愛するという時、それは福島の自然や世態・人情だけではなく、特に子供たちに対して、愛情を込めて接していたに違いありません。そういう意味もあって、福島県の校歌等の作曲が、群を抜いて多かったのだと思います。
 昭和58年5月の、「月刊信夫野」に、古関さんが対談をしている記事が載っております。そこで古関さんは、福島に望むこととして、「ふるさと福島が、本当の文化都市として存在することを望みます。それが大事だと思います。」と述べております。古関さんの願いは文化施設の充実とともに、最近では数多くの文化諸行事も実施されておりますので、着実に叶えられつつあり、まことに喜ばしいことです。(写真=福商時代の古関さん:左から2番目,福島商業高校提供)


歌い継ぐ古関音楽   ▲トップへ
古関裕而記念館 校歌・応援歌は、学生にとっては学校のシンボルではあっても、それほど感慨の深いものではないかも知れません。しかし我々卒業生にとっては、自分の青春の象徴といえると思います。たとえ学生時代が、苦渋に満ちた時代であっても、校歌・応援歌を歌うことによって、青春時代に回帰し、学生時代を懐かしく回顧させるものとなっております。
 古関さんの校歌・応援歌は、メロディーも良く、ことばの一つ一つを大切にして作曲されておりますので、それらを歌うことで、私たちは生きる勇気をもらえるのではないでしょうか。私たちは古関音楽をこれからも語り継ぎ歌い継ぎ、次代に残していきたいものです。(写真=古関裕而記念館内部:福島民友新聞社提供)


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