ツブカル山登頂  4167m  2014.6.24〜6.26   戻る

 ツブカル山はモロッコからチュニジアにかけて東西に伸びるアトラス山脈の最高峰である。富士山と同じく冬場は雪も降るというが、夏場は雪は消え特別な技術なしで登ることができる。
 今回、山仲間のY女史を誘って2人で出かけた。

【6月24日】

 イムリル村(1,700m)の民宿8時30分発。
 モロッコにはポーターがいないので、荷物はロバ(正確にはロバと馬を掛け合わせたミュール(ラバ)という)で運ぶ。我々は雨具や水など必要最小限を担げばよいから助かる。
 ロバを待っていると、2人の登山者らしき若者が来た。聞けばドイツから来たのだが、村の中の道が分からないという。そこで我々のガイドと共に暫く一緒に行くことになった。
 サクランボ畑やベルベル人の集落が続く道を行く。集落を過ぎると水の流れていない広い河原になり、ここから川の右岸をトラバースしながら少しずつ高度を上げながら進む。
荒涼とした大地で、それでも乾燥に強い植物が僅かに咲いている。10時50分最奥の村シディ・シャマルック(2,300m)に到着する。
 ここでコックが昼食を用意してくれた。今回は2人なのでロバの御者兼コックは1人だった。 
 ここからルートは川の左岸となる。
 比較的なだらかな登山道をだらだらと雄大な山々を望みながら進む。ロバの糞が登山道に落ちているがあまりにも多くて避けきれなくて足で踏んでしまうこともあり、それが乾燥して歩くたびに埃と共に舞い上がって鼻が黒くなるくらいだ。
 最奥の村から2時間45分で今日の宿ネルツナー小屋(3,200m)に到着した。この小屋はスランス山岳会が建てたヨーロッパ風の石造りの山小屋だ。
 部屋は大部屋でマットレス付の2段ベットがある。毛布も借りられるが、我々は寝袋を持参した。食事も提供される。モンブランやマッターーホルンなどヨーロッパの山小屋に似ていた。
 登山口で会ったドイツからの2人とフランスから来た中高年6人と一緒の部屋だった。前日は満員だったとのこと。
 ネルツナー小屋の隣にモロッコの小屋もあり、見学させてもらったが、料金が倍以上とのこと。お金がかかってもよければこちらが綺麗で静かなのでお勧めだ。
 外に張ったテントで夕食をとった。
イムリル村からツブカル山を見る 荷物はロバが運びます 昼食
最奥の村シディ・シャマルック 遠くに小屋が見える ネルツナー小屋

【6月25日】

 ツブカル山登頂の日。
 テントで朝食後7時10分出発する。天気は良くあまり寒くないようだ。
 小屋から巨大なV字谷を谷沿いに進む。ルートはガレ場の急登で一旦なだらかな所に出る。
 そこから鞍部を目指して緩やかな斜面を登る。同行のY女史に高山病の症状が出始め、休むことも多くなりペースが極端に遅くなる。
 とにかく鞍部までは行きましょうと励まし、一足先に歩きはじめる。
 鞍部で待っていたが、なかなか彼女が来なかったので、多くの人が登っているし、アンザイレンのない山ならガイドがいなくても登れると思い、先に歩きはじめることにした。
 大勢のツアーならこんな時、弱い人に合わせて皆が登れなくなるところだが、個人で来たので自由にできて良かった。鞍部からジグザグにガレ場を登ること1時間、山頂はだだっ広く三角錐のモニュメントが建てられていた。1時間前に到着していたというドイツの2人組みと記念写真を撮り、彼らは小屋には泊まらず下まで下るというので早々に分かれた。一昨年登ったグロースグロックナーにわりと近い所に住んでいると言っていた。
 山頂から360度の景色が望めた。サハラ砂漠は見えるか聞いたら遠くで見えないとのこと。
 30分ほどすると、Y女史が登って来た。鞍部まで来たら山頂がすぐ近くに見えたので、渾身の力を振り絞って登って来たとのこと。
 良かった。「私はいつも気力で登っているのよ」というとおり山頂まで来ることができて本当に良かった。
 ガイドと3人で山頂で昼食を取り、来た道を慎重に下った。聞いたところによると、前日スリップして怪我人が出たとのこと。
 14時30分ネルツナー小屋に戻る。
 テントで待っていたコックが我々の早い帰りにビックリしていた。
 海外の山へ行くとよく耳にすることだが、日本人は歩くのが超遅いvery slowとのこと。「海外の山に行く日本人は定年になったシニアが多い。だから歩くのが遅いのよ。若い人なら早いわよ」と弁解した。
 10デルハムでシャワーを浴び、充実した気持ちで夕食のタジン(この日のタジンはことのほか美味しかった)をいただいた。アルコール類は小屋にもないし誰も飲んでいなかったのでハーブティで乾杯した。
鞍部から山頂方向 ようやく山頂が見えてきました 山頂にて 登山口で知り合ったドイツの若者と

【6月26日】

 朝食を取り7時30分Y女史と2人で一足先に下山する。
 テント(テントといっても今のような化繊の軽いものではない。我々が40年ほど前に使っていたようなキスリング生地のような重いものだ)やキッチン道具、具材、自分たちのマットを手際よく片づけ、ロバに載せてあっという間に我々を追い越して行った。途中の小屋で休憩することなく我々より2時間も早くイムリル村に着いたとのこと。
 彼らのお蔭で登ることができたが、大量の荷物(人数が多くなれば更に大変になる)をロバに積んで小屋まで往復する仕事は大変だと思う。多分報酬もそれほど多いわけではないと思う。ガイドも今回は私達とコミュニケーションができて本当に良かったと言っていた。添乗員付きの日本からのツアーではほとんどお客と話す機会はないからだそうだ。
 イムリル村の民宿で一足先に下ったコックが作ってくれた昼食を取り、荷造りをして車でマラケシュのホテルへ戻った。
 たった3日間ではあったが、楽しいガイドとコックとの山行きは忘れられない旅となった。

登山道に咲いていた花