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吉ケ平山荘前で記念撮影(R会グループ) 災害でダメージを受けた道路も復旧し吉ケ平まで車で入れるようになりました。 |
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吉ケ平山荘前で記念撮影(A氏グループ) 東京からわざわざ来られたかたもいます。 |
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山荘から出発し橋を渡ってすぐ左に水準点あり。 |
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ここで道は左右に分かれ、左は番屋山、右に進みます。 |
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「ほこらば」と読みますが字がちょっと違うね! |
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道は深い草で覆われていて、初めて来た時は迷いそう。 |
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石積みを発見!沢を渡る時の橋の補強だったもよう。 |
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椿尾根に来てようやく休憩。風がないので蒸し暑い。 |
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椿尾根 |
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雪崩と水害で年々崩壊し、道はありません。地元の人がこの日のためにロープを設置してくれた。感謝。感謝。 |
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足場は悪い。沢は深い。慎重な行動が必要です。 |
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山の神に到着しました。ここから急な斜面の登りになります。山道になり旧道は辿れません。 |
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ようやく番屋乗越に到着です。 |
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番屋乗越。河井継之助が「八十里腰抜け武士の越す峠」と詠んだ。 |
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番屋乗越から急斜面のトラバースとなります。雪崩で毎年ルートがなくなります。 |
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少し良い道になると左眼下に大谷ダムからの道路が見えます。 |
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火薬跡。岩に無数の穴が開いていました。 |
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ブナ沢へ向かう。この辺りがこの縦走路のハイライト、見事なブナ林が広がります。 |
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2本目の沢を渡るとブナ沢の杭あり。 |
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またまた石積がみられました。 |
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高倉宮以仁王が住んでいた御所平。空堀は要塞跡。大正末期まで営業していた空堀小屋跡です。 |
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ブナの大木があちこちにあります。 |
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ここで大谷ダムからの道と合流します。 |
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桜の窟 |
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殿様清水。岩の間から冷たい清水がこんこんと湧き出ています。 |
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緑一色、山菜も豊富。ウドが沢山。 |
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ここはいつも遅くまで雪が残るところですが、今年はずっと少なめ。 |
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八十里越えで一番標高が高い峠、鞍掛峠に着きました。。 |
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少し休憩してから出発。 |
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ブナ林の中に水準点を発見。 |
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目だった花はあまりないが、オオイワカガミが僅かに。 |
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右側に黒姫が大きく見えます。 |
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小松横手。ここに来ると前方に浅草岳が大きく見えてきます。「富士を見ぬ人に見せばや陸奥の浅草の山の雪のあけぼの」と以仁王は詠んだ。 |
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オオバキスミレも咲いています。 |
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この辺は見事なブナ林が広がります。 |
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道幅も広くなります。 |
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いよいよ田代平に到着です。 |
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ミツガシワが咲いています。さあ、お昼だ!冷えたビールがうまい! |
【宴会は、ちょっとお見苦しいので割愛させていただきます。】 |
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お昼を食べている間、天候が回復して周りの景色が鮮明になってきました。黒姫と袴腰 |
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さて、楽しい宴会が終わり、出発です。昨年はここは一面の雪の原でした。 |
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林道から分かれ先へ進みます。 |
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また石積発見。沢には必ずこのような補強が見られます。 |
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3つ目の水準点発見。ほとんどの人は知らずに通り過ぎていました。 |
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木の根峠。(八十里峠)ここが新潟県と福島県の境。新潟県側には「田代小屋」、福島県側には「木の根小屋」があり旅人で賑わった。ここから江戸時代に開かれた「古道」、明治14年完成の「中道」、明治27年完成の「新道」に分かれます。古道と中道は現在は廃道になりたどることはできません。 |
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雪消えが遅かったのか、ミズバショウが見頃。 |
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年々沢が削られて深くなり、沢のトラバースには苦労させられます。3年前は8時間半で縦走したのに体力も落ちました。 |
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松ヶ崎。次第に雲行きが怪しくなり、大雨が降ってきました。傘を差したり、雨具を着たり、足元はぬかるみ田んぼの中を歩いているよう。 |
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へつりでは慎重な行動が必要です。 |
「これから2時間雨の中ひたすら歩きました」 |
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16時25分終点「大麻平」に到着。お疲れ様でした。 |