傾月  場面3


空の高いところでは、風が強いのだろう。
雲が流れ、それが日にかかれば、ふと部屋の中はかすかに色濃くなるが、しばらくすれば、また光がまばゆく差し込む。

一度閉じた本は二度目に手に取るには重すぎて、そのまま窓際で日に焼けている。
風が頬を撫でると、その瞬間はなにも聞こえなくなるのを、ただそう意識して感じていた。


トントン、というノックの音に、身をこわばらせる。

「大将ー、いますか? ちょっと、いいですかね。」
「あ、ああ…」

聞きなれた声に、詰まった息を吐き出した。
そんじゃ失礼しますよ、と言葉と同時に扉が開くと、山のように書類を抱えたエースが入ってくる。
「っとと…」
積み上げたファイルの上部分が崩れそうになるのを顎で押さえ、後ろ足で扉を閉めて向き直った。

「あ、今いいですかね?そんなに急ぎじゃあないんですけど、
 ちょっとみてもらいたくって。」

ちょっと…か…
絶句しながらそれがばさばさと机の上に並べなおされるのを見るが、よくもまあ本当に、マメなことだ。

「これがですね、このあたりの地域調査結果ってことで。
 もちろん幾分フェイクはいってますけどね、
 それでこっちは炎の運び手の内部潜入調査結果。
 これは後で妨害が入ったということにして。あ、大将はここ。
 あと経費関連の方にサインをお願いします。」

本当に毎度毎度…ご苦労なことだ。

はぁ、とため息をつくゲドに、エースが、ん、と顔を上げる。目の前の書類にうんざりしているのかと思えば、その顔はかすかに微笑を浮べている。エースはパチパチと瞬いて、ゲドを見た。

驚くほどすんなりと、声は出た。

「いつもすまんな、エース」

「ななななななななんですか、いきなり。」
予想だにしない言葉にエースはガタガタと椅子ごとあとずさった。

「思ったから、言っただけだ」
ゲドはといえば、しれっと起伏のない声でそう口にする。
エースは目を白黒させながら頭をかいていたが、頭を振って、口を開いた。
「そ、そうすか?ああ、いや、なんかもう、ええと…ありがとうございます、うん」
そうしてから、かみ締めるようにゆっくり破顔した。

「…なぜおまえが礼を言う」

「え?いやぁ、ははは、俺も思っただけですよ!だから、いったんですよ」

「そうか」

ふっと笑みがこぼれた。

「いやぁでも、なんていいますか、大将にそんなこと言われるなんて。感激ですよ俺」

そんなに、喜ばれるというのも、なんだか。

「…いつも、いわないからか」
「いやいやいやいやいや!いや、いやですね、
 それは、それはいいんですよ!それはいいんです。」
あわてて手をぶんぶんと振って、必死に否定する。
「それはいいんですよ、俺の仕事ですから。」
がりがり頭をかきながらエースは笑った。

「ただやっぱり口で言われるとね、こう、しみるっちゅーか」
いいながらエースはおどけたしぐさで、胸に手を当てて見せて、
また頭をかいた。


悪くはないのかもしれない、この身に篭る思いを吐き出すのも。
エースの屈託のない顔をみていると、そう思わなくもない。
それはまあ、毎度というわけにはいかないだろうが。

たとえ自分の心の平穏のためだけにでも、
そう割り切ってでも、そう割り切ってみせてでも。
理由などどうでもよく。


と、エースがふふふふふといつのまにか俯きながら肩を震わせているのに気づく。
「?……どうした?」
「ふふふはっはっは、いやね、これでもうデュークの野郎に
 でけえツラさせなくてすみますよホント、これも大将のおかげですよ!」
エースはビシっと向き直ってぎゅっとゲドの手を握った。そしてぶんぶんと振る。

…デューク?

そういや、デュークには感謝しないといけないな。
まあ、いうつもりはないが。


「やあもう、やっぱ大将は最高ですよ!いや、ホント!」

そしてエースはこれでもかというほどに満面の笑みをうかべてさらにぶんぶんと握った手を振るのだった。
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