館林の将棋

 <登場人物>
   ・江戸の古道具屋
   ・館林の宿屋の主



――(地の説明)

江戸の五街道のひとつ・中山道、
板橋から西北へずっと進んだ、上州は館林のほとり。

あいにくの長雨でございます。
とある宿屋の土間から、
年の頃なら四十前後、一人の男が、表へ頭を出しまして、
うらめしそーうな面持ちで、雨空を見上げておりまして……


古道具屋 「やれやれ……不自由な所だ。

 わざわざ上州館林のお武家から、
 『身の回りの古物一切売りたし』なんて手紙が店に届いたんだ。
 『ひょっとして、たいそうな値打物でも?』と見込んだから、
 あっちへ尋ね、こっちへ尋ねして、
 ようよう館林へ買い付けに来てみりゃ……なんでぇ。

 『これは当家に代々伝わる、
 坂田金時ご幼少のみぎり御使用の腹掛けでござる』……ってやがる。
 なんで上州に足柄山の金太郎の腹掛けがあるんだよ。

 あきれたんでサッサと江戸へ戻りてぇが、
 土地不案内のところへ持ってきて、こう天気が悪くちゃ、
 発とうにも発てられやァしねぇ……
 まったく、不自由な所だよ」

宿屋の主 「お客様、茶ァ汲んだで飲みなさるけ?」

古道具屋 「主さんかい、すまないね。戴くよ」

宿屋の主 「お客様ァ、お泊りになられた次の日から、
 館林はハァ、不自由な所だー、不自由な所だーおっしゃるが、
 そうそう悪いとこでもねぇでがんすよ。
 館林城、秋元様ご城下六万石……」

古道具屋 「いやー不自由だよ。
 それが証拠に、私ゃこの長雨で足止めを食ってしばらくたつが、
 退屈で退屈で、体を持て余しちゃって仕方ねぇんだ。

 これが江戸なら、宿屋町で暇を持て余していりゃ、
 すぐ近くにゃ居酒屋がある、ちょっと行けば芝居の掛け小屋がある、寄席がある。
 ここいらは何にもねぇじゃねえか」

宿屋の主 「ああ、お客様ァ、退屈していらしたけェ?」

古道具屋 「当り前じゃねぇか!
 今まで気がつかなかったのかよ!」

宿屋の主 「いやァ、おらァまた、何もおっしゃって来ねェから、
 ずいぶんとハァ、気の長ェ方だのぅ……と思うとったでがんす」

古道具屋 「冗談じゃないよ……。
 で、どうなんだい。何かいい退屈しのぎは無ぇのかな?」

宿屋の主 「いろいろハァあるだな。
 まず、この宿屋の裏手へ回ってもれェますとな……」

古道具屋 「裏手に、いい居酒屋でもあるかい?」

宿屋の主 「いんや。うちの薪割り場があるで、
 そこで薪割りィなさるけ?」

古道具屋 「嫌だよ、退屈しのぎに薪割りなんざ。
 私ゃ使用人でこの宿屋に来た訳じゃないんだから……。
 もっと、楽な退屈しのぎは無ぇかい?」

宿屋の主 「では、うちのミケをお貸しするで、
 ずっと撫でとる、ちゅうのはどうでがんす?」

古道具屋 「一日中、猫なんざ撫でてた日にゃ、猫が餅みてぇに伸びちまわぁ。
 もっと何か無ぇかい?」

宿屋の主 「まんず注文の多いお客様だァね。
 あとはハァ……将棋くらいけェ」

古道具屋 「将棋?
 主さん、どうしてそれを早く言わないんだよ。
 私ゃ、三度の飯より将棋が好きなんだ」

宿屋の主 「ハァ、お客様ァ、将棋がお好きでがんすか。
 ハーッハッハッハッ。
 おらァ、薪割りの方が好きだァ」

古道具屋 「主さんの話はどうだっていいよ。
 ……ん?(耳をすます)
 そういえば、どこかでパチンパチン、将棋の駒の音がしねぇかい?」

宿屋の主 「ああ、今朝方から、町内の者が四・五人来てハァ、
 みんなして将棋ィさしとるでがんす」

古道具屋 「えっ! なんで教えてくれねェんだい。
 教えとくれ、どこでやってんだィ?」

宿屋の主 「ここのフスマ開けた隣の部屋でがんす」

古道具屋 「こっ、こんな近くでやってたのかい!
 カーッ! ここで逢ったが百年目! 盲亀の浮木ウドンゲの!」


――(地の説明)

……まるで親の仇に出くわしたような意気込みですな。

この男、今まで退屈に退屈を重ねていた所へ、
三度の飯より好きな将棋を目の前にしたわけですから、
カーッと頭に血が昇って、フスマを開けると、
今まで静かに盤に向かっておりました町内の者の間に
ズカズカ無理矢理割り込んできた。

古道具屋 「どなたか私と一手、勝負願いたい!」


――(地の説明)

ところが、
勝負事、ことに将棋なんてのは頭を使う遊びですから、
こんなに興奮してちゃ、まともな勝負なんぞできるはずがない。

その場にいた町内の者に、ひと当たり勝負を挑んだものの、
ただのひとつも勝てない。
ふた回りめもダメ、三回りしてもまだ勝てない。
ついにはその宿屋の主の、今年八つになる倅にすら負けちまう。


古道具屋 「くぅー……なんで勝てないんだろう。
 主さん、主さん」

宿屋の主 「なんだね? 薪割り場へ案内するけ?」

古道具屋 「そうじゃないよ。
 この方たちは、地元じゃさぞかし、指折りの将棋さしなんだろう?」

宿屋の主 「いんや。みんなハァ、覚えたての者ばかりでがんす」

古道具屋 「覚えたて?
 うーん……では、もっと将棋の弱い方やなんかは、おられんか?」

宿屋の主 「いんや。将棋をやる者は、もうこれきりでがんす」

古道具屋 「もういないか。……やれやれ、館林は不自由な所だ」


  <完>



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