木火土金水(もくかどごんすい)

 <登場人物>
   ・八五郎
   ・ご隠居



八五郎 「こんちは」

ご隠居 「八つぁんか、こっちへお上がり」

 「いやぁ、今長屋が大騒ぎだぁね」

 「なんぞしたか」

 「熊公の家に泥棒が入ったてン」

 「泥棒? それは空巣か押し入りか?」

 「いえ、空き地でなく熊公の家に」

 「そうではない、入ったのは空巣か、それとも押し入りか?」

 「オシイリ……あっしゃァ見てませんでしたからね、
  おしりから入ったか、頭から入ったかは判らねェ」

 「わからん奴だな。
  留守の家に入るのを『空巣』、家人がおる所へ入るのを『押し入り』てんだ」

 「へぇー。家のモンがいる時に入るんなら、『いる巣』じゃねぇんで?」

 「いる巣てェのがあるか」

 「何ね、幸い、熊公もカミさんもガキも留守にしてましてね、
  泥棒野郎も、大した物は盗まずに、ズラかったみてェなんでやすがね」

 「空巣か。家の者がみな無事で良かったな」

 「しかし何ですね、隠居の所へ来ると、勉強になりますね。
  留守に入るのが『空巣』で、人がいりゃ『押し入り』てんですか」

 「そうだな。古来、泥棒ほど呼び名の多いものは無いな」

 「例えば?」

 「そうだな。よくある所では、賊、盗っ人、かっぱらい。
  かっぱらいの事は掻っさき、昼鳶(ひるとんび)とも言うな。
  コッソリと忍び入るのがコソ泥、これは稀に『ちょっくら持ち』なんと呼ぶ人もいる。
  人の懐中を狙うのがスリ、大阪で言うチボ。
  夜盗、板の間、枕さがしにやじり切り、
  古風な方は『白浪』なんとおっしゃるな」

 「へぇー! 泥棒にもいろんな呼び様があるもんですねぇー。
  さすが隠居さん、町内で噂になってるだけのことはあらァ」

 「町内で? どんな噂だ」

 「あそこの隠居は札付きの物知りだ、って」

 「物知りに札付きてのがあるか」

 「でも、こないだも仲間が言ってましたぜ。
  あの隠居なら、世の中の、シ、シ、シンバラ、シンバラシーヨの事を知ってるだろ、って」

 「それを言うなら、『森羅万象』だ」

 「そうそう、それそれ! 森羅万象、森羅万象!
  で、さっそく一つ訊ねたいんですけど、その森羅万象ってなァ何です?」

 「おかしな聞き方だな。
  森羅万象とはつまり、世の中にあるすべての物のことだな。
  まぁ、話しのついでだ、教えてやろう。
  この世のすべての物は、五行(ごぎょう)で成り立つというな」

 「ドジョウで成り立つ?」

 「五行だよ」

 「ゴボウですか?
  ドジョウだのゴボウだの、柳川みてェなもんで成り立ってんだね、世の中は」

 「黙って聞け。
  これは中国の学問だがな。
  一切の万物は、『木火土金水』の五行から成り、
  互いに相生(そうしょう)し、互いに相剋(そうこく)す。
  これすなわち、『五行相生相剋』の教えだな」

 「何だかさっぱり判らねぇ」

 「いやまぁ、おまえさん方には難しかろう。
  わしも友人の心学の先生からの聞きかじりだからな」

 「今隠居がどさくさに紛れてくっちゃべった、
  木火……ナントカってのは何です?」

 「どさくさとはなんだ。『木火土金水』だ。
  木すなわち樹木、春の意味だ。
  火すなわち炎、これは夏の意味。
  土すなわち大地、これは四季のすべての流れを指すな。
  金すなわち金っ気のもの、金属。これは秋だ。
  そして水すなわち水っ気、これが冬を表すと言われておる」

 「へぇー」

 「五行の相生というのは、この木火土金水の五つが、
  お互いを助け合い、それぞれを生む手助けをする、という教えだ。
  木は摩擦で火を起こす。
  火は燃えることで灰土を生ずる。
  土は地中にて金を埋蔵する。
  金は表面に水気を浮かばす。
  そして水は樹木をはぐくむ。
  これが五行の相生だ」

 「なるほど、うめェこと出来てやすね」

 「また、五行の相剋というのは、この逆だな」

 「逆てぇと、わかった、スイゴンドカモクとでも言おうてェの?」

 「そうではない、意味が逆だてんだ。
  それぞれがお互いに反発しあうさまを説く教えだな。
  木は土中の栄養を奪う。
  土は水流をふさぎ止める。
  水は燃え盛る炎を消す。
  火は金属を溶かす。
  そして金でできた斧は、樹木を切り倒す。
  これが五行の相剋だな」

 「へぇー、これまたうまく出来てやすね。
  それを考えた中国の学者ってのは、よほど頭がいいんだね」

 「そうだな。さらに申せば、
  五行のうち木火は陽、金水は陰に属し、土はその中間にあるともいうな。
  これから、一切の万物は陰陽二気によって生ずという教え、
  これが陰陽五行説だ。
  また、男女の仲を陰陽二気になぞらえて、
  陰陽二気が合わさって万物を創生することから、
  男女の交わりのことを、『陰陽和合』と呼んだりもするな」

 「何です? 男女の交わりが『陰陽和合』?
  あららら、よぉよぉ!
  丁度そろそろ、そんな艶っぽい話の一つも出てこねぇかな、と思ってた所なんでさぁ。
  待ってました! どうするどうする!」

 「娘義太夫じゃないよ。
  まったく、そんな話になると、うれしがってやがる。
  まぁ、五行の教えてのは、ざっとこんなわけだ」

 「はぁー、なるほどねぇー。
  隠居さん、無駄にいろんなこと覚えてますね」

 「無駄にとはどうだ。
  どうだ八つぁん、少しは身に入ったか」

 「そうですねぇ、あっしもいずれ、いい女と陰陽和合してぇ」

 「結局そこか、あれだけいろいろ聞かせて」

 「しかし隠居さん、ホントに世の中の物は、
  なんでも木火土金水で出来てンですかぃ?」

 「ホントだな。
  例えばこの長火鉢がそうだ。
  木で作ってある中に灰がある。
  そこに金でできたヤカンをかけて火をおこし、湯を沸かす。
  木に火に灰にヤカンに湯で、木火土金水だ」

 「へぇー。
  じゃ、この家はどうです?」

 「家か。家とて同じだ。
  木を組み、金の釘を打ち、壁土を塗る。
  人が住めば灯をともし、水を汲むから、木火土金水だ。
  五行をかたどらんという物は、世界に何ひとつ無いな。
  ウォッホン!」

 「言いやがったな? 何ひとつゥ?」

 「ああ、何ひとつ」

 「きっと?」

 「きっと」

 「ちゃんと?」

 「ちゃんと」

 「まさに?」

 「うるさいな! 無いったら無いよ!」

 「じゃぁ伺いますよ隠居、
  人の目の玉ね、これは木火土金水で出来てないでしょう」

 「いや、ちゃんと木火土金水で成り立っておる」

 「そうですかぃ?」

 「そうだとも。
  悲しい時に目から出るのが涙、
  頭をぶつけて目から出るのが火花、
  ひっこんだ目は金ツボまなこ、
  土俵が砂の目に、木が木目、これで木火土金水だ」

 「砂の目に木目たぁ考えやがったね、畜生!
  なんか無ぇかな……。うーん……。
  そうだ、さっき熊公の家に入った泥棒ね。
  あの泥棒にゃぁ、木火土金水は無ぇでしょう?」

 「泥棒? 泥棒は、あれは……生き物だ」

 「生き物だって何だって、
  『五行をかたどらん物は、世界に何ひとつ無い』とか、
  隠居さっき、でけぇタンカ切ったじゃねぇですかぃ?
  泥棒に木火土金水はあるんですかぃ?」

 「あぁ……泥棒にも木火土金水は、ある」

 「ありますか?」

 「まず、泥棒という呼び名だな。
  泥すなわち土、棒すなわち木だ」

 「泥が土で、棒が木?
  そこから攻めて来るとは思わなかった」

 「泥棒のまたの名を白浪、浪すなわち水だ」

 「白浪で水。これで三つだ」

 「また別の呼び名で『昼鳶』という。
  鳶は火事と縁があるから、火だ」

 「それは苦しいなぁ」

 「うるさい! 五行に苦しいも苦しくないもあるか!
  じゃ、火事場泥棒てのがあるだろ、それでいい!」

 「だんだん怪しくなってきやがったね。
  なになに、泥と棒で土と木、白浪で水、火事場泥棒で火……
  ん? あと一つ、金が無ぇですぜ。金はどうしました?」

 「ええい、金が無いから泥棒をするんだ!」


  <完>



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