木火土金水(もくかどごんすい)
<登場人物>
・八五郎
・ご隠居
八五郎 「こんちは」
ご隠居 「八つぁんか、こっちへお上がり」
八 「いやぁ、今長屋が大騒ぎだぁね」
隠 「なんぞしたか」
八 「熊公の家に泥棒が入ったてン」
隠 「泥棒? それは空巣か押し入りか?」
八 「いえ、空き地でなく熊公の家に」
隠 「そうではない、入ったのは空巣か、それとも押し入りか?」
八 「オシイリ……あっしゃァ見てませんでしたからね、
おしりから入ったか、頭から入ったかは判らねェ」
隠 「わからん奴だな。
留守の家に入るのを『空巣』、家人がおる所へ入るのを『押し入り』てんだ」
八 「へぇー。家のモンがいる時に入るんなら、『いる巣』じゃねぇんで?」
隠 「いる巣てェのがあるか」
八 「何ね、幸い、熊公もカミさんもガキも留守にしてましてね、
泥棒野郎も、大した物は盗まずに、ズラかったみてェなんでやすがね」
隠 「空巣か。家の者がみな無事で良かったな」
八 「しかし何ですね、隠居の所へ来ると、勉強になりますね。
留守に入るのが『空巣』で、人がいりゃ『押し入り』てんですか」
隠 「そうだな。古来、泥棒ほど呼び名の多いものは無いな」
八 「例えば?」
隠 「そうだな。よくある所では、賊、盗っ人、かっぱらい。
かっぱらいの事は掻っさき、昼鳶(ひるとんび)とも言うな。
コッソリと忍び入るのがコソ泥、これは稀に『ちょっくら持ち』なんと呼ぶ人もいる。
人の懐中を狙うのがスリ、大阪で言うチボ。
夜盗、板の間、枕さがしにやじり切り、
古風な方は『白浪』なんとおっしゃるな」
八 「へぇー! 泥棒にもいろんな呼び様があるもんですねぇー。
さすが隠居さん、町内で噂になってるだけのことはあらァ」
隠 「町内で? どんな噂だ」
八 「あそこの隠居は札付きの物知りだ、って」
隠 「物知りに札付きてのがあるか」
八 「でも、こないだも仲間が言ってましたぜ。
あの隠居なら、世の中の、シ、シ、シンバラ、シンバラシーヨの事を知ってるだろ、って」
隠 「それを言うなら、『森羅万象』だ」
八 「そうそう、それそれ! 森羅万象、森羅万象!
で、さっそく一つ訊ねたいんですけど、その森羅万象ってなァ何です?」
隠 「おかしな聞き方だな。
森羅万象とはつまり、世の中にあるすべての物のことだな。
まぁ、話しのついでだ、教えてやろう。
この世のすべての物は、五行(ごぎょう)で成り立つというな」
八 「ドジョウで成り立つ?」
隠 「五行だよ」
八 「ゴボウですか?
ドジョウだのゴボウだの、柳川みてェなもんで成り立ってんだね、世の中は」
隠 「黙って聞け。
これは中国の学問だがな。
一切の万物は、『木火土金水』の五行から成り、
互いに相生(そうしょう)し、互いに相剋(そうこく)す。
これすなわち、『五行相生相剋』の教えだな」
八 「何だかさっぱり判らねぇ」
隠 「いやまぁ、おまえさん方には難しかろう。
わしも友人の心学の先生からの聞きかじりだからな」
八 「今隠居がどさくさに紛れてくっちゃべった、
木火……ナントカってのは何です?」
隠 「どさくさとはなんだ。『木火土金水』だ。
木すなわち樹木、春の意味だ。
火すなわち炎、これは夏の意味。
土すなわち大地、これは四季のすべての流れを指すな。
金すなわち金っ気のもの、金属。これは秋だ。
そして水すなわち水っ気、これが冬を表すと言われておる」
八 「へぇー」
隠 「五行の相生というのは、この木火土金水の五つが、
お互いを助け合い、それぞれを生む手助けをする、という教えだ。
木は摩擦で火を起こす。
火は燃えることで灰土を生ずる。
土は地中にて金を埋蔵する。
金は表面に水気を浮かばす。
そして水は樹木をはぐくむ。
これが五行の相生だ」
八 「なるほど、うめェこと出来てやすね」
隠 「また、五行の相剋というのは、この逆だな」
八 「逆てぇと、わかった、スイゴンドカモクとでも言おうてェの?」
隠 「そうではない、意味が逆だてんだ。
それぞれがお互いに反発しあうさまを説く教えだな。
木は土中の栄養を奪う。
土は水流をふさぎ止める。
水は燃え盛る炎を消す。
火は金属を溶かす。
そして金でできた斧は、樹木を切り倒す。
これが五行の相剋だな」
八 「へぇー、これまたうまく出来てやすね。
それを考えた中国の学者ってのは、よほど頭がいいんだね」
隠 「そうだな。さらに申せば、
五行のうち木火は陽、金水は陰に属し、土はその中間にあるともいうな。
これから、一切の万物は陰陽二気によって生ずという教え、
これが陰陽五行説だ。
また、男女の仲を陰陽二気になぞらえて、
陰陽二気が合わさって万物を創生することから、
男女の交わりのことを、『陰陽和合』と呼んだりもするな」
八 「何です? 男女の交わりが『陰陽和合』?
あららら、よぉよぉ!
丁度そろそろ、そんな艶っぽい話の一つも出てこねぇかな、と思ってた所なんでさぁ。
待ってました! どうするどうする!」
隠 「娘義太夫じゃないよ。
まったく、そんな話になると、うれしがってやがる。
まぁ、五行の教えてのは、ざっとこんなわけだ」
八 「はぁー、なるほどねぇー。
隠居さん、無駄にいろんなこと覚えてますね」
隠 「無駄にとはどうだ。
どうだ八つぁん、少しは身に入ったか」
八 「そうですねぇ、あっしもいずれ、いい女と陰陽和合してぇ」
隠 「結局そこか、あれだけいろいろ聞かせて」
八 「しかし隠居さん、ホントに世の中の物は、
なんでも木火土金水で出来てンですかぃ?」
隠 「ホントだな。
例えばこの長火鉢がそうだ。
木で作ってある中に灰がある。
そこに金でできたヤカンをかけて火をおこし、湯を沸かす。
木に火に灰にヤカンに湯で、木火土金水だ」
八 「へぇー。
じゃ、この家はどうです?」
隠 「家か。家とて同じだ。
木を組み、金の釘を打ち、壁土を塗る。
人が住めば灯をともし、水を汲むから、木火土金水だ。
五行をかたどらんという物は、世界に何ひとつ無いな。
ウォッホン!」
八 「言いやがったな? 何ひとつゥ?」
隠 「ああ、何ひとつ」
八 「きっと?」
隠 「きっと」
八 「ちゃんと?」
隠 「ちゃんと」
八 「まさに?」
隠 「うるさいな! 無いったら無いよ!」
八 「じゃぁ伺いますよ隠居、
人の目の玉ね、これは木火土金水で出来てないでしょう」
隠 「いや、ちゃんと木火土金水で成り立っておる」
八 「そうですかぃ?」
隠 「そうだとも。
悲しい時に目から出るのが涙、
頭をぶつけて目から出るのが火花、
ひっこんだ目は金ツボまなこ、
土俵が砂の目に、木が木目、これで木火土金水だ」
八 「砂の目に木目たぁ考えやがったね、畜生!
なんか無ぇかな……。うーん……。
そうだ、さっき熊公の家に入った泥棒ね。
あの泥棒にゃぁ、木火土金水は無ぇでしょう?」
隠 「泥棒? 泥棒は、あれは……生き物だ」
八 「生き物だって何だって、
『五行をかたどらん物は、世界に何ひとつ無い』とか、
隠居さっき、でけぇタンカ切ったじゃねぇですかぃ?
泥棒に木火土金水はあるんですかぃ?」
隠 「あぁ……泥棒にも木火土金水は、ある」
八 「ありますか?」
隠 「まず、泥棒という呼び名だな。
泥すなわち土、棒すなわち木だ」
八 「泥が土で、棒が木?
そこから攻めて来るとは思わなかった」
隠 「泥棒のまたの名を白浪、浪すなわち水だ」
八 「白浪で水。これで三つだ」
隠 「また別の呼び名で『昼鳶』という。
鳶は火事と縁があるから、火だ」
八 「それは苦しいなぁ」
隠 「うるさい! 五行に苦しいも苦しくないもあるか!
じゃ、火事場泥棒てのがあるだろ、それでいい!」
八 「だんだん怪しくなってきやがったね。
なになに、泥と棒で土と木、白浪で水、火事場泥棒で火……
ん? あと一つ、金が無ぇですぜ。金はどうしました?」
隠 「ええい、金が無いから泥棒をするんだ!」
<完>