聞き上手

 <登場人物>
   ・山田会長(危篤状態)
   ・病院の院長(会長の友人)
   ・会長の息子・豊
   ・会長の部下・平林
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 <回想シーン>
   ・ガキ大将
   ・番長
   ・洋食屋の店員・店長、ほか

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   ・息子の妻・弘子、ほか
   ・会長の妻



――(マクラ)

人間、いろんな欲がありまして、
中でも近年、注目されているのが、自己主張欲。
目立ちたいとか、自分の意見を通したいとか、
いい服を着て街の中で注目を浴びたいとか、
ここらがみんな自己主張欲ですな。

何人か集まった中に自己主張欲の強い人がいると、
一方には必ず、それを受け止める係として、聞き役もおります。
バランスを保つ関係なわけですな。

もっとも、だからって、聞き役に自己主張欲が無いのかというと、
決してそんなことは無いのですから、人間関係はややこしいわけで。



――(病院の集中治療室)

息子 「(小声)院長先生、父の病状はどうなんでしょうか……」

院長 「(小声)せがれさん……豊さんでしたか。
  はっきり申しまして、山田会長は、
  今日の午後、夕方あたりが峠でしょう……」

息子 「今日の夕方ですか……。
  思えば父も、今年で満90歳ですし、
  一人で会社をおこして生涯働きづめの人生……
  仮にこのまま万が一のことがあっても、
  きっと思い残すことは無かろうと思うんです……」

院長 「医者の私が今こんなことを言うのは何ですが、ご寿命でょう……。
  ところで、会長の奥様は、まだおいでには?」

息子 「母は所用でしばらく来られない、と連絡がありました。
  会社の皆さんはもうじきお見えだと思いますが……。
  間に合えばいいけど……」

――(ドアをノックする音)

院長 「はい」

部下 「会長ーっ!」

息子 「秘書室長の平林さん! 来てくださいましたか」

部下 「会長ーっ! なんで死んじゃったんですかー!
  僕はまだまだ会長から学びたいことが、一杯あったんですー!
  なのに、会長ーっ!」

息子 「あの……平林さん、父はまだ存命で……」

部下 「……は?
  なんだ、まだでしたかー。ちょっとフライングでしたねー。ははははは。
  ちょっとメシ食ってきますんで、またのちほどー!」

息子 「なんだありゃ……」

院長 「それにしても、豊さん、
  このひと月ばかり、ずっと会長のご看病に付きっきりでいらしたが、
  お疲れではないですか?」

息子 「いやぁ、これも最後の親孝行です。
  ひと月付きっきりだったおかげで、今までの人生で一番、
  父とたっぷり会話ができました。
  何しろ、仕事仕事、母や家庭よりもまず仕事で、
  家には滅多にいない人でしたから……」

院長 「仕事ひと筋の方でしたからなー」

息子 「ええ、得意先の接待以外、遊びらしい遊びを自分からはしませんでしたし、
  酒の方ももっぱら、付き合い酒専門で……」

院長 「酒ですか。私も会長とはよくご一緒させてもらいましたが、
  いつも驚かされてましたよ」

息子 「何かありましたか?」

院長 「いえ、何もなさらないんですな。
  酒場では、常に聞き役、聞き上手。
  自分でリーダーシップを決して取らないかわりに、
  会話を盛り上げるのが実に上手でらっしゃった」

息子 「ええ、父はそういう所がある人です。
  たまに一家で団欒する機会があっても、常に聞き役、聞き上手。
  威張ったり、自分の考えを押しつけたりは、決してしなかった」

院長 「聞き役、聞き上手か……。
  それで会長のお名前は、“山田きくぞう”とおっしゃるんですか」

息子 「そういうわけではないと思うんですか……」

院長 「しかし、それにしても不思議ですな」

息子 「何か?」

院長 「ビジネスマンを長くやっていれば、必ずストレスが蓄積して、
  結果的に内臓を悪くしたり、血液循環機能に障害が出たりするものですが、
  会長はまったくその気配すらなかった……。
  なぜストレスを貯めることなく、90歳まで聞き上手で過ごせたのか……
  それが不思議なんです」

息子 「先生、それでしたら、思い当たるフシがあります」

院長 「何でしょう」

息子 「きっと、慣れのせいだと思うんです」

院長 「慣れ、ですか?」

息子 「ええ。このひと月、父からいろんな話を聞きました。
  恐らく、遺書がわりにいろいろしゃべっておきたかったんでしょうが、
  その中で……
   父はもともと、特に聞き上手ではなかったそうです。
  それが、幼少の頃から、周囲に自己主張の強い人間が居続けたために、
  父は自然と、聞き役としての会話術を
  会得したのではないかと……」

院長 「なるほど。私は精神科の方は専門外だが、
  ストレスの浄化手段を、聞き役に徹しているうちに、何か見出したわけですか」

息子 「こんな話を聞かされました。
  父がまだ幼い頃です。子供同士で集まって遊ぼう、って時に、
  父が、『トンボ採りしよう!』と提案したら、
  あとから現われた図体のでかいガキ大将が、
  『いや、川でフナを釣るんだ』と言って聞かない。
  『トンボ採り!』『フナ釣り!』
  『トンボ採り!』『フナ釣り!』
  『トンボ採り!』とやってるうちに、ガキ大将がひときわ声をあげて、
  『フーナー釣ーりーっ !!』
  …(意気消沈した声で)『うん。』って」

院長 「言い負かされたんだ」

息子 「ええ。それ以来、父は今日まで、
  いくら得意先に誘われても、釣りだけはしなかったそうです」

院長 「ははぁ……」

息子 「また、こんな話も聞かされました。
  中等学校の頃……今で言うと14〜15歳の頃に、
  学校行事で山へ行くことになったんだそうです。
   で、『明日の天気をゲタで占おう』ってことになって、
  父が履いていたゲタをポーンと飛ばしたら、
  表にも裏にもならず、横になったんです」

院長 「表は晴れで、裏は雨だが、横は……」

息子 「横は曇りなんです。
  それで父が、『明日は曇りだー』と言ったら、
  あとから現われた図体のでかい番長が……」

院長 「また図体のでかいのが現われたか」

息子 「『バカヤロー! ゲタが横になったら、台風に決まってるだろー!』
  と言って聞かない。
  『曇り!』『台風!』
  『曇り!』『台風!』
  『曇り!』とやってるうちに、番長がひときわ声をあげて、
  『曇ーりーだーろーっ !?』
  …(意気消沈した声で)『はい。』って」

院長 「また言い負かされたんだ」

息子 「ええ。それ以来、父の町内では、
  『ゲタが横になると明日は台風』という俗説が広まってしまいました。
   あと、父はその日以来、ゲタを履くのをやめたそうです」

院長 「そういうものかもしれないね。
  ちなみに翌日の天気は……」

息子 「はい、曇りだったそうです」

院長 「覚えてるね、また……。
  会長はそんなに執念深い人だったのか」

息子 「そんなことがずっとあって、社会に出て働く頃には、
  すっかり聞き上手な性格の下地が出来上がっていたようです。

   そうそう、働くといえば、父が会社をおこすキッカケも、
  聞き上手の性格がかかわっているんですよ。

   勤め先の同僚と、近所の洋食屋へ昼飯を食いに行きまして。
  仲間の一人が、『ここのオムライスは絶品だよ!』と勧めたんで、
  その場の4〜5人全員で、オムライスを注文したんだそうです。
   しばらく待たされた末に、ようやく運ばれて来たんですが、
  なぜか一皿足りなかった。
   父はああいう性格ですから、他の同僚に回して、
  自分だけまた待ってたんですが、いくら待っても残りの一皿が来ない。
  とうとう、同僚が全員食べ終わっちゃったのに、まだ来ない。
   さすがの父も怒りまして、『おーい!』と怒鳴りこもうとした寸前に、
  運ばれて来ました」

院長 「来たか、オムライスが」

息子 「いえ、天津飯でした」

院長 「天津飯? 全員一緒にオムライスを注文したんじゃなかったのか?」

息子 「で、ますます怒りましてね。
  その天津飯を運んで来た、図体のでかい店員を呼び止めまして……」

院長 「やっぱり図体がでかいんだ」

息子 「『きみ! 何だコレは!』と。
  『他の同僚はちゃんとオムライスが来て、なんで私だけ天津飯なんだ !?』と。
  『店主を呼べー!』と怒りまして」

院長 「怒るだろう」

息子 「と、奥から、その店員より一回り大きい店員が現われましてね。
  ひとこと、
  『店で騒ぐヤツは誰だーっ !?』
  …(意気消沈)『ごめんなさい。』って」

院長 「謝っちゃったのか」

息子 「そのまま、おとなしく天津飯を食って帰ったそうです」

院長 「気の毒だなぁ。
  結局、その絶品のオムライスは食べられずじまいだったわけか。
   で、後日改めて食べたのか」

息子 「いえ、そんなことがあったので、しばらくはそこへ行けなくて、
  そうこうしているうちに、お店が潰れてしまったんだそうです。
   それからの父は、『何としてもその絶品オムライスに巡り合いたい』と、
  あっちのレストラン、こっちの洋食屋と、
  美味しいという噂を聞いたオムライスの店をしらみつぶしに渡り歩いて、
  その結果、日本一のオムライスの権威、オムライス博士になったのは、
  先生もご存じのとおりです。

   で、それをキッカケに会社を辞め、オムライス専門店のオーナーになって
  大成功したわけですから、世の中何がキッカケで成功するか、
  まったく判らないものです」

院長 「本当ですなぁー」

――(ノックの音)

院長 「はい」

息子の妻 「あなた、お父さまは?」

息子 「おお弘子か。みんなも一緒だな。
  先生、うちの家内と息子、それに叔父叔母、いとこです」

院長 「どうも初めまして。
  (小声)山田会長は、今日の夕方頃が峠かと……」

息子の妻 「そうですか……いろいろお世話になりまして、ありがとうございます……。
  あの、お礼というほどの物じゃございませんが、どうぞお納め下さい……」

院長 「何ですか?」

息子の妻 「ウチの子会社で作った
  ひとくちサイズのオムライス、『オムパクンチョ』です」

院長 「あ…ありがとうございます。あとでいただきます」

息子の妻 「それはそうとあなた、
  昨日お父さまの書斎の本棚を片付けていたら、
  こんなものがいっぱい出てきたの」

息子 「ん? 原稿用紙の入った封筒か。全部親父の字だな。
  どれどれ……『童話・たぬきの満月仮面』?
  これが親父の本棚から?」

院長 「ははぁー、なるほど!
  会長さんのストレス発散法は、それだったんですよ!」

息子 「この童話がストレス発散ですか?
  しかし、こっそり一人で書いた童話なんて、誰も読む者がいなくては……」

院長 「いや、これはあくまで仕事ではなく趣味ですから。
  趣味ならば、自己満足でもいいんです。
  要は、盆栽を育てて楽しむ感覚ですよ」

息子 「そんなもんですか。
  しかし、いったいどんな童話を書いてたんだ? えーと……。

  『えーんえーん、熊のおじさんがいじめるよー』」
  『よぉーし、このたぬきのポン吉が、正義の味方・満月仮面に変身して
   こらしめてやるー!』
  『アイタタタ! やっぱりやられちゃった〜』
  『満月仮面さん! 上半身しか変身してないよ!』
  『ありゃ〜! シッポを出してちゃかなわないや!』

  ……なんだこりゃ !?」

息子の妻 「童話っていうか、4コマ漫画みたいね」

院長 「いいんですよ、自己満足なんですから。
  どんなにバカバカしくて、くだらなくても!」

息子 「先生も、そこまでひどく言わなくても」

――(ノックの音)

部下 「失礼しますー。平林ですー。
  改めて会社の者と一緒に参りましたー。
   おや、その原稿用紙、何ですか?
  会長が? へぇー。どれどれ。
  あはははは、面白いですねーこれ。
   よし! 来月の社内報に載せましょう!」

息子 「よした方がいいと思いますが……」

院長 「ん? いかん!」

息子 「先生どうしました?」

院長 「血圧が下がり始めた。様態が悪化してきたようだ。
  誰か、主治医と看護婦を呼んで!」



 部屋が騒然となって時がたつ……。
 病室の窓から夕日が差しこむ……。
 駆けつけた多勢の親族と社員が、
会長の横たわるベッドを取り囲んで、
固唾を飲んで見守る中、聞こえるのは、
心拍測定機の、ピン、ピン、という金属音……。
 しかしその音も、だんだん、だんだん、弱まってくる……。

 医者が会長の手首を取って、脈を計ろうとした、その時……

ズンズンズンズンズン !!

院長 「な、なんだあの地響きは !?」

息子 「母です! 間に合ったんだ!」

――(バタン!とドアを開けて)

母 「こらアンターっ !!」

院長 「うぉっ !? 老婆の格好をしたプロレスラーか !?
  あああ、あなたが、その……」

母 「アタシ !? アタシゃこの男の女房だよ !! 文句あんの !?」

院長 「いや、文句はありませんが……、
  患者が危篤状態ですので、お静かに……」

母 「うるさいねー !!
  最愛の夫が死ぬから、忙しい中、駆けつけて来たんじゃない !!
  長年連れ添った女房を、なめんじゃないよー !!
  アンターっ !!
  なに死んでんのよーっ !?
  まだ死なれちゃ困るのよーっ !!
  アンターっ !! アンターっ !!


  死ぬなーっ !!」

 「……はい」

院長 「おお、持ち直した」



 それからこの山田会長、危なくなると「死ぬなー!」を繰り返し、
ついには160歳まで長寿を保った、と申します。

『聞き上手』という、おめでたいお噂。



  <完>



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