雉無名の音楽空間

アッテルベリの音楽


20世紀のスウェーデンを代表する作曲家の一人、クット・アッテルベリの作品をご紹介するページです。
(当面は交響曲のみ。今後、他のジャンルの作品も紹介する予定です)

アッテルベリについて
 
【交響曲リスト】
曲名 作品番号 作曲年代
交響曲第1番ロ短調 31910
交響曲第2番ヘ長調 61911-13
交響曲第3番ニ長調『西海岸の描画』 101914-16
交響曲第4番ト短調『小交響曲』 141918
交響曲第5番ニ短調『葬送交響曲』 201922
交響曲第6番ハ長調 311927-28
交響曲第7番『ロマン的交響曲』 451941-42
交響曲第8番 481944-45
交響曲第9番『幻影交響曲』 541955-56

※cpoのラシライネン指揮によるアッテルベリ交響曲シリーズでは、
第7番以降の曲の調性が明記されていないため、
本ページでもそれに準じました。



交響曲第1番 ロ短調 作品3 (1910年)


 アッテルベリは1908年から1909年にかけて「ピアノと管弦楽のためのラプソディ 作品1」と「弦楽四重奏曲 作品2」を作曲して、作曲家としてのキャリアを開始しました(習作ならそれ以前にも作曲しています)。そしてその頃に最初の交響曲の作曲も始まり、1910年に完成しました。初演は1912年1月にイェーテボリで行わました。作品の評判は良く、後にストコフスキーやシリングス、ニールセンらもこの曲を指揮しています。

 交響曲第1番は、初めての交響曲であり、管弦楽作品としても「ラプソディ」に次ぐ2番目の作品であるにも関わらず、極めて熟達した筆致で書かれています。作品としての完成度も、音楽的な密度も、後年の作品と比べて一歩も引けをとらないのには驚かされます。ブラームスの影響の色濃い部分もありますが、ほの暗い情感、雄大にして色彩的なオーケストレーションには、既にアッテルベリの持ち味が現れています。

第1楽章 Allegro confuoco
 ブラスの和音が鳴り響いたあと、大河の流れを思わせる第1主題がほとばしるように奏され、曲が開始されます。この第1主題は、ワルツのテンポによる3拍子で書かれているせいもあって、ブラームスの「交響曲第3番 ヘ長調」に似た雰囲気を持っています。そしてその類似の感は第2主題への移行部分、木管が波打つような装飾的モチーフを奏するところで、いっそう強まります(というか、そのまんまです (^^; )。
 第2主題は牧歌的で、穏やかさの中に物悲しさを秘めています。第3のテーマともいうべき金管の堂々たるテーマが奏されたあと、展開に入りますが、ここではいっそう雄大なスケールのオーケストレーションによって(ティンパニの連打が効果的)、堂々たる貫禄の音楽が展開されてゆきます。

第2楽章 Adagio
 冒頭で弦によって奏される牧歌的なテーマを自由に展開した緩徐楽章です。テーマは高原の草花が風に揺れる様を思わせる清楚な表情を聴かせるかと思えば、雄大な盛り上がりをみせるなど、様々に姿を変えます。いかにもアッテルベリらしい、北国の自然の哀感を感じさせる音楽です。

第3楽章 Presto
 スケルツォに相当する楽章。冒頭から木管のこぼれんばかりの色彩に引き込まれます。2つのテーマがあるときは風のように軽やかに戯れ、あるときは土俗的な荒々しさを伴って突進します。オーケストラの色彩の変幻自在な表情は本当に見事という他ありません。

第4楽章 Adagio - Allegro energico
 この楽章には5分ほどの長い序奏部が付いています。第2楽章のテーマによく似た叙情的な旋律を二人のヴァイオリン独奏が奏し、木管が引き継ぎます。この切なく美しい序奏の後、民謡風のヒロイックな第1主題(格好いい!)をホルンが奏し、主部が開始されます。第2主題は叙情的で、音楽にすがすがしい表情を添えていますが、全体としては極めて劇的な性格の音楽であり、並ならぬ闘争の意思が感じられます。結尾では力強い盛り上がりの中でホルンのテーマが再現され、堂々と曲を閉じます。



交響曲第2番 ヘ長調 作品6 (1911-13年)


 1910年に「交響曲第1番」を完成させたアッテルベリは、その翌年の1911年に早くも2番目の交響曲に着手しました。この曲は当初は急速な第1楽章と、緩徐楽章とスケルツォの要素を併せ持った第2楽章から成る2楽章の交響曲として書かれました。そしてその形での初演を1912年12月にイェーテボリで行いました。

 ところが、やや異例な構成を持ったこの交響曲は(交響曲以外ならベートーヴェンのピアノソナタ第32番という先例があるのですが)、聴衆や評論家を戸惑わせてしまったようで、”未完成の曲”と見なされ批判されました。そこでアッテルベリは急速な第3楽章を新たに作曲し、3楽章の交響曲としました。この形での初演は1913年7月に行われました。後にニキシュやR・シュトラウス、ハウゼッガーらもこの曲を指揮しています。

 この曲は牧歌的な雰囲気が基調になっています。特に第1楽章はアッテルベリとしては明るい曲想の音楽となっていて、独自な魅力を湛えています。上記のように後から”フィナーレらしい”第3楽章を付けたために、曲の性格が曖昧になってしまったのは否めませんが、それでも十分に完成度の高い名作となっています。

 第2楽章と第3楽章ではピアノが使われており、隠し味的な効果をあげています。

第1楽章 Allegro con moto - Maestoso - Largamente
 アッテルベリの作品は短調の曲が多く、独特の悲愴感を帯びたテーマが大きな特徴となっていますが、この第2番の第1楽章は珍しく長調らしい明るさを感じさせる楽章となっています。「モーツァルトの短調」に対抗して「アッテルベリの長調」という言葉を作ってもいいんじゃないかと思うほどで、私はよくこの楽章だけを取り出して聴きます。
 木管による鳥の声のようなモチーフに導かれてホルンが朗らかな感じの第1主題を奏し、牧歌的な雰囲気を醸し出します。金管の合奏による厳かな感じの経過句のあと、弦が安らいだ感じの第2主題を奏します。そして重厚なオーケストレーションによって山の自然の中で憩うかのような大らかな雰囲気の音楽が展開されます。

第2楽章 Adagio - Presto - Adagio - Presto - Adagio
 この楽章は、上記の速度標語で示されているように、アダージョの緩徐部分とプレストのスケルツォ部分が交互に配置された5部構成になっています。
 緩徐部分はアッテルベリらしい哀感を帯びた旋律が中心になっていて、1番目の緩徐部では雄大なオーケストレーションをまとって崇高感に満ちた盛り上がりをみせる様が感動的です。一方、スケルツォ部分は舞曲風の躍動的な曲想で、1番目のスケルツォ部では足を踏み鳴らして踊るかのような粗野な表現も聴かれます。そして最後の緩徐部では再び音楽が高揚し、この上なく崇高なクライマックスによって、この楽章が閉じられます。確かに、この楽章で曲が閉じられても、一向に差し支えないように感じられます。そのほうが、この曲の叙情的な性格が引き立ったのではないかと思います。

第3楽章 Allegro con fuoco - Tranquillo - Adagio - Tempo 1 - Maestoso
 1913年にフィナーレとして新たに作曲された楽章です。
 嵐のような短い序奏に導かれて、第1番のフィナーレによく似たヒロイックなハ短調の第1主題が、金管の合奏によって奏されます。第2楽章結尾での高揚を受けて、闘争的な曲想が堰を切ったようにほとばしるような持って行き方になっています。第1楽章の雰囲気を受け継いだような明るい第2主題が弦によって奏されたあと、テンポが頻繁に変化して緩急の起伏の激しい音楽が展開され、その中で第2楽章の緩徐部分の曲想も回想されます。そして最後は長調に変形された第1主題が堂々と奏され、曲は明るく輝かしく閉じられます。



交響曲第3番 ニ長調 『西海岸の描画』 作品10 (1914-16年)


 スウェーデンの南西部は、スウェーデンで唯一、西に面した海岸のあるところです。南西部の中心都市イェーテボリよりも北の海岸からは、北海を望むこともできます。アッテルベリはこのイェーテボリの近郊で暮らしていたようです(手元にある資料には、はっきりそうとは書いてありませんが、たぶん)。彼の作品の多くはイェーテボリで初演されています。

 アッテルベリは交響曲第2番の現行フィナーレを書いたあと、その翌年の1914年から1916年にかけて、イェーテボリ近郊の小島スカフテランデットにある小さな町ストケヴィクで、西海岸の海の風景を題材にした3つの管弦楽曲を作曲しました。そのうち最初に書かれた2曲はそれぞれ独立した曲としてイェーテボリで初演されましたが、その後、最後の1曲を作曲したときに、3つの曲を交響曲としてまとめることを思いつきました。こうして最終的に交響曲第3番『西海岸の描画』として完成された作品は、1916年11月にストックホルムで初演されましたが、後にイェーテボリで第3楽章のみ単独で披露されました。

 このような経緯で作曲された曲だけに、交響曲らしい構成を持たず、幻想的な表現の顕著な交響詩風の作品となっています。アッテルベリならではの、ほの暗い情感や色彩的なオーケストレーションが存分に発揮された傑作です。

第1楽章「太陽の霧」 Lento
 静かに太陽が照り、海の上に横たわっている”太陽の霧”(かげろうのようなものか?)が次第に消えてゆく情景を描いています。低弦がゆらめくようなモチーフを繰り返す中で、ホルンや木管がのどかな旋律を歌い、けだるい雰囲気を醸し出しますが、旋律が弦に引き継がれるとほの暗い感じになり、打ち寄せる大波のような短いクライマックスになります。中ほどでは明るく晴れ渡ったような表情を垣間見せます。大波のクライマックスの再現のあと、音楽は余韻を残しつつ消えてゆきます。

第2楽章「嵐」 Con fuoco
 吹き荒れる風、打ち寄せる波、舞い上がる水しぶき・・・凄まじい嵐の情景を、持ち前の卓越したオーケストレーションで生々しく描いています。テーマは勇壮にして物悲しく、アッテルベリの本領発揮といったところです。合間に2箇所、穏やかな部分が挿入されていますが、これは嵐の猛威の及ばないフィヨルドの内海の静寂を表しています。この部分のヴァイオリン・ソロの旋律がまた何とも言えぬ不思議な雰囲気を醸し出しています。最後の方で新しいテーマが現れて盛り上がりますが、やがて音楽は静まり、平穏な雰囲気のうちに締めくくられます。

第3楽章「夏の夜」 Adagio - Molto vivace
 全曲の半分ほど(約18分)を占めるこの楽章は、夏の海の夜と夜明けの情景を描いています。暗く沈んだ序奏から始まり、フルートが民謡風の物憂げな旋律を歌います。この夜のテーマが弦やオーボエに引き継がれて連綿と歌われたあと、音楽は打ち寄せる大波のようなクライマックスを迎え、切ないまでの憧れを歌い上げます。大波が引き、夜のテーマを弦が静かに歌った後、メンデルスゾーンの劇音楽『真夏の夜の夢』の「スケルツォ」によく似たメルヘン風の旋律が現れ、幻想的な情景を描きます。そして再び大波が打ち寄せ、夜のテーマを金管が情熱的に歌います。
 最後の大波が引いた後、木管や弦によるきらめくようなオスティナート(短小なモチーフの繰り返しによる伴奏)が現れ、それに乗ってホルンが清々しい旋律を歌い、夜明けの到来を告げます。音楽は次第に高揚してゆき、金管が夜明けの讃歌を雄大に歌い上げます。そして最後に音楽は静まり、明朗な気分のうちに締めくくられます。

 この曲が発表されたすぐ後に、アルヴェーンが交響曲第4番『海辺の岩礁から』(1918〜1919年)を作曲していますが、やはりほの暗く物悲しい感じの曲になっているのが興味深いです。スウェーデン人が海に対して抱く心象とは、このようなものなのでしょうか?



交響曲第4番 ト短調 『小交響曲 Sinfonia piccola』 作品14 (1918年)


 アッテルベリは1917年の秋に最初のオペラを完成させた直後に4番目の交響曲を書き始め、1918年に完成しました。初演は1919年にストックホルムで行われました。後にメンゲルベルクが1922年にアムステルダムでこの曲を指揮しています。

 この曲では、スウェーデン民俗音楽集に掲載されていた旋律を、4つの楽章のテーマとして用いています。4つの楽章は間を置かずに演奏されます。『小交響曲』のタイトルの通り、曲は20分程度で簡潔にまとめられ、アッテルベリらしい民俗的な曲想とオーケストレーションの妙を気楽に楽しめる作品となっています。

第1楽章 Con forza
 勇壮で物悲しい感じの第1主題と、軽やかで楽しげな第2主題から成るソナタ形式の楽章です。展開部ではシベリウスを思わせる風の戯れのような曲想を聴かせます。終止の和音のあと、クラリネットだけが残り、すうっと消えていく終わり方が面白い。

第2楽章 Andante
 この楽章は8分ほどかかり、曲全体の半分近くを占めています。物思いに沈み込んでいくような民謡の旋律はいつものアッテルベリ調とそれほど変わらず、アッテルベリの音楽がいかに民俗音楽に根ざしているかがよく分かります。ただ、全体が憂愁に塗り込められたような緩徐楽章はこの曲が初めてです。そして、この楽章がこれ以降の交響曲の緩徐楽章の原点となったのです。

第3楽章 Scherzo
 この楽章はたった1分半ほどしかなく、フィナーレへの間奏曲の役割をはたしています。三部構成でまとめられた土俗的な舞曲です。

第4楽章 Finale. Rondo
 短い序奏に導かれて、フルートが軽やかな舞曲の旋律を吹きます。このロンドの中心主題が、勇壮な舞曲やしみじみとした歌などを挟んで繰り返され、展開されます。交響曲のフィナーレとしての気負いは無く、お祭り騒ぎを見ているような楽しさに溢れています。



交響曲第5番 ニ短調 『葬送交響曲 Sinfonia funebre』 作品20 (1922年)


 アッテルベリは交響曲第4番に着手した1917年に、5番目の交響曲の最初のスケッチを書いています。しかし、それまでの4曲の交響曲とは違って作曲には時間がかかり、完成したのは5年も後の1922年でした。初演は1923年の始めごろにベルリンで行われました。その後、ほどなくしてフルトヴェングラーがライプツィヒでこの曲を取り上げました。1919年に交響曲第2番がニキシュによってライプツィヒで、R・シュトラウスによってベルリンで取り上げられていましたが、交響曲第5番もドイツ各地で好評をもって受け入れられ、アッテルベリの名はスウェーデン国外でもよく知られるようになりました。

 作曲者自身によって『葬送交響曲』と名づけられたこの交響曲は、それまでの作品とはやや違った趣きの作品です。いつになく深刻で、不安な感情に満ちています(長調の部分が見当たらない!)。テーマはどれも色濃い憂いに満ちていて、真摯な訴えかけが心に残る音楽となっています。

 長い時間をかけて書かれた作品だけに、曲想はよく練り上げられていますし、切れ目なしに演奏される3つの楽章は入念に構成されています。第2番と同様にピアノを動員したオーケストレーションも、より斬新な感覚のものになっています。

第1楽章 Pesante Allegro
 突然、シンバルが鳴り響き、トランペットとピアノによって下降する3つの音のモチーフが奏されます。このショッキングな序奏のあと、不安感を煽り立てるかような第1主題が登場し、すぐさま劇的な盛り上がりを見せます。それが収まったあと、第2主題が木管と弦の掛け合いによって奏されます。最初は物寂しげな雰囲気ですが、しだいに盛り上がってゆき、深い悲しみを訴えかけます。緊迫感に満ちた劇的な展開部のあと、2つの主題が逆の順序で再現されます。

第2楽章 Lento
 重く沈んだ雰囲気の中、挽歌風の沈痛なテーマが、最初はヴァイオリン・パートによって、次いでオーボエによって静かに歌われてゆきます。中間部分では憧れるようなテーマが歌われます。それは二度と取り戻せないものを追憶しているかのようです。その後、再び挽歌風のテーマが歌われ、音楽は高まってゆき、悲痛に訴えかけるかのようなクライマックスとなります。そしてワーグナーの「ジークフリートの葬送行進曲」を思わせるティンパニの連打が静かに鳴り響き、フィナーレへと続きます。

第3楽章 Allegro molto - Tempo di Valse
 第1楽章冒頭の3つの音のモチーフが再び鳴り響き、ものものしい行進曲調の第1主題が登場し、荒々しい足取りで進んでゆきます。それが収まると、冒頭のモチーフが第2楽章の挽歌風のテーマによく似た、憂愁に満ちた第2主題が歌われます。その後、2つの主題が入り乱れ、劇的に展開されてゆきます。中ほどで第2楽章の憧れのテーマが回想されますが、それを打ち消すかのように第1主題のモチーフが現れ、音楽は凶暴なまでの激しさを聴かせます。そしてその激しさが頂点に達したところで突如、音楽はワルツ調に切り替わります!

 ワルツ部分では、第2楽章の挽歌風のテーマや第3楽章の第2主題がそれぞれ変形されて登場しますが、後者の後半部では同時にフルートが第1楽章の第1主題を奏しています。3つの楽章のテーマが入り乱れて悲しみのワルツを奏でているのです。それはどことなく皮肉っぽく、鬱屈した心情が感じられます。

 その後、音楽は歩みを止め、挽歌風のテーマを原型に近い形でしみじみと回想します。そして冒頭の3つの音のモチーフをヴァイオリン・パートで繰り返しながら、静寂の中に沈んでゆき、低弦のピチカートによって曲は閉じられます。

 この曲には、第一次世界大戦を経たヨーロッパの不安に満ちた時代の空気が反映されているのかもしれません。

2003.11.03


交響曲第6番 ハ長調 作品31 (1927-28年)


 1928年、ニューヨークのコロンビア・グラモフォン社はシューベルト没後100年を記念した国際コンクールを催しました。シリングス、ニールセン、グラズノフ等、当時の音楽界の重鎮だった作曲家たちが審査員を務めたこの作曲コンクールのために、アッテルベリは5年ぶりに新しい交響曲を書いて応募しました。

 このコンクールは、当初はシューベルトの「未完成交響曲」を完成した作品を募集することを企画していましたが、識者からの猛反発を喰らったために実現せず、募集要項を「モダンな精神を感じさせ、かつシューベルトの交響曲のように旋律の力を示した管弦楽作品」に変更しました。これは、モダンなオーケストレーションとロマンチックな歌心とが持ち味であるアッテルベリのためにあるようなコンクールだったと言えます。

 このコンクールでアッテルベリは優勝しました。このことは新聞でも大きく取り上げられ、アッテルベリの名は一般の聴衆の間でもよく知られるようになりましたが、一方で交響曲第6番は詮索好きな評論家たちの格好のネタにもなりました。アッテルベリは自分が知りもしない作品からの引用を指摘した論評を読んで苦笑したそうです。

 この交響曲ではアッテルベリが己の持ち味を存分に発揮しています。第1、第2楽章は暗い色調の音楽ではあるものの、交響曲第5番のような不安感はなく、暗さが音楽としての味わいに昇華されています。一方、第3楽章はアッテルベリ作品としては珍しく屈託のない明るい曲想を楽しませてくれます。

第1楽章 Moderato - piu vivo
 3つのテーマによるソナタ形式の楽章です。遠くを見渡しているかのようなスケール感のある第1主題、マーラー風の悲愴な第2主題、素朴な民謡調の第3主題が、雄弁なオーケストレーションによって縦横無尽に展開されます。劇的な部分あり、叙情的な部分ありで、曲想が変化に富んでいて聴き応えがあります。

第2楽章 Adagio
 アッテルベリらしい憂愁を帯びたテーマを中心にした感動的な緩徐楽章です。交響曲第5番のような沈痛な曲想では無いものの、クライマックスでは心揺さぶる訴えかけが心に残ります。中ほどで現れるフルートの爽やかな旋律も美しい。

第3楽章 Vivace
 このロンド形式の楽章は、とにかく明るい曲想です。後半部分がべルリオーズの「幻想交響曲」の第4楽章「断頭台への行進」のモチーフによく似たモチーフによる中心主題からして、いつものアッテルベリとは違うなと思わせます。中ほどで登場する短調のマーチもお祭り騒ぎの雰囲気だし、最後のほうでは金管や打楽器がおちょくったような音を出しさえします。ラテン的な陽気さすら感じさせる華やかなフィナーレです。

2003.12.15


交響曲第7番 『ロマン的交響曲 Sinfonia Romantica』 作品45 (1941/42年)


 アッテルベリは交響曲第6番を書き上げた後、その翌年の1929年から1932年にかけて史劇オペラ『ファナル』を作曲し、1934年に初演を行いました。その後、このオペラから4つの部分を抜粋して管弦楽のための夜想曲集をつくりましたが、1941年から1942年にかけて最後の1曲を除く3曲を交響曲として書き改めました。第6番以来、実に13年ぶりの交響曲です。

 当時は既に第ニ次世界大戦のさなかで、デンマークとノルウェーはドイツ軍に占領されていました。このような厳しい情勢の中、交響曲第7番は1943年2月、フランクフルトでアーベントロートの指揮によって初演されました。その後、4月にはコペンハーゲンでも演奏されましたが、この時は散々に酷評されたそうです。

 アッテルベリは、”即物主義”や”反ロマン主義”が持てはやされる音楽界の状況を横目に見つつ、交響曲第7番にあえて「ロマン的交響曲」とのタイトルを与えました。もともとアッテルベリの作風はロマンチックなものですが、交響曲第5番や第6番と比べてオーケストレーションが古風になり、構成も古典的な形式に則ってはいるものの、やや自由な感じになっています。そしてこの曲でもアッテルベリならではの悲愴感漂うロマンチックな旋律をふんだんに味わえます。

第1楽章 Drammatico
 トランペットの荘重なテーマによる序奏のあと、マーラー風の劇的な第1主題が登場します。第2主題は胸に染みるような悲しみの歌です。展開部では第1主題をブルックナー風に展開したあと、序奏のテーマを弦がしみじみと歌います。そしてホルンがそれまで登場しなかったテーマを吹きます。勇壮な中にも侘しさを感じさせるテーマです。再現部ではその新しいテーマを第1主題と重ねて演奏したり、第2主題の冒頭を新しいテーマのそれに置き換えたりしています。こんな風に途中で現れたテーマを本来の主題に入れ込んでしまう方法は他にあまり例がありません。結尾では新しいテーマと序奏のテーマを重ねて演奏し、オペラの終幕のような終わり方をします。

第2楽章 Semplice
 第4番から第6番までの交響曲の緩徐楽章は全体が憂愁に塗り込められたような曲調でしたが、第7番の緩徐楽章はむしろ第1番のそれに近い透明な叙情を感じさせる曲調になっています。中心となるテーマはバッハの時代の音楽を思わせる節回しで、古雅な雰囲気を湛えていますが、全体としての曲想は幻想的で、ノスタルジックな雰囲気に満ちています。時折垣間見せる牧歌的な表情も美しい。

第3楽章 Feroce
 この楽章はロンド風の構成で書かれています。民俗舞曲調の中心主題の合間にマーチやファンファーレや情熱的な歌が繰り出され、乱痴気騒ぎのような状態になります。中間部分ではマーチのテーマが展開されますが、ここではカスタネットを始終叩いているのが印象的で、楽しい雰囲気を盛り上げています。飲んで飲んで踊りまくる、そんな感じの音楽です。きっとコペンハーゲンでの酷評も、「品位に欠けている」と言われても仕方のないこのフィナーレに向けられたのでしょう。こういうのはいかにもアッテルベリらしくて私は好きなのですが。(^^;

2004.02.02


交響曲第8番 作品48 (1944/45年)


 交響曲第7番を書いたときに交響曲を作曲することの楽しさをあらためて感じたアッテルベリは、第7番への酷評にもめげることなく1944年に8番目の交響曲の作曲に着手しました。翌年の始め頃に曲は完成し、2月にヘルシンキで初演を行いました。このとき、晩年のシベリウスが「あなたの素晴らしい、完璧な交響曲に感謝します」との讃辞を電報でアッテルベリに送ったそうです。

 この交響曲は4つの楽章から成り、それぞれの楽章のフォーマットも至って正統的です。構成だけ見れば、アッテルベリの作品としては最も”古典的”と言えるかもしれません。しかし、全曲を通してスウェーデンの民俗音楽のモチーフを主題として使っており、アッテルベリの音楽の魅力のひとつである民俗的な味わいが前面に出た作品となっています。

第1楽章 Largo
 (標語はcpoのラシライネン盤に基づく。主部に入った後もLargoのままとは考えにくいのですが・・・)
 重々しい雰囲気の序奏部から始まり、かなり俗っぽい感じのリズミカルな第1主題と、黄昏色の哀感の込められた第2主題とが、ロマンチックで劇的な身振りによって展開されます。再現部で第2主題をトランペットで奏するところなど、いかにも切ない。一昔前の青春ドラマ的な味わいを感じます。コーダでは弦が第1主題をテンポを落として奏されますが、それに対して金管が不協和な絡み方をするのが印象的です。

第2楽章 Adagio
 第1楽章の第1主題を変形した旋律による序奏の後、冒頭でイングリッシュホルンによって憂げな旋律が歌われ、暗く濃厚な情緒が表出されます。中ほどではチェロ独奏が現れ、幻想的な雰囲気を醸し出します。後半では、イングリッシュホルンのテーマがスケールの大きなオーケストレーションを纏って歌われ、感動的なクライマックスとなります。

第3楽章 Molto vivo
 いわゆる民俗舞曲調の音楽です。あるときは弦楽器によって軽快に、あるときはホルンによって勇壮に奏される舞曲の合間に、大らかに歌われる牧歌風の旋律が現れます。

第4楽章 Con moto
 高らかに鳴り響くトランペットのファンファーレから始まる第4楽章は、極めて劇的でヒロイックな音楽です。第1主題の提示など、『新世界』の再来かと思ってしまいますが(調性も同じホ短調だけに)、一昔前のヒーロー物ばりの悲壮感漂う音楽にはただただ圧倒されるばかりです。そしてコーダではこの楽章の第1主題が第1楽章の第1主題と重ねられ、雄渾なクライマックスを形成します。

 私が初めてこの曲を聴いたときは、あまりの俗っぽさに呆れつつも、すっかり魅せられてしまいました。私がアッテルベリの音楽にハマるきっかけとなった作品です。

2003.04.30 「とっておきのクラシック」掲載のレビューに手を加えたものを転載


交響曲第9番 『幻影交響曲 Sinfonia visionaria』 作品54 (1955/56年)


 交響曲第8番を完成した後、第二次世界大戦後の10年間、アッテルベリは再び交響曲の創作から遠ざかりました。オペラ作品や『弦楽四重奏曲 作品53』などの作曲を経て9番目の交響曲に取りかかったのは1955年5月、完成したのは翌1956年6月でした。

 アッテルベリの最後の交響曲となった第9番『幻影交響曲』は、彼の一連の交響曲の中では異色の作品となりました。管弦楽に加えてソプラノとバリトンの独唱と混声合唱を動員し、単一楽章(約40分)の構成をとっています。交響曲というよりはオラトリオに近い作品と言えます。

 作風もそれまでのアッテルベリとはかなり違っていて、第8番までの交響曲とは異質な印象を与えます。基本的にロマンチックなスタイルの音楽ではあるのですが、アッテルベリならではの良くも悪くも俗っぽい魅力は希薄になり、晦渋で取っ付きにくい音楽になっています。「アッテルベリの合唱付きの第九」ということで、第8番までの交響曲をパワーアップした作品を期待して聴くと、肩透かしを食らってしまいます。

 この曲では、古代アイスランドの叙事詩『エッダ』の冒頭の『巫女の予言』から抜粋した詩句を再構成したものが、テキストとして用いられています。内容は、不思議な能力を持った巫女が天地創造の物語を語り、神々と巨人との戦争によって世界が滅亡することを予言するという深刻なものです。

 この曲ではまず前半部分において天地創造の物語が、主にソプラノとバリトンの独唱によって歌われます。その歌いまわしはワーグナーのオペラ、特に『神々の黄昏』や『パルジファル』に似た感じで、北欧の空のようにほの暗い管弦楽の響きの中でたゆたうように歌われます。全体に神秘的な雰囲気の音楽で、吟遊詩人が奏でているかのようなハープの美しい表情も心に残ります。

 前半の最後の部分で神々の2つの勢力の間で起こった”世界最初の戦争”のことが歌われた後、激しく戦闘的な管弦楽の間奏を経て、世界の滅亡の物語を語る後半部分に入ります。不義が横行して世が乱れ、冥府の怪犬ガルムが吼え、巨人と狼の軍勢が攻めてくる・・・そんな悪夢のような”幻影”が合唱によって歌われ、音楽は激しさを増します。そして音楽が再び静まった後、戦争が終わった後の荒廃した世界の様相を独唱が深い詠嘆を込めて歌い、音楽は消え入るように終わります。

 アッテルベリがこのような不吉な予言の音楽を書いた背景に、第二次世界大戦の惨禍と、その後もなお続いた不安な世界情勢が背景にあることは容易に推察できます。この晦渋な作品には1957年のヘルシンキでの初演を聴いた聴衆も戸惑ったようで、その後、この曲はコンサートではたった2回しか取り上げられていません。しかし、この曲のメッセージは今なお色褪せていませんし、音楽的にみても様々な工夫が凝らされており、埋もれるには惜しい作品だと思います。

 なお、アッテルベリは1960年に『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 作品57』を書いています。交響曲第9番での作風の変化が一時的なものだったのかどうかを確かめるためにも、もしCDが出たら是非聴いてみたいと思います。

2004.11.16

雉無名の音楽空間