自死の肖像
2011年7月10日(日曜日)
3●感謝され「居場所」発見 うつ専門カウンセラー


 2005年8月のある夜、マンション最上階のフェンスを乗り越えた。意を決し、少し助走を付けて飛び降りた。体が中を舞い落ちる途中で気を失った。気が付くと地面に倒れていた。「失敗した…」。ぼうぜんとしたまま家に帰った。額と足からの出血に驚いた父親が救急車を呼び、病院に搬送された。
 うつ病対策に取り組む会社「ありがトン」(東京都台東区)代表で「うつ専門カウンセラー」の沢登和夫さん(37)。苦しみから逃れたくて、自ら命を絶とうとした過去がある。
 大学を卒業し、静岡市の大手物流会社の営業職に。実績が認められ4年後、東京の大手海運会社に出向した。
 「会社に貢献するぞ」と張り切っていた。取引先は以前の10倍の150社になり、3~4時間しか寝る時間がない日々が続いた。そんなある日、出勤してパソコンのスイッチを入れようとしても手が動かなかった。精神科医に「うつ病ですね」と診断された。
 3年後、出向から戻ったが、ささいな行き違いが重なり職場で孤立。妻との関係も悪くなり、離婚した。「気持ちが持たない」。追い詰められて休職した。4カ月後に復職したが、同僚らとなじめず再び休職することになった。
 「死にたい」。自室でつぶやいたり叫んだりした。「水の中で息ができないような苦しさに絶え間なく襲われた。死んだら楽になる」。マンションの屋上から身を投げた。


著書を手に「うつで悩む人らをみんなで助け合う社会に」と呼び掛ける沢登さん=東京都台東区のありがトン事務所で

 命拾いをした後に転職し、向精神薬に頼って仕事に打ち込んだ。が、潰瘍性大腸炎を発症し、07年2月に大腸を摘出。入院中に過呼吸の発作が出て、再び「死にたい」という強い衝動に襲われた。
  転機は退院の日。自宅に帰る途中、電車の中で高齢の女性に席を譲った。女性から笑顔で何度も「ありがとう、ありがとう」と感謝された。「うつの自分でも人の役に立てる」。心の中に自信が芽生えた。手術後に毎日続いていた下痢の症状も半年で改善し、ようやくうつの症状を克服した。
 「今度は、自分が苦しんでいる人の力になりたい」。08年3月に「ありがトン」を設立。カウンセリングで約200人の悩みに耳を傾けてきた。自分と同じように、復職後に「居場所」を見つけられず症状を悪化させる人が多いことを知った。
 現在、うつを患う人やうつを克服した人らの協働プロジェクトに向け準備を進めている。数カ月~1年程度で社会的に価値があるものを創り上げることで、自信を取り戻してもらおうという狙いだ。
 夢がもてた。「うつで悩んでいる人を、みんなで助ける社会を表現したい」

自殺予防
 内閣府の統計によると、2009年に自殺につながりうる「自損行為」で救急搬送されたのは5万2,630人で前年より微増。自殺者は自殺未遂暦があるケースが20代と30代に多く、10年はとくに、この年代の女性の45%が過去に自殺を図っている。06年6月に自殺対策基本法が成立し、行政だけでなく、民間でも相談機関や当事者の自助グループの活動が広まりつつある。

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