自死の肖像
2011年7月12日(火曜日)
4●行政と医療 連携訴え まだ少ない相談の場


 「ガチャン」という音とともに、手に伝わる冷え冷えとした感触―。40年以上前、駆け出しの精神科医だったころ、病棟を出入りするたびに、出入り口のドアに鍵を掛けていた。統合失調症の患者を閉じ込めておくために。鷹岡病院(富士市天間)の石田多嘉子院長(70)の「原体験」だ。
 「雑談に普通に応じられて、心の病気だと分からない患者もいた。そんな人まで鍵を掛けて閉じ込めるのはしんどかった」
 十数年前から、うつ病患者が急に増えてきた。「中には強い自殺願望を抱える人もいるが、多くは私自身と変わらない普通の人たち。早く社会復帰するのを手伝いたい」
 うつ病の増加は「世の中の仕組みが複雑になってきたことが原因」と見る。パソコンを使った仕事が増え、単純な作業がなくなりつつある。「仕事の内容がどんどん高度になれば、ついて行けずに脱落する人も出てくる」と指摘する
 一方で家族や地域共同体の人間関係が希薄になった。「互いに頼り合えるおおらかさがなくなった。困難を独力で解決しようとして結局、挫折してしまう。そうした環境に初めから適応できずに苦しむ人も増えた」と現状を憂慮する。
 自殺防止に必要なのは「心の病を抱えた人に寄り添って相談に応じること」。カウンセラーには、当事者のつらさをありのままに受け止め、将来への展望が見いだせるよう説得する力が求められる。
 産業医がいる職場もあるが「社員から見れば企業側の人間。会社から不当な評価を受けることを恐れ、心の弱みをさらけ出せないケースが多い」と語る。


「患者を死の誘惑から救いたい」と語る石田院長=富士市天間の鷹岡病院で

 富士市は製紙業や自動車部品製造業などが盛んな産業都市。県は2006年に「富士モデル事業」を立ち上げ、地域の精神科医が内科医らと連携して働き盛りのうつを早期に発見し、自殺防止に一定の成果を挙げた。藤枝市や掛川市もこれに倣った取り組みを始めた。
 石田院長は「富士モデル事業は今後、他地域に広めていくべき取り組み」と評価する。一方で「心の問題のプロに気軽に相談できる場がまだ少ない。行政が費用を負担し、学校などの要所にカウンセラーを配置するべきだ」と訴える。
 どんなに心を込めて診察しても、将来への展望が見いだせず自死を選んだ患者もいる。「あの時、別の対応をしていれば」。後悔に押しつぶされそうになることもあるが、立ち止まるわけにはいかない。「私を頼ってきてくれる患者を守るため、全力を尽くしたい」

                                 =おわり
               (この連載は富士通信部・林啓太が担当しました)

富士モデル事業
 行政と医療関係者が連携することで、うつ病患者を早期に発見し自殺防止を図る、富士市が全国に先駆けて始めた。うつ病患者の9割が精神科より先に内科などで受診することに着目。市医師会の協力で、かかりつけ医や産業医がうつ病の恐れがある人を精神科医に紹介するシステムをつくった。