生きている死者
若松 英輔 わかまつ・えいすけ 2013年5月11日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
新しい世界観の構築へ向けて
「顕」と「冥」の二層で理解 [上]

 これを読む者は皆、生きている。したがって私たちは誰も死を知らない。当たり前なことを言うなとの指摘を受けそうだが、今日の、あまりに饒舌じょうぜつな「死」についての言説をみると、改めて原点を確認してみたくなる。
 生者は、誰も死を経験していない。遭遇するのは、いつも他者の死である。それにもかかわらず、人はあたかもそれを熟知しているかのように語る。本来であれば、そこに注意を促すはずの宗教者や文学者といった人々も、臆面なく死を語り、一向に止む気配がない。
 たしかに、死は根源的な問題である。だが、それをより正確に表現するなら、生の彼方かなたといった方がよいかもしれない。なぜなら、死がもし、生存の消滅を意味するなら、私たちは肉体が崩壊した後も存在し続けるかもしれないからである。
 こう書くと、危うい言葉に接しているように思われるかもしれない。だが、世にある死に関する情報から少し自由になって、独り静かに考えてみて頂きたい。確かに私たちは死を知らない。しかし、死者はどうだろう。ここでの「死者」とは、遺体のことを意味しない。この世の生を終えたあとも生き続ける「生きている死者」である。


 死は、永遠に知りえないことであったとしても、死者は、日々近くに感じられてくる存在ではないだろうか。ことに身内、あるいは親しい人を喪うしなった経験を持つ者にとって、死者とは、失われた存在であるより、姿は見えないが、以前に比べ、より近くに感じる、いわば「不可視な隣人」なのではないだろうか。
 死者の姿は見えない。だが、見えないことと存在しないこととは違う。見えなくても、その姿にふれることができなくても、存在するものはたしかにある。歴史は見ることも、ふれることもできない。しかし、歴史は存在する。古きもの、美しきものにふれるとき、歴史は、今に甦よみがえってくる。比喩ではない。他者にそれを伝えようとすると十分な言葉が見つからないとしても、誰しもそうした感情を覚えたことがあるのではないだろうか。さらにいえば歴史を感じるとき、必ずしも歴史学を必要としにように、死者を感じるのに私たちは宗教や哲学の介入を要しない。ただ、自分の感情を純真に信じれば足りるのではないだろうか。
 感情はうつろいやすい、もっと理性的でなくてはならないという不文律のなかで近代の思考は形成されてきた。そればかりか理性で認識することを確かなものとし、感情をうつわにした経験の意味をおとしめてきた。それは、汲めども尽きることのない悲しみを、物的損害や金銭的な賠償の問題に置き換えるというような行為によって如実に表される。


 理性は感情と敵対しない。理性とは、万物の「理ことわり」を感じる心である。むしろ、感情と理性は互いに補い合い、より深い認識へと導こうとする。
 感情の働きを抑え込めば、そこでしか感じる存在が見失われるのは仕方がない。死者とはまさに、まず、私たちの感情において感覚される存在なのである。そうした感情の最も鋭敏なる働きが「悲しみ」である。次に引くのは「民藝」の大成者である柳宗悦むねよしの言葉である。ある時彼は、妹を喪うしない、こう書いた。
 ≪おお、悲かなしみよ、吾れ等にふりかかる淋さびしさよ、今にして私はその意味を解き得たのである。おお、悲みよ、汝なんじがなかったなら、こうも私は妹を想おもわないであろう。愛を想い、生命を想わないである。悲みに於おいて妹に逢い得るならば、せめても私は悲みを傍ら近く呼ぼう。悲みこそは愛の絆である。おお、死の悲哀よ、汝より強く生命の愛を吾れに燃やすものが何処にあろう。悲みのみが悲みを慰めてくれる。淋しさのみが淋しさを癒いやしてくれる。涙よ、尊き涙よ、吾れ御身に感謝す。吾れをして再び妹に逢わしむるものは御身の力である≫(「妹の死」1921年)
 悲しみとは、単に、死者の不在を嘆くことではなく、むしろ、死者が私たちに近づく合図ではないだろうか、と柳は問うのである。

記憶を新たにする涙
寄り添って生者を守護 [下]

 優れた思想家たちは、死を語るに慎み深く、死者を語るに率直だった。彼らは死は我が事としては知りえず、死とはいつも他者の死であり、語り得るのは死者であることを教えてくれる。柳は妹の死に際してこう書いた。「悲かなしみに於おいて妹に逢い得るならば、せめても私は悲みを傍ら近くに呼ぼう」。彼にとって「悲み」は、単に嘆きを生むものではなく、強く、またはっきりと亡き妹を感じる契機だった。悲しみにおいて死者と出会うことができるのであれば、悲しみを近くに引き寄せたいというのである。
 愛する人を喪うしない、嘆き、悲しむ。だが、そのとき私たちは同時に、亡き人を近くに感じているのではないだろうか。悲しいのは、相手が永遠に消え去ったからではなく、傍にいるように感じられるにもかかわらず、その姿が見えず、この手にふれ得ないからではないだろうか。
 五感では感覚できないが、たしかに感じる。特別なことではない。希望や信頼、あるいは愛情を日々そうして感じている。死者の存在も同じである。
 死者が存在するのであれば、生者は「生ける死者」となった愛するべき人と新たな関係を結ぶことができる。別なところで柳は、かつて「悲し」はときに「愛かなし」とも記したと書いている。生者が死者に抱く感情は、文字通り「悲愛」である。悲しみによって育まれ、悲しみによって発露する、とめどなき愛情である。
 悲しみの意味を信じなくなった現代は、悲しむ人を励まそうとする。悲しむな、元気を出せ、がんばれ、と鼓舞する。だが、自分が絶望し、受け身になったとき、そうした不用意な言葉に、絶望から脱出する糸口を見いだしたことがあっただろうか。
 死別を悲しむ人を激励する必要などない。彼らは励まされる前にすでに懸命にもがき、生きようとしている。彼らに必要なのは声高な励ましではなく、静謐せいひつなまなざしである。いたずらな発言は、生者と死者の間に割り込んでその対話をさまたげる。しかし、静かに注がれる視線は、死者と生者に交わされている「沈黙の対話」を照らし出す。思いがそうであるように、まなざしもまた、見えない「コトバ」なのである。


 妹を喪った2年後、1923年、関東大震災の2カ月後、柳は「死とその悲みに就いて」と題する一文を書いている。このときも彼は、悲しみが死者への窓であると書いた。≪涙こそは記憶を新たにしてくれる。悲さに於て、此世このよの魂と彼世の魂が逢うのである。死は苦しい出来事である。だが自然は不思議にも悲みの心を私達に与える事によって、此世の苦しさを慰めてくれる。≫
 悲しみ、泣く。悲しみが深まる、すると人は、悲しみの中にいるが、涙は出なくなる。頬に「不可視な涙」が伝っている、そう感じたことはないだろうか。柳はそうした「涙」の秘儀にふれ、「涙」こそが「記憶」を新たにする、という。
 ここでの「記憶」とは生者の心にある死者に関する記憶ではない。死者は生者の記憶の中にあるのではない。それならば死者はいつか消え行く概念にすぎない。柳がいう「記憶」とは、いわば永遠の記憶であり、けっして過ぎ去らない。時間は過ぎ去る。しかし「時」は過ぎ去らない。時間はどこまでもまっすぐに伸びるが、「時」は違う。それは無限大の球体をなすように円環する。悲しみは、私達を「時間」の枠から解放し、「時」の世界へと導く。
 「時」の世界では「沈黙」が言葉である。沈黙が作り出す世界は、暗黒の時空などではない。むしろ、その場所は、さまざまな現象が「コトバ」であることを教えてくれる。ある詩人は「青い悲しみ」と歌う。色もまた、沈黙の意味をもつ。ときにそれは、形であり、または風の揺らぎ、一条の光であるかもしれない。死者の訪れはいつも、言葉を超えた、彼方かなたの「コトバ」によって告げられる。死者のもっとも強く、また、はっきりとした「呼びかけ」を、私たちは「悲しみ」として感じているのではないだろうか。


 死別は悲しく、耐え難い。だが、別れを経験し、涙が枯れるほどに悲しまなくてはならないほどに人を思う人生は、やはり意義深い。死者はどこにも過ぎ去らない。いつも私たちの傍らにいる。死者にとって、生者を守護することは、比すべきものなき誇り高い使命である。深い悲しみに枯れ果てた「不可視な涙」は、寄り添う死者たちへのもっとも高貴な捧ささげものと感じている。

わかまつ・えいすけ 1968年、新潟県糸魚川市生まれ。慶応義塾大文芸部卒。批評家。「越知保夫とその時代―求道の文学」で第14回三田文学新人賞受賞。著書は「井筒俊彦 叡智の哲学」(慶大出版会)「魂にふれる 大震災と、生きている死者」(トランスビュー)など。