釈迦に魅せられて
佐々木 閑 ささき・しずか 2013年5月25日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
傷を負った人
自分変え苦悩消す [上]

 生まれたばかりの赤ん坊の心は、どこにも傷のないツヤツヤした美麗な玉のようだ。しかし次第に大きくなって知恵がつき、言葉を覚え、家族や他人とのかかわりの中に踏み出していくと、その心にどんどん傷がついていく。けんかをすれば憎しみの気持ちで傷がつき、欲しいものが手に入らないと貪欲の気持ちで傷がつく。他者と比較して、劣ったところが目につくと、妬ねたみ・嫉妬が傷になり、老いや病を実感すれば、無常の悲しさで傷はいよいよ増えていく。
 毎日の暮らしは私たちを一人前の大人にしてくれるが、裏返して見れば、赤ん坊の時の新品の心が、切り傷だらけの姿に変わり果てていく、その過程でもある。大人の心は、つらい思いでズタズタである。普段は目先の事に紛れて忘れていても、じっと佇たたずめば、誰もが傷を思いだし、歯をかみしめてがまんする。
 私は、今では仏教学者の肩書で生きているが、大学までは化学者の道を志していた。意気揚々、鼻高々で、夢と希望と傲慢ごうまんではちきれそうな理系志望の学生だったが、研究室に配属され、いざプロフェッショナルの世界に踏み込んでみると、どうあがいても這い上がれない崖があることを思い知らされ愕然がくぜんとした。化学者として身を立てる才能がないことに、その時初めて気が付いた。
 私は劣等感につぶされボロボロになった心を抱えて化学の世界から逃げだして、文学部に入り直した。そこでうまくいったかというと、とんでもない。一人で何カ国語も操る英才たちと、互角に太刀打ちできるわけがない。心の傷は深くなる一方だ。私はこうして、一人前の「傷だらけの人間」になっていった。


 だが、悪いことばかりではない。いいことだってあった。最大の幸運は、釈迦しゃかという人に出会ったことである。たまたま専門に選んだのが仏教学の世界。初めはカビ臭い、魅力のない分野に思えたのだが、釈迦という偉人の、本物の思想に触れたとき、世界観が変わった。
 釈迦はこう言ったのだ。「人は誰もが、心に苦しみを持って生きている。どれほど社会的に恵まれた生活を送っていても、こころの苦しみは皆同じだ。なぜなら我々は皆、生き物だからである。生まれて、生きて、年をとって、病気で苦しんで死ぬ。執着して、憎んで、妬んで、ひがんで、年をとって死ぬ。誰もが平等に、苦しみを持っている。それは我々が、人として生まれた以上、避けることのできない苦しみなのだ。そして、その苦しみから逃れる道は一つしかない。それは、自分自身を変えることである。その、自分自身を変えるための道こそが、私の教えの本質なのである」
 自分自身を変える。それが苦しみを消す唯一の方法だと釈迦は言う。本当だろうか。もしも釈迦の教えを学ぶことで自分自身を変えることができるのなら、ひびの入った私の心も治るのだろうか。そう思うと、途端に仏教学がとても大切な道に見えてきた。単なる学者の研究活動ではない。釈迦の教えを理解し、納得し、生き方のよりどころとすることが、そのまま私の人生を支えてくれる強い杖つえになる。仏教を探究することそのものが、心の傷を癒す治療になるのである。


 こうして私は、釈迦の教えの信奉者となり、教えの意味を探究する仏教学者になった。学問に終着点はない。釈迦の教えをすべて理解できる日など決して来ないだろう。しかし、「ここに苦しみを消すための道がある」という釈迦の言葉を信頼し、その世界に身を置いている私は安穏を感じながら生きている。心の傷が治るかどうかは分からないが、立派なお医者さまに治療してもらっているという安心感がうれしいのである。
 自分がつらい思いをすれば、その分、人のつらさが理解できる。生きるつらさは、生きてきた人にしか分からない。大人はみんな傷だらけの心で生きているが、それが大人の素晴らしさである。釈迦もまた「傷を負った人」であった。だからこそ、その教えは慈愛に満ち、信用できるのである。

心を守る本物の薬
まず自らを救う道 [下]

 2500年も前のインドの話なので、釈迦しゃかがどういう人だったのか、その詳細はよく分からない。ただ、その人生の大枠だけが伝説として記憶されている。北インドの小さな王国で王子として生まれ、幸せいっぱいの少年期を過ごしていたが、思春期を過ぎたあたりから人生の意味を深く考えるようになり、ついには出家して修行生活に入り、菩提樹ぼだいじゅの下で瞑想めいそうして悟りを開いた、という。これが前半生である。
 悟りを開いたのが35歳で、その後80歳で亡くなるまでの45年間は、テクテクと各地を歩き回りながら人々に教えを説いてまわった。その教えが、仏教として今も信奉されているのである。
 釈迦の伝記を注意して読むと、とても重要なメッセージが含まれていることに気がつく。それは、仏教という宗教が決して「最初から人を助けるために生まれてきた宗教ではない」という事実である。普通私たちは「仏教」と聞くと、「人助けの道」といったイメージを持つ。釈迦は、困っている人たちを救うために仏教を創った、という先入観である。しかし釈迦の伝記にそのようなことはまったく書かれていない。釈迦は、ひたすら自分のため、自分で自分の苦しみを消すためにだけ努力したのであり、その到達点が悟りであった。釈迦はもともと「利己的」な人だったのである。そしてそこにこそ、仏教の素晴らしさがある。
 王子であった頃の若き釈迦は、地位や財産などの世俗的な幸福を存分に享受しながら生きていた。しかし自分が、人として生まれた以上、いずれ必ず老・病・死という避けがたい苦しみで悶もだえねばならないという定めを知った時、突然巨大な苦悩が襲いかかってきた。「生きることの苦しみ」を実感したのである。


 もはや仮初かりそめの幸福にうつつを抜かしていることなどできなくなった。そこで意を決して出家の道に入った。その後は、老・病・死の苦しみから心を守るための方法をひたすら追求し、自己鍛練の道を究めていって、ついに悟りを開いたのである。これはすべて、自分を救うための努力であった。人ごとではない。生きるか死ぬかの苦悩の淵ふちに立たされていたのは釈迦自身であって、そのギリギリの状態にいる自分をどうやって救い出すのか、というのは文字通り命懸けの試練だったのである。
 修行は35歳で完成した。瞑想によって得られた強い洞察力と自己規制の力を用いて、心のさまざまな悪性要素、つまり煩悩を鎮めることに成功したのである。これで、釈迦の人生の目標は達成された。本来ならば、釈迦は余生を、完全な平安の中で静かに過ごし、そのまま静かに死んでいけばよかった。伝記にははっきりと、「悟りを開いた釈迦は、そのまま静かに余生を過ごそうと思っていた」と書かれている。「世の人々を助けよう」などとはつゆほども考えていない。この段階まで釈迦という人物は、自分のことで頭がいっぱいの、自己中心の人生をひたすら歩んできたのである。
 しかしここで、釈迦は生き方を大逆転する。自分自身を救うために積み上げてきた無数のノウハウを、今度は自分と同じように苦悩する世の多くの人のために役立てようと思い立つのである。個の段階で釈迦は、自己中心の利己主義者から、自分が持つすべての経験を使って世の人々を救おうと慈悲の人に変わった。それが後半生の45年間である。


 もし釈迦が、出家の第一歩から「私は世の人々を救うために修行するぞ」などと考えていたのなら、随分傲慢ごうまんな話である。一介の金持ちのボンボンが、「世の悩める人々を救ってあげよう」などとは滑稽な思い上がりでしかない。そんな人物の言葉が、苦しみもがく人たちの心に響くはずもない。本当に役立つのは、自分も同じように苦しんで、なんとかそこから這い上がることのできた先達の貴重なアドバイスにきまっている。
 釈迦の教えは、「心の苦しみを消す」という自分自身の体験を基にして生み出された、本物の道である。それは釈迦が「自分のために見いだした道」だからこそ信憑しんぴょう性がある。釈迦が利己的だったのは素晴らしいことだ、と言った真意はそこにある。
 人は誰でも、心の中に憂いや苦悩を抱えて生きている。それが財産や肩書で解決できるのならそれでちっとも構わない。しかし、そういった世間的な価値だけで、人生の根本的な苦しみを消すことはできないと気付いた人にとって、仏教は救いの道となる。それは、釈迦という人が実際に自分を治療するために見つけ出した、信頼できる心の治療薬だからである。

ささき・しずか 1956年、福井県生まれ。京都大工学部工業化学科、文学部哲学科卒。同大学院博士課程満期退学。米国カリフォルニア大バークレー校留学を経て、現在、花園大文学部教授。著書に『日々是修行』(筑摩書房)『犀の角たち』(大蔵出版)『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』(NHK出版)ほか多数。