老いを楽しむ
柏木 哲夫 かしわぎ・てつお 2013年2月16日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
老いのとらえ方
自分の今に感謝して [上]

 平成22年の簡易生命表によると、日本人の平均寿命は男性が79.64歳、女性が86.39歳である。「人生80年」という言葉はこの平均寿命からきたものであるが、日本はまさに世界有数の長寿国である。企業の定年を65歳としても、残りの人生が15年あることになる。これはあくまで平均で、もっと長生きする人も多い。ちなみに平成24年11月末までに著者のもとに届いた20通の訃報の平均年齢は90.2歳であった。これらの方々は65歳の定年から25年間、どのような生活をしてこられたのであろうか。初老期の人で「あまり長生きはしたくない」と言う人が多い。しかし、現実にはわれわれは「生きてしまう」のである。長い老年期をどのように生きるかは現在の日本人にとって、非常に重要な課題なのである。


  老いを自覚したとき、それをどうとらえるかに個人差がある。社会学者、ライチャードは老人の適応パターンを次の5つに分けている。

>円熟型…人生の体験を統合して、周囲の人々の中に自分の果たすべき役割を発見し、それを遂行していくタイプで、指導的立場を維持し続ける

>安楽椅子型(自適型)…周囲と一定の距離をおきつつ、自分の生きがいを見つけだして、満足感をいだいて生活するタイプ

>逃避型(防衛型)…老いた自分を守り、自分をおびやかすものから遠ざかる

>憤慨型(外罰型)…生活上の不満や悩みが多く、そのはけ口を自分以外のものに向ける

>自己嫌悪型(内罰型)…不満や悩みが多い自分に嫌悪をいだく

 多くのお年寄りに接してきて、私はもうひとつ感謝型の適応があると思う。自分のこれまでの人生と現在に感謝できる生き方である。
 いずれにしても、人は生きてきたように老いていく。まわりに不平をいいながら生きてきた人は、不平をいいながら老いる。生き方が老い方を決めるのである。私は個人的には感謝型の老い方をしたい。そのためには、今から自分のおかれている人間関係や環境に感謝する習慣をつける必要がありそうである。
 老いを楽しむためには、老いをどうとらえるかという心の構えが重要である。老いはさまざまな身体機能を喪失する過程である。視力、聴力、脚力、全体的な体力が衰える。残っている機能よりも衰えた機能に目がいくのが常である。例えば、目は大丈夫だが、耳が遠くなったと嘆き、何事にも消極的になる。しかし、前向きに生きている老人は、残っている機能に目がいく。耳は遠くなったが、目はよく見えるのでありがたいと感謝できる。目は良い、耳は悪いという情況は同じでも、それをどうとらえるかの態度によって生き方が変わってくる。
 物事のとらえ方は病気の治り方にも影響を与える。老人のうつ病には不眠と食欲不振はつきものである。投薬とカウンセリングで症状が改善し始めたとき「眠れるようにはなりましたが、まだ食欲が出ません」と言う人と「まだ食欲は出ないのですが、眠れるようになりました」と言う人に分かれる。前者はなかなか良くならないが、後者はどんどん良くなる。眠れる、食欲がないという情況は同じでも、そのとらえ方が違うのである。「まだ食欲が出ない」と否定的な言い方で終わるのと「眠れるようになった」と肯定的な言い方で終わることの差である。


 最近、医学の領域では精神神経免疫学が注目されている。心の持ち方(精神)が免疫系に関連することがわかってきた。前向きで肯定的な生き方をしておれば、免疫機能が高まるということである。反対に、種々の心労や悲哀、抑うつ状態では風邪をひきやすく、さまざまな感染症、アレルギー疾患、さらに癌がんの発生率が増加することが知られている。
 心の持ち方や考え方は老い方にも影響する。年とともに身体の機能が衰えるのは当然のことで避けることはできない。大切なのはその衰えをどう受けとめるかである。衰えた機能を嘆き悲しむのではなくて、残っている機能を最大限に活用して再調整するなら、老いを創造的に、楽しく生きることができる。

ユーモアのすすめ
人間が持つ崇高な力 [下]

 人生の楽しみ方は実にさまざまである。スポーツ、登山、園芸、農業、神社巡り、グルメの旅、音楽、絵画、旅行、読書、和歌、俳句、川柳、刺繍ししゅう…枚挙にいとまがない。中には仕事を楽しむ極意だと言う人もある。若くて体力があるときはラグビーやサッカーなど、かなり激しいスポーツを楽しむことができるが、老いてからは無理である。
 私はホスピスという場で、約2500人のがん末期の患者さんを看取みとったが、体力の衰えとともに、楽しみにしていたことができなくなる。回診の終わりに「今、何が一番したいですか?」と尋ねると、歩くことができなくなったある患者さんが「もう一度富士山に登りたい」と言った。元気な頃はかなりの回数、富士登山を楽しんだ人であった。
 老いの特徴の一つは体力の衰えである。体力が必要な楽しみ方しか身につけていない場合は、老いてからの人生を楽しむことがむずかしくなる。その点、体が弱ってもあまり影響を受けない趣味や楽しみをもっている老人は強い。読書、音楽鑑賞、俳句、川柳等は足腰が弱ってベッドで過ごす時間が長くなっても続けることができる。


 多くの老人と接してきて、老いを楽しく過ごす上で、その人がユーモアのセンスをもっているかどうかがかなり重要であると思っている。
 ユーモア(Humor)の語源はラテン語のHumores(体液)である。人間が生きていくためにどうしても必要な血液やリンパ液、すなわち体液がユーモアの語源であることは興味深い。ユーモアや笑いがなければ恐らく人間は人間らしく生きていけないであろう。
 上智大学名誉教授のデーケン先生はドイツのユーモアの定義に二つあると言っておられる。にもかかわらず笑うこと、そして、ユーモアとは愛と思いやりの現実的な表現であるというのである。「老いているにもかかわらず笑う」ことができれば「老いもまた楽し」という境地になりやすいのではなかろうか。
 有名な精神医学者V.フランクルは「ユーモアが人を生かす」と言っている。
 強制収容所での「耐え難い苦しみ」に耐えられず、人々が次々と死んでいく中で、人々に生きる力を与えた三つのことについてフランクルは『夜と霧』の中で述べている。それは祈り、音楽、ユーモアだという。日々祈る人、音楽を愛する人、ユーモアのセンスを持っている人が生き残ったということである。
 フランクルはユーモアの効用として、「自己距離化」という概念を述べている。一見、絶望的で逃れる道がみえなきょうな情況においても、ユーモアはその事態と自分との間に距離を置かせる働きをする。ユーモアによって、自分自身や自分の人生を異なった視点から観察できる柔軟性や客観性が生まれると彼は言う。フランクルはユーモアについて多くの言葉を残しているが、「ユーモアは人間だけに与えられた、神的といってもいいほどの崇高な能力である」は有名である。フランクルが挙げた、祈り、音楽、ユーモアは他の動物には存在しない人間特有のものなのである。
 その例として、私の友人が親しくしているある老夫婦(92歳と87歳)を紹介したい。夕食に招待された時、友人が「長生きの秘訣ひけつは何ですか?」と尋ねると「息をするのを忘れないことです」との答え。彼は思わず大笑い。少し固めの肉を歯のない歯茎でかんでいるのを見て「すごいですね」と言うと「歯はないのですが長年歯茎でかんでいると歯茎が丈夫になって、肉は十分かめますよ」との答え。「入れ歯はどんな時にするのですか?」と尋ねると「それは歯を磨くときですよ」。これでまた大笑い。
 二人の会話をニコニコしながら聴いていた奥さまが「この前、入れ歯を題材にしてつくった川柳が新聞に載りましてね」と。「どんな句ですか?」と彼。答えは「合わぬ はずジイチャンそれは私の歯」。ここでまた大笑い。とても苦労して3人の子どもを育て、年老いて足腰が弱る中で夫は野菜づくりに、妻は川柳づくりに挑戦している二人。この老夫婦はユーモアで老いを横へ吹き飛ばしながら楽しく生きている。友人はお二人の姿をみて、こんな老いを迎えたいと思ったという。


 老いをどのように生きていくかは老いのとらえ方によって、大きく変わる。喪失期ととらえて元気なく過ごすか、挑戦期ととらえて元気に過ごすかは一人ひとりの心の構えによって決まるのである。

かしわぎ・てつお 1939年、兵庫県生まれ。大阪大医学部卒。ワシントン大で精神医学研修。帰国後、淀川キリスト教病院にホスピス設立。金城学院大学長を経て現在学院長、大阪大名誉教授。淀川キリスト教病院名誉ホスピス長。著書に「いのちに寄り添う」(KKベストセラーズ)「『老い』はちっともこわくない」(日本経済新聞出版社)など多数。