見失ってはならない日常
哲学者・大谷大学教授 鷲田 清一  2013年1月23日(水曜日)中日新聞「時のおもり」より
いのちのささやかなふれあい

 このところ高校生と定期的に小さな集いをもっている。そこにいちど、幼児が交ざり込んだ。二歳ちょっとの男の子。ひとりの女子高校生に「ちょっと抱いてみる?」と声をかけると、「抱いたことがない」とひるむ。「ほれほれ」と声をかけ、男児を彼女にあずけた。体ががちがちで、なんともぎこちない。横抱きにしてゆらゆらすることも、片手で腰の下に抱え込むということもない。突っ立って縦に平行に棒抱き(?)である。
 15分ほどたったころだろうか、ふり返ると、地べたで、一言も発しないで見つめあっている。たまに子どものほうがおねえちゃんにちょっかいを出したり、むにゅむにゅ言いながら一人遊びをしたりする。一言たりとも語を交わすことなく、しかもそれがちっとも居心地わるそうに見えない。不思議な光景だった。


 求められてもふだんはめったに口を開かない高校生が、おなじように口数の少ない幼児と、言葉なしにこんなに穏やかな時間にひたることができている。沈黙がはさまることを怯おびえる多くのおとながとうていもてない時間だ。かけひきやさぐりあいの会話ではなく、相手を黙らせるための長広舌や、沈黙を埋めるためだけのむなしい言葉のやりとりでもなく、すり減った貨幣のような定型句の交換でも、じぶんたちだけの暗号のような語の唱和でもない、沈黙の不思議な充溢じゅういつ
 おそらくこの女子高校生にとっても、この体験ははじめてのことだったろう。ただそのような、ぶよぶよ、ふにゃふにゃのいのちを腕の中に包み込むという経験がなかっただけのことだろう。家のトイレから公衆便所までみな水洗になって、他のいのちの姿ともいうべき他人のうんこを目にすることがなくなったのとおなじように。
 水洗から連想したわけではないが、むかし、中川幸夫さんという華道家のアパートを訪ねたとき、室町時代の立花の見本帖ちょうを見せてもらった。そこには日本刀のような鋭い葉をした旬の水仙ではなく盛りを過ぎて萎しなびた水仙を生けるお手本があった。かつての華道には、いのちの兆し、芽吹き、華、萎びれ、枯れのそれぞれをそれぞれにいのちの「花」として生けようとするまなざしがあった。


 そんないのちの感触を世代から世代へと伝える機会というものに、残念ながらいまの子どもたちは恵まれていない。遺体の清拭せいしきもまた「プロ」の手によってなされ、死の感触もまた遠ざけられて久しい。
 友達といえば同級生か同期生にほぼ限られるような、人生を年齢で輪切りにしてきた社会。そこでは異世代のあいだに無難な言語コミュニケーションはありえても、高校生と赤ちゃんのいのちのふれあい、お年寄りと小学生の沈黙のふれいあといったことは起こりにくい。
 東日本の大津波と原発事故からもうすぐ2年。震災後しばらくは、多くの人たちが被災地の人たちの思いを、その体感ごと必死で想像しようとした。ありふれたあたりまえの日常を、ひとつの僥倖ぎょうこうとして受けとめなおした。幼いいのちの未来をつよく案じた。震災についての論調がどこか大ぶりに、がさつな漢字熟語だらけになるなかで、先の小さな光景が、ひととして見失ってはならないものを教えてくれた。