国家に「秘密法」が必要なのか
池内 了 いけうち・りょう 総合研究大学院大教授 2013年12月4日(水曜日)中日新聞「時のおもり」より
権力増し情報独占を危惧

 「特定秘密保護法案」が衆院で強行採決された。この法律案には、「何が秘密であるかについては秘密」というその根幹に関わる疑問をはじめ、公開についての明文がない、外国へは特定秘密を提供できる、本来秘密指定とされるべきではない人道法や公衆衛生に関して特定秘密とできる、特定秘密取扱者およびその家族への適正評価項目は人権の侵害にあたる、報道の自由が配慮されるのみであり市民団体などの情報収集が権利として認められていない、内部通報者の権利と義務が保証されていないなど、数多くの問題が指摘されているにもかかわらず、大政翼賛会よろしく賛成多数で議決してしまった。
 私が一番心配することは、やがて拡大解釈されてゆき、ついには戦前の治安維持法のごとく人々の思想や情報交換の自由を奪っていくことになるのではないか、という点である。「国家の安寧のための秘密事項である」と銘を打てば、秘密保護と治安維持が等値され、思想弾圧に使われる危険性が大きいからだ。多数の人間が被害にあった自然災害や原発事故なども秘密として広く人々に知らされなくなり、それを伝えようとした人が罰せられるという事態だって想像される。今回の法律は「特定秘密保護」のためであって治安維持のためではないと言われるかもしれないが、それは解釈次第であり、権力を持った者の恣意しい的な思惑でいくらでも拡大することが可能になるのである。
 私自身が当初から疑問に思っていることは、そもそも国家が公然と秘密を持つことを認める「秘密法」は本当に必要なのか、という問題である。外交・防衛・安全保障・テロ対策などでは国家間の密約や国家機密の施策が必要であり、それを「秘密保護法」で定義し、違反に対して厳しい罰則を設けておけば、政治の自由度が確保できる秘密の漏洩ろうえいも防ぐことができる、それが秘密法を制定する動機のようだ。これにはなかなか反論できないように思えてしまう。
 しかし、権力者や官僚は絶えず権力の拡大を目指しており、情報の独占を図り、上意下達で国民を従わせたいと望むものである。その方が国家の統治に都合がよいからだ。そのため、いったん「秘密法」という枠組みが確保できると、それを拡大し国家の安寧のためとして治安維持と結びつけていくのは当然ではないだろうか。


 従って、私は国家に「秘密法」はあってはならないと考えている。「秘密法」がなくても、権力者はさまざまな名目をつけてマル秘指定を行い、あるいは情報を独占して都合の悪いことは市民に知らせないようにするだろう。それに対し、市民は権力者の動向を監視し情報公開を常に求め、暴き、内部通報する権利を保有しているべきだと思うのだ。そのような権力者と市民とのせめぎ合いがあってこそ、民主主義が鍛えられるのではないだろうか。自衛隊のカラ発注やムダ遣いが今の新聞をにぎわしているが、「特定秘密保護法」によって防衛秘密にされ捜査の対象から外されれば、一切報道がされなくなるだろう。権力は無監視状態になるのである。
 私は国家には法律で守られた秘密があってはならない、そう考えている。

特定秘密とは隣り合わせ                            12月4日中日新聞33面
自衛官の胸騒ぎ

 特定秘密保護法案の行方にとりわけ関心を持っている人たちがいる。特定秘密を多く扱う自衛官とその家族だ。法案は、秘密を扱えるかどうかの「適正評価」を義務づけており、本人だけでなく、広範囲の家族も対象にしている。思想や飲酒の習慣、国籍、借金の有無などプライバシーの細部が調べられる。県内関係者の心の内は「胸騒ぎがする」「いい気はしない」などと揺れている。


 航空自衛隊浜松基地のある自衛官は「国会で審議中の案件。話す立場にない」と繰り返したが、「個人の思い」として、「胸が騒ぐという思いは正直ある」と明かした。「日頃から任務の詳細を家族に話すことはない。法案が通ればもっと言えない。恣意的に運用されれば、たまたま秘密を知ってしまった家族が罰せられる可能性もある。怖いなと思っている」
 浜松市に住む自衛官の妻は「もともと秘密を扱うと分かっているので、仕事の話は家ではあまりしない」と割り切るが、「隠れて身の回りを調べられるとしたらいい気はしない」と吐露。「子供はまだ幼い。今後、仕事について聞かれたときに、今まで話せたことも、どこまで話していいのかわからない」と戸惑った。
 東日本大震災で自衛隊は過去にない十万人規模の隊員を被災地に派遣した。七十代の元自衛官の男性は「私が現役のころは自衛官というだけで煙たがられることがあった。しかし、震災支援で多くの人から応援してもらえるようになった」と感じていた。その矢先の法案に自衛官が国民から距離を置かれる時代に逆戻りしてしまうのでは、と懸念を示す。
 「自衛官は使命感が強い若者が多い。誰が秘密を握っているのか疑心暗鬼になり、おびえた組織にならないといいが…」

法律施行なら ある一家では
 特定秘密保護法案が成立すると、秘密に携わる公務員の一家は、日常会話もこれまで以上に神経をすり減らすことになる。例えばこうだ。四歳の息子と妻、そして自衛官の夫の三人家族はつつましやかに暮らしていた。

夫 「パパは明日から出張に行ってくるからね。いい子にしているんだよ」
息子 「えっ。パパ、明日からいないの? どこ行くの?」
夫 「ごめんな。言えないんだ。お土産もこれからはないから」
息子 「なんで?」
夫 「だって、お土産で行った先が分かってしまうだろ」
妻 「あなた、出張先も言えないの? 前は教えてくれたじゃない。本当に出張なの?
   まさか…」

 隠されたショックと両親の険悪な雰囲気に息子が泣き出した。
 仕方なく自衛官の夫は言う。「パパはね、明日からハワイ沖でアメリカ人のお友達とおしゃべりをしてくるんだ」ー
 ハワイ沖での任務が特定秘密に指定されていた場合、家族が誰かに話したら処罰対象になる可能性がある。
 国会審議の中で、森雅子担当相は「特別管理秘密を取り扱うことができる職員数は警察庁、外務省、防衛省でおよそ64,500人」と答弁。「都道府県警察職員のほか、契約業者も対象になる」と述べている。
 多くの公務員とその家族の間では、これまで普通だった会話さえ、躊躇することになりかねない。

ばば・しょうどう 1945年、宮崎県生まれ。龍谷大卒業。浄土真宗西本願寺派真栄寺(千葉県我孫子市)住職。西チベット仏教調査隊の参加をはじめ世界98カ国の貧乏旅を体験。87年、無縁の地に檀徒ゼロから寺院を開く。都市開教の先駆。小田実(作家)、小野田寛郎(元陸軍少尉)、金子兜太(俳人)氏ら親交は幅広い。著書に『ちょっといい出会い』(宮崎日日新聞社)『聖なる国々の姿』(鉱脈社)など。