遠く宿縁を慶ぶ
馬場 昭道 ばば・しょうどう 2013年11月9日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
縁を拾う
全ては皆つながっている [上]

 私の友人である校長先生が市内で一番荒れている学校に転任していかれた。しかも小学校から中学校へだから大変だ。周りから期待され、その上、自分で何とかしようという思いも強い。その落差が大きいだけに先生の足はしばしばお寺に向かった。
 毎夕六時に撞く鐘の音に、時には一緒に読経をされて悩みを語られ夜も眠れない日が続いた。その苦の多種多様さに驚かされる。学校、子供、保護者、地域と、その広がりの根は深くて、言葉のかけようがなくてただ聞くだけだ。聞かしてもらうだけで少し心が軽くなった、肩の荷が少しだけ下りたとおっしゃる。先生、教育者三十五年間の卒業試験として受け取りましょう。その言葉しか思い浮かばなかった。
 二、三ヶ月たって、和尚さん、全校生徒に体育館で、心の話をしてくださいと言われる。生徒数が千人近い。数の多さに驚き、学年別に話しましょう。準備もあり、一ヶ月に一回、荒れている学年から順番にさせてもらった。
 「こんにちは」と呼びかけても声が返ってこない。もう一度「こんにちは」。すると「こんにちは」と今度は大きな声で返ってきた。挨拶は心を開くとの意味がある。それも相手の心を開くという意味でなく、自分の心を開く、しかも自分の心を押し開くということである。押し開かないと私の心は伝わりにくいことを、子供らに話した。


 その年の秋に「東京プレミアム・オカリナ・アンサンブル」によるコンサートを、真栄寺で開いた。オカリナの音色聴いたことありますか。あなたの心を包み込んでくれる優しい音色ですよ、と皆さんに呼びかけた。本堂は満員だった。「シルクロード」「いい日旅立ち」など二時間の演奏は来場者の心を癒やした。
 皆さんが散会した後、御堂みどうの真ん中に一人中学生が残っていた。A中学校三年生のS君だった。学校に行きたくても行けなくて、お寺に校長先生と鐘を撞きに来た生徒だった。翌日、そのS君が勇気をふりしぼって校長室を訪ね、オカリナの演奏会を勧めてくれた先生にその感動を伝えたのである。その行動に校長先生は心を動かされた。癒しの音色を全校生徒にぜひ聴かせてやりたいと思われたのである。熱意が多くの人を動かし、A中学校でのコンサートまで実現した。メンバーの松本真昭さんも感動して、忙しい中を引き受けていただいた。 当日、会場の体育館に近所の人も来られ、大盛況に。小さな花束でつくった花輪は、コンサート終了後、会場の方々へ花束を贈ることになった。「この会場で自分が一番年をとっていると思う人は手を上げてください」「今日誕生日の方おられますか?」「私と同じ名前の松本さんは?」—。花束を渡される度にたくさんの拍手が送られた。
 コンサートの最後に、この人のおかげで今日の演奏会が開かれ、皆さんとお会いできましたと言って、校長室を訪ねてきてくれたS君に、壇上に登場してもらうと、一斉にあたたかい拍手が起こった。S君はこれをきっかけに登校できるようになり、先生方の努力で高校にも進学し、現在は大学生で将来は先生になりたいとお寺を尋ねてきた。
 私は仏教聖典の因縁の一説を思い出した。人々の苦しみに因があり、人々の覚りにも道があるように、全てのものは縁によって生まれ、縁によって滅びる。雨の降る、風の吹く、花の咲く、葉の散る、全て縁によって生じ、縁によって滅びる。


 網の目が、互いにつながりおうて網をつくっているように、全てのものは皆つながりおうてできている。私たちは自分が網の目のひとつとして、多くの縁をつくり、多くの縁に催されて生かされていることを忘れ、あまりにも忙しい忙しいの毎日で、心が亡ほろんでゆく生活をしてしまっているのではないだろうか。
 親鸞聖人の主著「教行信証」に出てくる「遠く宿縁を慶よろこべ」(遠い過去からの因縁を喜びなさい)との言葉を、私はことのほか大切にしている。

人はなぜに死ぬ
命の大切さ確かめる問い [下]

 毎年、近所の新木小学校(千葉県我孫子市)の六年生が卒業前になると三クラス全員でお寺にやってくる。もう何年か前の寺子屋教室だった。毎回百人前後で、寺子屋教室が始まる。みんなで読経の後にそのまま黙想に入る。
 「正座をして両手を膝に置き、背筋を伸ばして目を閉じる」という私の声に、子供たちにピンと張りつめた空気が流れる。黙然の、中に遠くで犬が吠えている。モズが空気を切り裂くように鳴く声、近くの道路を通る車の音、目を閉じることによって、多くの声や音を拾いながら静かな時が流れる。そうした中で子供たちに大切な言葉を覚えてもらう。
 「人間は耳がふたつに口がひとつ、多くを聞いて少なく言うため」
 そして、仏様がいわれている。
 「一切衆生の耳は便利がいい、聞こえなくていいことが聞こえ、聞かなければならないことが聞こえない」
 「一切衆生の口はわがままである。言わんでいいことを言ってしまい、言わなければならないことが言えない」
 子供たちはそれぞれの思いで話を聞いている。そして次の質問の準備をする。
 たくさんの質問を受けるうちに、ドキッとする質問が飛び出した。
 「和尚さん、人はどうして死ぬのですか」と言う。「それは生まれてきたからや」と言うと、ひとりの元気な子が言う。「和尚さん、生まれてこなけりゃ死なんでいいんや」「そうや君の言う通りや、生まれてこなければ死なんでいい。それで君はどっちや」「生まれてきた」。「そしたら死ななきゃならん」と言うと、「うん」と言う。死という言葉は子供にとってもタブーなのである。


 そういう子供たちを通して、おのおのの生徒が自分の命の大切さを考えてくれる。最初に質問をした子供は、最近お母さんを亡くした子だった。
 そこで子供たちへの説法が始まる。仏さんの教えに諸行無常という教えがある。もろもろのものは全て移り変わる。学校の花壇の花も芽が出たからにはいつかは枯れていかねばならない。だから芽が出ることも諸行無常、花が咲くことも諸行無常、全ての物は常に移り変わるということを諸行無常という。このことは難しいけど頭の隅のどこかに置いておいてください。
 では今度は、皆さんの右に座っている友達の顔をよーく見てください。次は反対側の友達の顔を見て、どんな仲のよい友達でも、逆にどんな気の合わない友達でも、必ず別れていかなければならない、だからいじめとか、けんかなんかしないように。そして別れはいつ来るかわからない。
 東北の地震では赤ちゃんからお年寄りまで一瞬にして命を奪われてしまった。たくさんの人たちが別れていったことを覚えているでしょう。そして皆さんがた一人ひとりの命が生まれるのには、お父さん、お母さんがいて、皆さんの両親にも、おじいさん、おばあさんがいてそのおじいさんおばあさんにも、お父さんお母さんがいる。これを二十回重ねるだけで百万人以上の先祖がいないと、皆さん方一人ひとりいないことがわかるでしょ。そうしてたくさんの命のつながりの中の皆さんが今ここにいるのです、と言うと、ひとりの子が、「そしたら和尚さんみんな親戚になるんや」。「そうそう、そういうことや。だからみんな仲良く、ということ」、そう言って寺子屋教室が終わる。


「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉せみの声」
 と詠んだのは松尾芭蕉だった。あの暑いさなかに、これでもか、これでもかと鳴き続ける蝉に、あの蝉たちも、今日地中から出てきた蝉も十日すればみんな死んでしまうのだが、それを知っての上で鳴いているのだろうか。待てよ、そう思う私も蝉と同じではないか。長さこそ違え、やがて滅んでゆく肉体を抱えている自分なのだ。
 芭蕉は自分の命に蝉を重ね合わせて詠んでいるのである。その蝉も、夏を惜しむかのように昨日まで鳴いていたつくつくぼうしも、夏が過ぎ去った今はもう来ない。
 「今までは他人が死ぬとは思ひしが 俺が死ぬとは こいつぁたまらぬ」(大田蜀山人)
 蝉と同じように限りある命を背負っている私なのだということをどのようにして次の世代に伝えてゆくのか、考えさせられる寺子屋教室だった。

ばば・しょうどう 1945年、宮崎県生まれ。龍谷大卒業。浄土真宗西本願寺派真栄寺(千葉県我孫子市)住職。西チベット仏教調査隊の参加をはじめ世界98カ国の貧乏旅を体験。87年、無縁の地に檀徒ゼロから寺院を開く。都市開教の先駆。小田実(作家)、小野田寛郎(元陸軍少尉)、金子兜太(俳人)氏ら親交は幅広い。著書に『ちょっといい出会い』(宮崎日日新聞社)『聖なる国々の姿』(鉱脈社)など。