日本の仏教は思想たりうるか
末木 文美士 すえき・ふみひこ 2013年1月19日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
新しい世界観の構築へ向けて
「顕」と「冥」の二層で理解 [上]

 東日本大震災の後、多くの宗教関係者が被災地の救済に力を尽くしている。それは阪神淡路大震災のときと大きく異なる特徴といえる。その中でしばしば、宗教教理の違いよりも、ともかく被災者に寄り添うことが重要だと説かれた。もちろんそれは大事ではあるが、だからと言って、思想を軽蔑して、実践あるのみというような主張はきわめて危険である。それはかえって表面 だけ受けのいい言葉をはやらせ、誤ったメッセージを伝えることにもなりかねない。


 例えば、震災後はやった「絆」という言葉がある。もちろん人間関係の重要さを認識するという限りではよいことだが、狭い範囲の人間関係の緊密さを強調することは、外にいる他者を排除し、敵対的な態度を取ることになりかねない。家族の紐帯ちゅうたいは大事だが、外の人たちとのネットワークも大事だし、自国内の団結も重要であるが、他国との協調関係を無視することは許されない。また、しばしば「少欲知足」ということが言われる。個人の心構えの範囲ならばそれでもよいかもしれないが、本当の問題は、消費が拡大再生産されなければ維持できないような経済構造そのものにあるはずだ。
 今僕たちが直面しているのは、場当たり的な「絆」や「少欲知足」では片付かない、もっと大きな問題である。そして、それに立ち向かうために重要なことは、言葉や思想を無視した実践ではなく、そのような実践を支える思想をしっかりと確立することである。それは決して抽象的な理論を振り回すことではないし、身の丈に合わない舶来の哲学をありがたがることでもない。それとは逆に、僕たちの生活実感にもっともぴったりと合致する世界観や人間観を構築して、それに基礎付けられた生き方を身に付けていくことである。身近なところに揺るがない思想を確立することで、政治や経済のような大きな問題に対しても、地に足のついた納得のいく対処ができるはずだ。
 例えば、しばらく前まで、日本人の信仰は神仏が無節操に混同された不純でいいかげんなものと考えられてきた。今日、神仏習合の研究が進む中で、それは決して無原則ででたらめなものではなく、歴史の中で必然性をもって展開されてきた思想であることが分かってきている。しかしそうではあるが、現代の哲学ではそのような神仏観を理論の中にうまく組み込んで説明することができない。
 あるいは、日本人の自然観を説明するのに、しばしば「山川草木悉有仏性しつうぶしょう」などといわれることがある。しかし、そんな言葉は古い文献には見いだせず、「草木国土悉皆成仏しっかいじょうぶつ」が正しい表現である。それは「日本人は自然を大事にしてきた」などという単純なものではないし、ましてアニミズムなどという類型化で括くくられるものでもない。僕たちが触れている自然を奥深く突きつめていったときに、そこで出会われる異形性を受け入れるところに開かれる世界のことである。


 こう見てくると、表面だけのもっともらしいお説教では、日本の伝統に根差した僕たちの生活の思想が十分に受け止められていないことが分かる。しばらく前から僕は、表面に現れた「顕」の世界の裏側に、理屈では捉えきれない「冥めい」の世界が広がっているという二重構造で、この世界を理解するのがよいのではないかと考えている。そう考えれば、神仏はもちろん、震災後大きな問題となってきた死者もそのような「冥」の世界の問題として理解できる。自然にしても、僕たちが理解できる部分はわずかで、その奥は他者的な「冥」の世界に通じていて、そこまで含めて考えなければならない。このような見方をすれば、日本の思想の伝統を適切に受けとめ、生かしていくことができる。そもそも「顕」と「冥」という言葉自体が、中世に広く用いられた世界観の用語である。
 科学や理性で世界を理解しつくすことができるという楽観論はもはや通用しない。理解不能の「冥」なる他者とどのように付き合っていくかが、大事な問題となっている。

中世仏教研究の新動向
密教の世界観 再評価 [下]

 近年、中世仏教の研究も大きく進展し、従来の常識的な見方は通用しなくなっている。これまでの仏教研究は、中世の中でも、いわゆる鎌倉新仏教と呼ばれるものだけにスポットを当て、それが近代社会にも適合するという観点から研究されてきた。そのため、親鸞や道元のような個人だけが突出して評価され、中世という時代全体の中で理解するという基礎的な作業がなされてこなかった。
 近代の仏教解釈の一つの大きな特徴は、密教否定というところにある。密教は前近代的で呪術的な迷信であり、非合理的なこじつけの理論しかないと考えられ、それが神仏習合や権力との癒着のもとになったと批判された。鎌倉新仏教は、反密教的だということで評価されたのである。


 このような密教の封じ込めに対して、密教こそ中世仏教を解く鍵だということは、早く1970年代に黒田俊雄氏によって説かれ、その後、各地の密教寺院の聖教調査研究が地道に進められてきた。しかし、中世の密教の世界観の重要性が本当に認識されるようになったのは、近年のことである。僕自身、長い間密教の世界観が十分には理解できず、最近になってようやく、密教こそ、「顕」の世界に対する「冥めい」の世界の解明を目指す中心的な思想潮流であることが、分かってきた。
 新しい中世仏教像の形成に当たって、名古屋の大須観音真福寺資料の果たしている役割はきわめて大きい。大須観音には、国宝の『古事記』写本をはじめ、貴重な典籍が多数残されていることは以前から知られていたが、中世の聖教全体は膨大な量にのぼる。現在、名古屋大学阿部泰郎教授らによって、その資料を断簡に至るまで細大漏らさず調査し、目録化する作業が進められている。僕も多少のお手伝いをしているが、その家庭で、中世神仏習合関係の資料や栄西の真筆書簡・著作写本などが続々と発見され、中世仏教像を塗り替えることになった。
 昨年12月1日から本年1月14日まで名古屋市博物館で開催された「大須観音展」で、それらの最新の成果が展示されたので、ご覧になった方も多いであろう。また、間もなく刊行が開始される『中世禅籍叢刊』(臨川書店)全10巻は、大須観音の資料に加えて、横浜の称名寺・金沢文庫や、その他の寺院等の資料をも併せて収め、従来の禅についてのイメージを一変させる内容となるはずである。


 今はその内容に詳しく立ち入る余裕はないが、当時の密教には、身体を媒介として「冥」なる世界を切り開こうとする新しい進展が見られる。その画期を作ったのは、信義真言宗の祖とされる覚鑁かくばんで、身体に五輪(地・水・火・風・空の五要素)を観ずることで、即身成仏が実現できると考えた。禅や念仏も、こうした身体技法から発展して、そこから分離していく。中世の新しい神道思想もまた、密教の中から生まれている。
 このように見れば、鎌倉時代の新しい仏教の運動は、多く密教から出発していると考えられる。鹿も、そこで展開される身体論などの思想は、現代にも新たに問題を提起するに十分な内容を持っている。中世思想を過去の遺物と決め付けず、見直すことが今の大きな課題となっている。

すえき・ふみひこ 1949年、山梨県生まれ。東京大大学院人文科学研究科博士課程単位 取得。国際日本文化研究センター教授、東京大名誉教授。専攻は、仏教学・日本思想史。著書は『日本仏教史』(新潮文庫)『日本宗教史』(岩波新書)『哲学の現場 日本で考えるということ』(トランスビュー)など多数。