教養に取って代わるもの
哲学者・大谷大学教授 鷲田 清一  2013年10月9日(水曜日)中日新聞「時のおもり」より
社会動かす市民の力量

 「教育」はなぜかいつも、「教育はいま大きな危機にある」という煽あおりのなかで語られてきた。続いて「改革」「改革」である。そしてそれを「百年の計」を謳うたう国家が率先して推し進める。そのことがわたしにはいちばん危うく映る。
 「教養」についてもおなじで、国立大学から教養部を廃止したそのすぐ後に、今度は「教養」の重要さが語りだされる。しかし教育においていまほんとうに重要なことは、もはや「教養」という語では語り尽くせないのではないかと、わたしは疑っている。
 「教養」は、大正期に入って、それまでの「修養」や「素養」に代わってしきりと口の端にのぼるようになった。では、「教養」と「修養」や「素養」の違いはいったいどこにあったか。


 まず、「教養」が<型>をもたなくなったこと、いいかえると身体の作法をともなわなくなったということがある。そこでは、行為をつうじての自己形成というよりも、読書をつうじて広く知識を習得し、歴史・文化についてそれらを見る目を養うことがめざされた。
 こうした「教養」の観念は、「政治的教養というものを含むことなく、むしろ意識的に政治的なものを外面的なものとして除外し排斥して」おり、福沢諭吉らに代表される明治期の啓蒙けいもう思想への反動としてあったとは、昭和十六年の三木清の指摘である。こうした文化の偏重は、経営や技術など実学的な知識の密ひそやかな軽蔑にもつながっていた。
 だからまた、そこでの「教養」は社会から遊離したところでの「観客的素養」に過ぎなかった。これは戦後しばらくしての唐木順三の指摘である。
 確かに多くの知識をもつことは、物事を広い視野でとらえるに必要なことであろうが、もっと重要なのは、それらを社会運営の中で立体的に組み立て、使いこなしてゆく「わざ」である。
 武士や上層商人としての「素養」(たしなみ)ではなく、文化人のための「教養」でもなく、市民社会の「主」としての市民のなにがしかの力量が、いま、「教養」の代わりに求められているのだとおもう。それは<近代>の根幹をなす古典的な用語でいえば、シティズンシップ(市民性)にあたる。個々の市民が、行政や企業から提供される流通、医療、教育、福祉などのサービスの消費者(つまりは顧客)に甘んじるのではなく、また直面している社会課題の解決を専門家にそっくり委まかせるのでもなく、ほかの市民とともに社会運営の一部を分かちもつパブリックとしての力量を形成すること、これが現在、教育の軸にあらためて据えられるべきだというのが、福島原発事故の痛い教訓だったはずだ。


 教育は、子供たちが以後何十年にもわたって生き存ながらえてゆくその支えになるべき知恵と「わざ」とを伝えるためにある。そのために、これまで何千年という時を経て生き延び、伝えられてきた思想や宗教や習俗を参照する必要がある。そのことだけからも、教育というのがとてつもなく大きな時間地平のなかで設計されるべきものであることが知れる。