親鸞を生きる
武田 定光 たけだ・さだみつ 2013年8月17日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
信じる必要のない宗教
信の傲慢さに警鐘 [上]

 一般的に、どんな宗教であっても信じることが必要だといわれる。信じる対象は、さまざまだが、必ず信ずるということを要求される。しかし、親鸞の仏教は人間に信ずることを要求しない。
 そもそも、人間が何かを信ずるという場合何を信ずるというのだろうか。「鰯いわしの頭も信心から」といわれるように、意味のわからないものを鵜呑うのみにすることが、信心だとでもいうのだろうか。宗教に対する疑問や疑いのこころに目をつぶって、エイヤッと信じてしまうことが宗教ではないはずである。反対に、教理を納得したうえで信ずるのであれば、教理を納得するために自分の知が勝ってしまうではないか。それも信ではないだろう。


 親鸞は一生涯「疑いのこころ」に目をつぶることがなかった。若いころの文章に「急作急修きゅうさきゅうしゅして頭念ずねんをはらふがごとくすれども、すべて雑毒雑修ぞうどくざっしゅの善となづく」(『教行信証』)がある。四六時中、頭に降りかかる火の粉を払うかのように修行したとしても、それらはすべて毒の混じった善でしかないのだという。毒とは疑いである。
 仏教が崇高な教えであることは十分に理解している。しかし、それを信じたい、信じようとするときに残ってしまうものがある。それが「信じられない自分」という問題だ。
 浄土真宗には「妙好人」と呼ばれる在野の念仏者がいる。僧侶でも仏教学者でもない一般人だが、親鸞の核心をつかんでいるひとのことだ。幕末の妙好人である讃岐の庄松が有名だ。彼のところに信者のひとが訪ねてきて、こういう疑問を述べた。
 「私は往生の一段にどうも安心ができませぬ、どうしたらよかろう」と。それに対して庄松は「それは極楽まいりをやめにしたらよい」と答えた。(『庄松ありのままの記』)
 質問者は、自分は阿弥陀さんにおまかせしてお浄土へ往生するという教えがどうしても信じられないと質問している。庄松の答えは明快だ。
 庄松は質問者がどこにつまずいているのかを知っている。浄土へ往生したというあなたの思いは、突きつめれば損得根性ではないかと。なぜ浄土へ往生したいのかといえば、それは、安心安楽な世界を手に入れたい欲にすぎない。結局、自分にとって都合のよい未来を欲望し、都合の悪い未来を怖れているのだ。だから、損得根性で信仰することをやめなさいと指摘している。質問者の心には、信じなければならない、信じることができるという傲慢ごうまんが潜んでいる。


 ところが85歳の親鸞は、次のように述べる。「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし 虚仮こけ不実のわが身にて 清浄の心もさらになし」(『親鸞和讃集』)と。入門したての信者が述べるのならわかるが、自分の一生を信仰にささげてきた親鸞が、こう述べるのだ。
 私はここに、信じることを必要としない宗教が確立したと思う。人間が何事かを信ずるというとき、そこには少なからず損得根性が潜んでいる。さらに信ずることで、真実に近づいたとか、正常なものに近づいたといううぬぼれが首をもたげてくる。そういう毒をことごとく削ぎ落としてくるものこそ信仰なのだと親鸞は見抜いたのだ。
 「たとい牛盗人うしぬすびとといわるとも、もしは善人、もしは後世者ごせしゃ、もしは仏法者とみゆるように振舞うべからず」(覚如『改邪鈔』)と親鸞は語っていたという。牛を盗む人間と指さされても、信仰者と見えるように振る舞ってはならないと。親鸞にそういわしめたものはなにか。それは、信がもっている傲慢さへの警鐘である。信は時と場合によっては、凶器ともなるからである。
 85歳の親鸞は、もはや人間から起こす信仰を放擲ほうてきした。「放擲した」と能動形で語れば嘘になる。「放擲せしめられた」と受動形でいわなければ親鸞の本意にはそぐわないだろう。

死から問われる生
宗教に身を投じる [下]

 仏教を知る前、私は「生きること」と「宗教」は別物だと思っていた。ところが、どうもそれは間違っていたようだ。
 話は人類が「死」を発見した何十万年前にさかのぼる。<人類は死を発見するまで、死ななかった>。こういうと変な顔をされそうだ。しかし、「死」は物理的な出来事ではない。若いお母さんのお葬式で体験したことだが、残された彼女の乳飲み子たちは、母の死を「死」として自覚することはなかった。もし人類普遍のこととして「死」があるのならば、乳飲み子たちは絶叫し号泣していたはずである。ところが花に埋もれ柩ひつぎに入った母をみて、バイバイと手を振ったのである。これはどうしたことだろうか。
 乳飲み子たちは「死」を大人が感じるように感じてはいないということだ。ということは、死とは知的に教育されなければ知り得ない出来事としてあるということではないか。もし人類が二足歩行をし、大脳が発達しなければ人間は死を「死」として発見することはなかったといえるのではないか。他の生き物たちにも「死」があるではないか。だから死は生物にとって普遍的なものではないか、人間だけが特別のわけがないと考えてしまう。
 鳥や犬やネコも死ぬ、だから人間も死ぬと。それは人間から見れば、他の生物が死んでいると受け取れるのであって、他の生物自身が自らの「死」を知っているわけではない。犬やネコは死を知らないから淡々と死んでいける。逆に人間は死を知っている分だけ、ジタバタしなければならない。誤解を恐れずに言えば、他の生物は死んでいるのでも生きているのでもない。「生」と「死」は人間だけが知っている人間特有の意味現象である。


 人間は何十万年か前に死を「死」として発見した。ちょうどニュートンが「万有引力」を発見する以前から引力があったようなものだ。ニュートンはそれを命名したにすぎない。ただ命名することで、存在が存在たらしめられる。それは大いなる悲劇であると同時に幸いでもあった。死の発見は死だけの発見ではない。同時にその裏側にある「生」をも発見したからだ。自分たちは生きている、今日もいのちがあってありがたいというとき、その裏側には「死」が貼りついている。死ぬことを知っているからこそ、いま生きていると実感できるのだ。生きているという感覚は、実は死が支えているものである。
 二千五百年前、釈迦は死がどこからやってくるかと問い詰め、その原因を「誕生」と見定めた。病気や老化や外傷は、あくまで死の条件であって原因ではないと。死の根本原因は誕生、つまり生以外にないと発見した。その意味で、生と死は同時に誕生するのだ。生のみの生もなく、死のみの死もない。それで仏教はいのちを「生死(ショウジ)」と表現してきた。
 われわれは、人間には必ず死があり、やがて自分自身もこの世を去っていくことを知った。死を知ってしまった人間は、死から問われ始める。みすみす死んでしまうのに、なぜ生きるのか?と。この問いにどう答えるかが宗教である。この問いをごまかして生きるか、真向かいになるかの違いが出てくる。
 死を目の前にすれば、この世の価値はすべて崩壊していく。いくら財産や健康や家族があっても、それらはすべて色あせ無意味なものに変質していく。死は人間から、生きる意味をすべて奪っていくものだ。果たして、死をもってしても奪うことのできない意味があるのか。それを人間は求めているのではないか。
 だから人間が誕生するということは、宗教の中に身を投じることではないか。生きることと宗教は別のことではない。生活のどの場面を切り取ってみても、すべて「死んでしまうのに、それはどういう意味があるの?」と問われてくる。


 親鸞もその問いに苦しめられた。その答えは阿弥陀あみだ如来の浄土にいけば解けると聞いてきたが、それを受け入れることができなかった。そこから眼が逆転した。生きる意味があれば生きられる、生きる意味がなければ死ぬしかないと考える発想そのものが問題だと自覚した。自分は生きる意味を手に入れたいともがいていた。しかしそれは求道心のように見えて、実はどす黒い欲望でしかない。自分にとって都合のよい未来を貪むさぼっているだけではないのか。そこに眼が開かれたとき、親鸞は「地獄は一定いちじょうすみかぞかし」(『歎異抄』第二条)、地獄は決定的な自分の居場所だったと地獄を引き受けた。
 地獄を受容した人間を、もはや地獄は脅かすことができないのである。

たけだ・さだみつ 1954年、東京都生まれ。大谷大大学院博士課程修了。真宗大谷派・因速寺(東京都江東区)住職。元親鸞仏教センター嘱託研究員。著書に『新しい親鸞』『逆説の親鸞』(雲母書房)『「歎異抄」にきく 死・愛・信』(ぷねうま舎)など多数。