自律的生き方を否定する経済
JT生命誌研究館館長 中村 桂子 2012年5月16日(土曜日)中日新聞「時のおもり」より
人間本位へ方向転換を
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今年は上手に休日をとると大型になるということで多くの人が楽しんだ連休最後の日に、関東地方では思いがけず雷とヒョウ、そして竜巻が発生した。9日には中部国際空港沖の伊勢湾でも竜巻が発生した。自然災害はいつだって思いがけず起きるのだ。地震、津波、台風、豪雨とこのところこれでもかこれでもかと起きる災害に、地球に何か特別なことが起きているのではないかと思いたくなる。
しかし、たとえば「方丈記」には、辻風や大地震が続いて起きた様子が描かれているし、日本列島は本来決して静かな場所ではないのである。それは近年のプレートの研究からも見えている。四季があり、自然の美に恵まれた地であると同時に動きが激しいのであって、それに向きあって生きていくことが不可欠なのだ。具体的にはどうするか。答えは「一人一人が自律的に生きながら、お互い支え合い、地域に根ざし、自然を活いかした社会をつくること」だと考える。実はこれは東北地方に存在した社会であり、東日本大震災の後、多くの人が、その強さに感嘆した生き方である。
ところで、このような社会と最も合わないのが、21世紀に入り小泉内閣によって進められ、今も続いている新自由主義であり、金融化、投機化した経済である。これがもたらしたものは、少し強い言葉を使うなら自律的生き方の否定、人間の否定ではないだろうか。不条理ともいえる所得格差、雇用の不確実さから来る不安などが社会の基本となる人間の信頼関係を壊した。社会活動の基本は人間であり、相互の信頼であるはずなのに、それを実態感のない巨額のお金の動きで壊してしまったのだ。リーマン・ショックというとんでもない人災があったのに、経済学や経済界に対して脱投機型経済という動きが出てこないのはなぜか。私にはわからない。
科学技術に関しては、福島での原子力発電所事故以降、脱原発社会への動きが活発である。多くの困難を乗り越えなければならなくとも、一人一人がかなりの我慢をしなくてはならなくとも、とにかく今は原発を止めようという人びとの声である。放射能の人体への影響を考えたら、難しくとも方向転換をしようという判断が生まれているのである。
現在の経済のありようは、人間の心を壊している。自殺者が3万人を下らない背景にはそれがあると言ってよいと思う。グローバル化の中での日本を考えなければならないという点では原子力発電も同じだ。各人が自律的でお互いを支えあって生きようとするなら、経済も困難を覚悟のうえで"脱"を考えられるはずだ。若い人たちは世の中はお金だなどと思わなくなっているように思う。経済は教育・医療・福祉など基本を整え皆が暮らしやすい社会をつくるために必要なのであって、お金が動けばよいということではない。
自然・生命・人間を見てきた者としては、自律と支え合とともに地域に根ざし、自然を活かした社会というところが重要だと思っている。東北地方の復興についても相変わらず中央が中心になり、従来と変わらぬ土地利用計画を立てていると聞く。その土地に適したその土地の人が求める暮らしを、自然や人間についてよく考えている建築や都市の専門家の力を活かしてつくっていってほしいと思う。お金でなく人間から考えてほしい。自然災害に向き合う方法はこれしかないと思うからである。