老い否定の社会 再考を
哲学者・大谷大学教授 鷲田 清一 2012年2月22日(水曜日)中日新聞「時のおもり」より
できなくなってはじめてできること
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老いというのは、ひとりでできることが一つ一つ減ってゆくプロセスだといえる。裏返せば、できなくなることが一つ一つ増えてゆくということ。だから、現代の老いのイメージには、疲弊や衰弱、あるいは畏縮や退行といったマイナスイメージがつきまとう。つまりは「下り坂」のイメージである。かつて「長老」や「老師」などと敬意を払われた老いが、今は「老害」「老醜」「加齢臭」などと忌み嫌われるようになっている。
これは、わたしたちが「何ができるのか」「何をしたか」で人の価値を測るような社会に生きるようになってからのことであろう。そういう社会では、「できない」ことがいつも欠損とされてしまう。じっさい、履歴書の記載事項をみれば、学歴、職歴、賞罰、免許・資格と、「できること」「してきたこと」の羅列である。
何ごとにつけてもつねに資格が問われるのは、製造から販売、流通、サービスまで、社会のシステムが複雑になるにつれて、それに見合った手続や対処能力が求められるようになるからである。こういう社会では、何をするにもまず「能力」が問われる。そしてその条件を満たしていなければ「不要」の烙印らくいんを押される。そう、人が「試験」で選別される社会である。
こういう社会では、老いて人は、世話になるばかりで何もしてやれないことをすまなく思うようになる。そしてそれが昂こうじて、「こんなわたしでもまだここにいていいのか?」と、社会からの強迫に怯おびえつつ、じぶんがここにいることの資格を問うようになる。「ただある」ことがなかなか肯定できない、そんな社会にいまわたしたちは生きているのだ。
けれども、「できない」ということははたしてつねに欠損なのだろうか。あえていえば、「できなくなってはじめてできる」ことというのがあるのではないか。
凹へこみ、あるいは欠如が、逆に存在を膨らます…。そんなことがあるのだということを、先だって板東玉三郎さんから教わった。玉三郎さんは、じぶんが女形になるときに、<女>からの遠さが出発点になったという。たとえば女でないこと、脚を悪くしたこと、背が高すぎること。これら<女>を演じることを難しくしている点が、逆に女形としての存在を研ぎ澄ましてくれたというのである。じっさいの女性以上に、<女>をじっと眼をこらして観察するよりほかなかったからである。
玉三郎さんが尊敬していた女優の故杉村春子さんは、「女が女を演じると何かが足りない」と言ったそうである。それは祖雑物が多すぎて、<女>のエッセンスを見えにくくするということだろうか。じっさい、才能ある画家は、どんな対象も苦もなく巧妙に描けるので、逆に<もの>の本質を逸しやすい。だから画家は、自らの才能をあえて封印するのに苦労する。その点、女形はもともと女性でないから、祖雑物を消去して、エッセンスだけを取り出すのに有利だということだろう。
そういう意味で、存在上の制約はじつは限界ではない。大切なのは、その制約と向き合うなかで何をつきつめるかだ。そこに何が訪れるかだ。ある時代、ある場所、ある家庭に生まれたことが、そのひとが生み出す作品に厚みをあたえるこそすれ、もはや限界でも何でもないように。
老境にある役者は、余計なものを削ぎ落として軽くなる。してはならないことをあえてしても、なぜか様になる。老いゆく人みずからが、この社会の強迫観念をなぞるかのようにして「アンチエイジング」と口にするのは、もってのほかだとおもう。「できなくなってはじめてできること」をこそ、老いて探るべきだとおもう。