釈尊最期の説法に聞く
青山  俊董 あおやま・しゅんどう 2012年2月25日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
欲の方向づけを
すべての幸せのために [上]

 ねがわくは花の下にて春死なん その如月きさらぎの望月もちづきのころ

 桜の花の下で釈尊しゃくそんの入滅された2月15日ごろに自分も死にたいものだと、西行が詠じているように、2月15日(新暦は1カ月遅れの3月)は釈尊が80年のご生涯を閉じられた日である。
 昨秋、3度目の仏跡巡拝を果たした。釈尊涅槃の地、クシナガラに詣で、翌早朝、ガンジス河に船を浮かべ、朝もやの彼方かなたから上る朝日を拝みつつ、釈尊がガンジス河を渡られた時に示された言葉を思いおこした。
 ある時、釈尊は弟子たちとガンジス河を渡っておられた。船が朽損きゅうそんしていたのであろう。浸水しはじめた。釈尊は弟子たちと力を合わせて水を外へ汲み出し汲み出ししながら無事に彼の岸に渡ることができた。そこで釈尊は弟子たちに、人間の煩悩を水にたとえてお説きになった。
  比丘よその船より水を汲むべし
  汲まば汝なんじの船は軽く走らん。
  貪むさぼりと嗔いかり(と愚痴)を断たば爾なんじは早く涅槃にいたらん(法句経)
 水を船の中へ限りなく取り込んでゆけば船は沈没してしまう。その水を外へ汲み出せば船は軽く走ることができるように、人間も貪嗔痴とんじんちの三毒、つまり煩悩を断たば早く心安らかな涅槃に到いたることができるであろう、とのお示しである。釈尊の入滅を涅槃と呼びならわしているが、本来の涅槃の意味は、梵語ぼんごでニルバーナーといい、煩悩の炎が吹き消された状態を指す。


 かつて江原通子ゆきこ先生が「船を浮かべる水も沈める水も一つ」と語られた言葉が、深く心に刻みこまれている。一つの水を船の中へ限りなく取り込んでいったら、船は沈没してしまう。同じ水を外へ汲み出したら、船を浮かべ、推し進める水へと変貌する。
 この水のところへ人間の「欲」という文字を置き換えてみよう。欲がイコール悪ではない。欲を、小さな我欲の方向にのみ増長させてゆく。わが心にかなうことは限りなく貪り、思うようにゆかないと腹をたてたり、落ち込んだりする。釈尊はそれを断てとおおせられる。あるいは貪りや嗔や愚痴を炎にたとえて、消せとおっしゃる。
 釈尊が最期にお説きになった遺言の教えは八大人覚はちだいじんがく(8つの大人として自覚すべきこと)として今日に伝えられている。その初めに少欲しょうよくと知足ちそくが説かれている。欲が小さな私の満足の方向にのみ、あるいは人類の欲望の追及の方向にのみ向けられた時、煩悩となり、それに対し少欲であれ、知足であれ、一歩進んで断ち切れとおおせられるのである。


 しかし、考えてみたい。「浮かべる水も沈める水も一つ」であるように、道を求めようとする心、向上しようとする心も、少しでも人々の役に立ちたいと思う心も欲に違いない。禅門の言葉に「火について焼けず火にそむいてこごえず、よく火を利用するごとく、人、欲を修道の方に向けよ」というのがあるように、欲を求道、向上の方向へ、さらには人類ばかりではなく、地球上のすべてのものの幸せのためにと方向づけをすることができたら、これは菩薩ぼさつの誓願行として、願わしきものといえよう。欲は悪として断ち切るべきものではなく、むしろ天地から授かった生命のエネルギー。その授かりのエネルギーにふさわしい生き方の方向づけをすることこそ、大切なことではなかろうか。
 『大乗荘厳だいじょうしょうごん経論』に、「善友に親近し、正法を聴聞し、如法に思惟しゆいす。此の三は能く大欲を起こす」―よき友に親しみ、正しい教えを聞き、真実にそったものの考え方をする。そうすれば大欲が起きる―とあるという。
 少欲・知足ではなく、「道窮みちきわまりなし」と、どこまでも足ることを知らず、更に一歩深く、と大欲張りになって、この道を歩みつづけ、また、少しでも少しでも人々にその光を伝えたいと願わずにはおれない。

道に従っての常精進を
今を純一に柔軟に歩め [下]

 山火事が起きた。鳥も獣も一目散に逃げた。その中でただ一羽の小鳥がその山火事を消そうとして、必死になって自分の羽を谷川の水に浸しては火の上へいってその露を払った。くたびれもうけで何の役にも立たないと、他の鳥たちはその愚を嘲笑あざわらったが、その小鳥は一途いちずにやり続けた。「何の役にも立たないかもしれない。けれど、私にできることはこれしかないから」と言って。天の神はこの小鳥の心に感じ、大雨を降らせて火を消したという。
 これは沢木興道こうどう老師の私にとっては最期の御提唱となった『正法眼蔵しょうほうがんぞう』八大人覚はちだいじんがく(大人として自覚すべき八つの教え)の中の「勤精進ごんしょうじん」についてのお話の一節である。


 釈尊しゃくそん最期の御遺言である『遺教経ゆいきょうぎょう』の骨子ともいうべき八大人覚を、道元禅師も54年の生涯を閉じられる最期にとりあげられ、その一つ一つに短い言葉を添えられた。
 「もろもろの善法ぜんぽうにおいて勤修無間ごんしゅむけん、故に精進という。精せいにして雑まじらず、進んで退かず」
 これは八つの中の第四番目、「勤精進」に添えられた言葉であり、沢木老師の小鳥の例話は、「精にして雑らず」のよき例として語られたものである。われわれが事にあたる時、そのことが私にできるかできないかを問い、その結果がどう出るかを問う。更にそのことをすると人はどう思うかを考える。そして結局そういう第二念、第三念の妄想に邪魔されて何もできないで終わってしまう。そうではなく、一筋に今私の出来ること、せねばならないことのみを考え、まっしぐらに勤めよのお示しが、「精にして雑らず」のお心である。今ここにおいてまじり気なく純一に、これが「精」の字の示すところなのである。
 次に「進んで退かず」の一句が登場する。「進んで退かず」といっても、ただ前進あるのみ、というのではない。自動車運転と同じで、実際の人生という道路を走ろうとするといつも青信号とは限らない。病気という赤信号で止まらねばならない時もある。失敗という黄信号で回り道をしたり、バックしたりせねばならないこともある。われわれは一度志をおこしても、何かの障害にぶつかって思うようにゆかないと、「もうだめだ」と絶望したり、回り道をすると回りっぱなしで元へ戻ることを忘れたりする。そうではなく、たとえば水を塞き止めると一層力を増し、大回りするほどに豊かになりつつ、しかも前進することを忘れない、そんな生き方を「進んで退かず」の言葉から学んでおきたい。
 渡辺玄宗げんしゅう禅師は最晩年に入門してきた弟子を枕辺に呼び、「九十九つづら曲がりの山坂道を、まっすぐにゆくにはどうしたらよいか」と尋ねられた。「わかりません」と答えるその若い弟子に「曲がりつつまっすぐゆくんじゃ」とさとされたという。まっすぐというと山も坂も川も海も一直線に越えてゆかねばならないかと思う。交通信号が赤であろうと黄であろうと、馬車馬のように突っ走ることが莫妄想まくもうそうの前進のように思ってしまう。そうではない。「曲がりつつまっすぐ」、何と味わい深い言葉であることか。


 「精進」という言葉と対照的な言葉として「放逸ほういつ」というのがあり、友松円諦えんたい先生はこれを「おこたり」と読ませておられる。この「放逸」のパーリ語の語源は「煩悩にしたがう」の意味を持っているという。「精進」に添えられた道元禅師のお言葉の初めに「もろもろの善法において」という一言が条件として出されている。凡夫私の欲の満足のためにどんなに一生懸命働いても、それは精進とは呼ばない。金もうけのため、名誉を得んために、夜も眠らずにがんばっても、それは「放逸」でしかないというのである。善法とは天地の道理。わが思いはいかがあろうと、とりあわず、ひたすらに道にしたがって間断なく歩みつづけることを精進というのである。
 ここで「間断なく」の一句を添えた。「もろもろの善法において勤修無間」の「無間」がそれで、「一服なし」というのである。われわれは無闇に焦るかと思うとたちまち一服する。心臓が一服したら死ぬ。太陽の昇らぬ日はないように天地は一服なしの常精進である。たった一度の命の今を、天地の道理にしたがって、純一に、柔軟に歩みつづけよの釈尊の、道元禅師の御遺言に心の耳を傾けたい。

あおやま・しゅんどう 1933年、愛知県一宮市生まれ。15歳で得度し、駒澤大大学院修士課程修了。曹洞宗・愛知専門尼僧堂堂長。長年の活動に対して2006年に仏教伝道功労賞を受賞。著書は「道元禅師に学ぶ人生―典座教訓をよむ」(NHKライブラリー)や近刊に「あなたなら、やれる」(海竜社)など多数。