シューマッハー経済学の再考
尾関 修 おぜき・おさむ 2012年2月11日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
スモール・イズ・ビューティフル
原子力は暴力的な技術 [上]

 経済学は自然科学とは違い、よって立つ価値観により大きく異なる。E.F.シューマッハー(1911~1977年)は、仏教、キリスト教、ガンジーなどの価値観によって新しい経済学を作り上げた。私たちはシューマッハー経済学を学ぶことによって、仏陀やキリスト、ガンジーだったら現代の問題にどう答えたかを考えることができる。自分がシューマッハーといかにとり組んできたかをふり返り、まず非暴力について考えてみたい。


 73年末の石油危機のとき、これを警告したシューマッハーの本がベストセラーになった。「スモール・イズ・ビューティフル(小さいものはすばらしい)」人いうタイトルはキリストの柔和な道を表しているが、仏陀やガンジーにも共通な非暴力の心をも表現している。シューマッハーは、環境問題や資源問題を論じる中で、技術を暴力的で生命を脅かすものと非暴力的で生命を支えるものに識別している。日本では、76年「人間復興の経済」(佑学社)と題し翻訳された。
 英国の石炭公社の顧問だったシューマッハーは、エネルギー資源の超長期的需給予測に関心を払い、石油、石炭、天然ガスなどの化石燃料は有限で、浪費してはいけない自然資本であるとし、「原子力、救いか呪か」と論じた。
 偶然私は、三菱総研の産業技術部にいた77年に、東京電力原子力開発研究所から依託されたエネルギー資源の超長期需給予測を担当した。このとき初めてシューマッハーの原発問題の議論と向き合い、放射性廃棄物の処分や廃炉の解体など解決不能な環境問題を抱える原子力は、暴力的な技術であると認識した。
 そこでシューマッハーに従って省エネルギーと再生可能エネルギー(自然エネルギー)という非暴力の技術の拡大可能性を最大限見込み、原発の問題点を考慮した結果、再生可能エネルギーの一次エネルギーに占める構成比は2020年で原子力を若干上回って10%強になる供給予測を出した。シューマッハーならば、事故の影響の大きな原子力の構成比を10%も認めることはなかったと思う。
 76年にシューマッハーに触発された物理学者エイモリー・ロビンスが、米国における「ソフト・エネルギー・パス」を発表した。熱力学的に効率のよいエネルギーの需給構造に変えることによって、石油、石炭、天然ガス、原子力といったハード・エネルギーを、小型水力、風力・波力、太陽光・太陽熱、薪・バイオマス、温泉・地熱といった小型、分散型、地域的、非暴力的、再生可能なソフト・エネルギー(自然エネルギー)に長期的には置き換えることができるというものだった。ロビンスは、原発は核拡散を招くとしていたのでカーター大統領の目に留まり、米国のエネルギー政策にも影響を与えた。
 79年に米国のスリーマイル島で原発事故が起きた。そこで三菱総研の産業技術部では日本におけるソフト・エネルギー・パスの可能性を調査するプロジェクトを立ち上げた。企業に参加してもらい、技術開発の現状を調査した結果、エネルギー需給構造を地域的、分散的に変えることで、ソフト・エネルギー・パスは日本でも十分可能であるとの結論になった。
 当時の通商産業省にはムーンライト(省エネルギー)計画やサンシャイン(自然エネルギー)計画があり、体制も整っていた。シューマッハー経済学の価値観は、巨大主義に進む日本の技術にも、仏陀やキリスト、ガンジーが重んじた非暴力の方向を求めていた。


 スモール・イズ・ビューティフルは自然界の調和法則を無視した現代の技術の方向転換を求めていたのである。ロビンスが80年に来日した時には講演会を聞いて歩いた。電力会社も含め広い階層の反響を呼んだことは驚きだった。
 この熱気が続いていれば、暴力的で生命を脅かす原発拡大の方向を変えることもできたのではないかと残念でならない。

君あり、故に我あり
自然エネルギー不可欠 [下]

 1986年にチェルノブイリ原発事故が起こった。その直前に新訳の「スモール・イズ・ビューティフル」(講談社学術文庫)が出版されていた。E.F.シューマッハー(1911~77年)の懸念が現実となったのである。
 チェルノブイリ原発事故はスリーマイル島原発事故より深刻で大量の放射性物質が大気中に放出され、広範囲の水と土が汚染され経済生活は困難になった。


 経済学は人間を環境ぐるみで取り扱う学問であるとするシューマッハー経済学は、環境経済学と呼ばれるようになる。シューマッハーに共鳴したインド人のサティシュ・クマールによって、英国でシューマッハー・カレッジが設立され、環境問題を中心にセミナーが開かれてきた。サティシュは、哲学者でカルトの「我思う、故に我あり」ではなく、インド古来の「君あり、故に我あり」という価値観を掲げた。これは、非暴力と同様に仏陀やキリスト、ガンジーに共通の価値観だった。「神あり、父あり、母あり、故に我あり」にとどまらず、「大気あり、水あり、土あり、故に生命あり」となれば、深く環境を重視する価値観となる。
 私はシューマッハー・カレッジのセミナーに参加した縁で、サティシュの本を翻訳し「君あり、故に我あり」(講談社学術文庫)と題して出版した。「我思う、故に我あり」は、近代科学の礎になったが、対象を分割、分離する哲学であり、木を見て森を見ざる環境問題の原因になっている。これに対して「君あり、故に我あり」の哲学は、環境依存の経済を築いていく基礎になり、平和な生き方そのものである。
 自分の生活から見るならば、新築マンションの合成化学物質の影響で、妻が長いこと体調を崩し、長野県の御代田町に転地療養することになった。化学物質過敏症に対応している自然住宅ネットワークと知り合い、小さいながら無垢の木曽ヒノキ、ぬき構造、漆塗装、しっくい壁、地熱利用の家を建てた。浅間山麓の清らかな大気と湧水、美しい景色と静けさに癒されて妻は健康を取り戻し、畑を借りて自然農法をまねて野菜作りに一緒に励んだ。
 身を持って「自然あり、故に我あり」を学んだのである。御代田町は、屋根のない病院と呼ばれており、自然環境の良さのおかげで、難病が治ったという人もいる。私お場合はパーキンソン病で、簡単には治りそうにないが、希望を持って暮らしてきた。
 ところが、その御代田町の環境を脅かす事件が起きた。町が軽井沢町と小諸市のごみを集めて御代田町の浅間山麓で燃やすガス化溶融炉建設計画を発表したのだ。重金属で大気や湧水の汚染が避けられないので、町の水と空気を守る会を立ち上げ、ごみ問題を考える集会を度々持ち、県知事にも陳情した。
 環境アセスメントが進む中で、ごみを燃やすこと自体が問題と考え、ゼロウェイスト(廃棄物ゼロ)を行う徳島県上勝町に出かけ、町長に御代田町で講演してもらった。町長選で、建設計画の白紙撤回を掲げる町長の誕生に漕ぎつけた。ごみの削減、再利用、リサイクルによる一般廃棄物のゼロウェイストは、焼却処分による大気汚染を避けて、最終的には埋め立て処分するものである。


 東京電力福島第一原発の事故によって、放射性物質が広範囲に大気に放出され、水や土も汚染されてしまった。たとえ事故が起きないとしても、原発を運転することで生じる放射性廃棄物の処分地はまだ決まっていない。気の遠くなるような長期間にわたる厳重な管理が必要なのだ。原発を廃止する以外に、放射性物質や放射性廃棄物をゼロにすることは難しいのである。
 シューマッハーやエイモリー・ロビンスのいうように、熱力学的に無駄の多い化石燃料や原子力のようなハードエネルギーから転換し、小型水力、風力・波力、太陽光・太陽熱、薪・バイオマス、温泉・地熱といった非暴力的で再生可能なソフトエネルギー(自然エネルギー)を適材適所に用いていくことが、必要不可欠になっている。
 このソフトエネルギーパスによって、化石燃料から出る温室効果ガス(二酸化炭素、メタンガスなど)と、原発から出る放射性物質・放射性廃棄物をストップし、新たな堆積を食い止めなければ、人類は生き残れない。
 今や「シューマッハーあり、ロビンスあり、故に我あり」の時代になったのである。

おぜき・おさむ 1942年、東京生まれ。東京大大学院経済学研究科博士課程中退。三菱総合研究所を経て、横浜商科大商学部教授。2010年パーキンソン病のため退職。著書は「君あり、故に我あり」(サティシュ・クマール著翻訳、講談社学術文庫)など。長野県北佐久間郡御代田町で療養中。