がん患者になってみて
大村 英昭 おおむら・えいしょう 2012年8月18日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
余命2年だが まだ元気
期間を限定され達観 [上]

 (死ぬのは「がん」に限る。ただし治療はせずに)。これは中村仁一医師のベストセラー『大往生したけりゃ医療とかかわるな―「自然死」のすすめ』(幻冬社新書)の帯に書かれたキャッチフレーズです。この本の出版に先立って、中村医師とは何度か対話する機会をもったのですが、その折の語り口がそのまま書物になった感じ、ですから「大村さん、あんたも"古希"やろが、それなら抗がん剤投与なんて止めたほうがいいんじゃない」の声を聞く思いで読ませてもらいました。


 確かに、筆者は一昨年来、国立病院機構大阪医療センターの化学療法室で3週間に1度抗がん剤を投与してもらっています。といいますのが、一昨年の9月初めにステージlVに近い大腸がんをリンパ節も含めて切除手術してもらったのですが、その際、事前のPET検査でも見つけられなかった"播種はしゅ"と呼ばれる転移がんが腹膜にあることが判明し、執刀医からは「放置すれば余命8カ月」の診断を受けたのです。ただし、すぐ代わってやってこられた化学療法室担当の医師からは「これこれの抗がん剤を投与すれば平均余命2年程度には延ばせるはずです」との説明を受けました。
 以来、この8月で早や1年と11カ月になりますから、想定通りですと、残るは1カ月ということになるのですが…。いまのところそれらしい兆候は見当たりません。それどころか、危惧された副作用がほとんどないのを幸いに、お酒もたばこも手術前の状態に復帰してしまったほどです。で、先の中村医師よりも以前に対談した、こちらは「『平穏死』のすすめ」(講談社)を書かれた石飛幸三医師からは、「抗がん剤が効いているというよりは、たぶん大村さんの、その達観ぶりに、がんのほうが"参っとる"んでしょうなぁ」と褒めてくださっています。そういえば、がん宣告を受けた直後に会った友人も「ようそんな平気な顏していられるねぇ」と言ってくれましたから、石飛先生がおっしゃる"達観"もまんざらではないのかもしれません。


 そういう次第で、「抗がん剤も止めたら」という中村医師の言葉を化学療法室の担当医師に伝えたところ、「でも、大村さんの場合、抗がん剤のせいでQOL(日常生活の質)が落ちる、ということがないのでしょう…。だったらこのまま続けてもいいんじゃありませんか」となって、いまに至っているわけです。
 抗がん剤を始めるに当たって、お酒は駄目でしょうねぇと、おそるおそる尋ねた私に、投与します抗がん剤は、どれも「アルコールで左右されるようなやわな毒ではありませんから、全然構いませんよ」と言ってくださったこの先生、当初は、他の医院を紹介しますので"セカンドオピニオン"を求めてくださいともおっしゃったのですが、"やわな毒ではありません"のひとことで、「いや、その必要はありません。すべて先生にお任せします」と申すことができたのでした。
 医師および医療機関への信頼感がなければ、治るものも治らないということは誰もがおっしゃいましょう。私の場合も、「ここで駄目なら、どこへ行っても駄目」といった思い切りが手術前からありましたから、平均余命の形で、いわば期間限定していただいたことで、かえって"すっきり"したと申しますか…、残された時間の中で何をするべきか、この意味での"事業仕分け"ができたように思います。
 もとより、もう一足の"わらじ"は浄土真宗の僧侶。死ぬことは俗世間―ことに競争社会ゆえ―のしがらみから解放されること、この意味での諦観は自然に身に付けてきたのでしょう。それでも、他人ひとごとが「我が事」になって初めて見えてくるところも多くあります。僧侶としてのそれはともかく、半世紀にもわたって学んできた社会学方面の"事業仕分け"について、次にお話ししたいと存じます。

自殺者の減少をどうみる
個人主義 危うさ示す [下]

 平均余命の形で"期間限定"してもらったおかげで、残された時間になすべきことが明瞭になり、かえってすっきりしたと申しました。この意味での"事業仕分け"ができるなら、<死ぬのは「がん」に限る>という中村仁一医師の言い方は誇張でもなんでもなく、むしろ筆者のいまの心境を言い当てておられるとすら思えます。
 で、社会学社として言い遺のこすべきことは何かと考えた結果 、エミール・デュルケムの『自殺論』を終始「座右の書」としてきた者としては「14年連続3万人超」を記録しているわが国の自殺問題に絞って論じておこうと決心いたしました。ことに、東日本大震災のあった平成23年、わが国の自殺者数は30,651人で、前年より1,039人減少したという事実は、筆者に世論潮流の"潮目が変わりつつある"ことを予感させたのですが…。残念ながらマスメディアには、減少したというこの事実を素直に認めたうえで、その理由を問うような議論が全く出てこなかったからでもあります。


 念のため、この自殺データが公表された当時のマスコミ論調をふり返って見ておきます。各紙ともに大同小異なので、平成24年3月9日付夕刊をとりあげてみます。大見出しには<自殺14年連続3万人超>とあって、「減少はしたものの、平成10年(1998年)から14年連続で3万人を超えた」事実のほうを、ます強調します。そのうえで<被災地に長期的支援必要>との中見出しのもと、「被災3県(岩手・宮城・福島)の自殺者総数も1,409人と前年を15%下回った」ことは認めざるを得ないからでしょう、続けて次のような、いささか無理な注釈を施しているのです。
 <だが新潟県中越地震(04年10月)では、被災地の自殺者は震災直後に一時的に減ったものの、2年後から増加に転じた。専門家は「東日本大震災でも同じ推移をたどる危険性がある」と、長期的支援が必要と指摘している>と。もとより「長期的支援の必要」を訴えようとする善意に冷や水を注すつもりはありません。でも、こういったデータに対する構えが、自殺という特異な事象の本質を、かえって見損なわせる危険があることは指摘せざるを得ません。というより、「長期的な支援が必要」といった、ある意味分かり切ったことを言うのに、特に自殺データに依拠し、かつ、減少したという、むしろ喜ぶべき事実を無視してまで主張する必要がどこにあるのでしょうか。
 試みに、太平洋戦争、敗戦直後の2、3年を想おもってみてはいかがでしょう。犠牲者の数はもちろん「経済的なリスクの広がり」からいっても、今回大震災時の不幸にまさるとも劣らないものがあったことは誰もが認めるでしょう。にもかかわらず、自殺者の数はいまよりはるかに少なかったことはまぎれもない事実です。周囲に充満する生活苦のただなかにあって、人はむしろ自殺などしないと考えたほうがいいぐらいなのです。いや、そもそも自殺という不幸を「生活苦」に類するもう一つの不幸で説明することにいったいどんな意味があるのでしょうか。わざわざ自殺へともってまわるまでもなく、「生活苦」といえば、ないほうが良いに決まっているではありませんか。


 では、東日本大震災というたいへんな不幸があった平成23年、自殺者数がむしろ減少したのはなぜでしょうか。まずは、この年のキーワードが"絆"だった点に注目しましょう。外国メディアもこぞって賞賛した避難所での助け合い、わかち合う精神の高揚。そして、口にされる歌の詞が、オンリーワンから"誰かのために"へと一変した辺りも考えあわせてみてください。
 デュルケムの『自殺論』が強調して止まなかったのは、人びとが共同体によく「統合」されている時節には自殺は減少するという事実です。逆に個人主義的生き方が称揚される時、「みずからの運命に終止符をうつこともかれ自身の権利となるだろう」と言っています。「自己本位の自殺」に触れて言われた、こんなフレーズも筆者は想いだします。「人は誰しも、己れ自身を目標にしてはかえって生きづらいのだ」と。
 対して、不可抗力による死を、あれほど多く見た私たち。亡き人びとにはなかった今日一日がいかに尊いものか。誰もが生かされたいのちの有りがたさに身の引き締まるような思いをしたに違いありません。

おおむら・えいしょう 1942年、大阪市生まれ。京都大文学部卒。大阪大大学院、関西学院大大学院教授を歴任して現在、相愛大特任教授、兼ねて浄土真宗本願寺派僧侶。著書に「臨床仏教学のすすめ」(世界思想社)など多数。現在「新自殺論」を執筆中。