人生を楽しむ
柏木 哲夫 かしわぎ・てつお 2011年3月5日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
楽観主義の薦め
失敗も困難も"何とかなる" [上]

 2010年のノーベル化学賞に二人の日本人が選ばれた。北海道大学名誉教授鈴木章氏とアメリカのパデュー大学特別教授根岸英一氏である。クロスカップリング反応(cross coupling reaction)に関する研究が受賞の対象になった。カップリング反応とは、二つの化学物質を選択的に結合させる反応のこと。特に、それぞれの物質が比較的大きな構造(ユニット)を持っているときに用いられることが多いらしい。結合する二つのユニットの構造が等しい場合はホモカップリング、異なる場合はクロスカップリング(またはヘテロカップリング)というようである。
 お二人の研究の詳細については私の専門外のことなので、これ以上触れないことにするが、テレビでお二人が共通の恩師であるブラウン博士のことを話されたことに私はとても興味をひかれた。ブラウン博士もノーベル化学賞の受賞者で、鈴木、根岸両氏がやがてノーベル賞を受賞するであろうと予言されていたという。
 ブラウン博士が常々、科学者の、研究に対する大切な姿勢、考え方として弟子たちに強調されていたのは「eternal optimism」(永遠の楽観主義)という言葉だったとのこと。化学者が新しい物質を作ることに挑戦するとき、何度も実験を繰り返し、うまくいかなければ別の方法に切り替え、忍耐をもって地道な努力を継続する必要がある。そのプロセスにおいて、大切な考え方が「eternal optimism」という訳である。一つの方法がうまくいかなくても、これは成功への一つの段階だと解釈し、この実験はきっと成功すると楽観的に考えることが大切だということである。


 一度や二度の失敗の場合は、三度、四度と工夫すれば何とかなるかもしれないと思えるであろうが、失敗が多くなれば、人は普通、悲観的になる。しかし、ブラウン博士が薦めている姿勢は楽観的な考え方(optimism)を永遠に(eternal)持ち続けるということである。何度失敗してもきっとうまくいくと楽観的に考える姿勢が科学者には必要だというのである。
 鈴木、根岸両氏の業績も数えきれない失敗の上に立ち上げられたものである。そのプロセスにおいて、二人を支えたのが「eternal optimism」であった。
 心理学者、スーザン・セガストロームがその著書「幸せをよぶ法則」(星和書店)の中で、強調しているのも楽観主義である。幸せな人生を送るためには物事を悲観的にとらえるのではなく、楽観的にとらえる事が大切だと説いている。前述書は、楽観性が幸福な人生につながる事を科学的に証明した、経験豊かな心理学者による極めて良質な一般向けの書物である。楽観性が免疫系を賦活し、身体的な健康をもたらす事をしっかりした研究で示している。
 フランスの哲学者アランは「悲観主義は気分だが、楽観主義は意思である」という有名な言葉を残している。悲しいことが起こった時、気分的に悲しくなり、その悲しい気分に浸ってしまい、事態はもっと悪くなるのではと思ってしまう…典型的な悲観主義で、ある意味、自然な流れかもしれない。しかし、ここで意思を働かせ、起こった事は悲しいことだけれど、きっとこれは早期に解決し、もっと良い結果に結びつくと意識的に考え、意思を働かせることが楽観主義である。


 この楽観主義に信仰の裏打ちがあれば、もっと良いであろう。神学者ピールは「主にある気楽さ」という言葉を使っている。「困ったことが起こったけれど、まあ、何とかなるだろう」と、信仰をもって気楽に受け止める事ができれば、どんなに気が楽になる事であろう。体の弱りを自覚せざるを得なくなり、いろいろ不都合なことに直面する老年期においては、ともすれば悲観的になりがちだが、「まあ、なんとかなるだろう」と「意思をもって」楽観的に考える事が大切なのではないかと思う。

物事のプラス面に目を向ける
視点を変え感謝の心を [下]

 「政界の実力者」とか「実業界の実力者」とか言うが、「人生の実力者」もあると思う。人生を楽しむためには「人生の実力」を養う必要がある。精神科医とホスピス医としての臨床経験から、多くの「人生の実力者」に会ってきた。精神科医としては、長年にわたる息子さんの精神障害に根気強く付き合い、採算の入院にもめげず、いつも穏やかにふるまう母親を思い出す。「自分が生んだ子ですから、世話をするのは当然です」といつも言っておられた。この人とのおつき合いを通して、「人生の実力」の定義は「自分にとって不都合なことがおこった時、その中に自分が人間として生きている証あかしを見ることができる力」であると思った。
 私はホスピス医としてこれまでに約2500人の患者さんを看取みとったが、その中にも多くの「人生の実力者」が会った。例えば、客観的に見れば、幸せからはほど遠い人生の終わりの時に「幸せな人生でした」と言って亡くなった63歳の男性を思い出す。早くに両親を失い、結婚生活で苦労し、仕事では同僚に裏切られ、ずいぶん辛つらい思いをした人であった。亡くなる一週間ほど前の回診の時、「入院した時のあの痛みがすっかりとれました。ここへ来て本当に良かったです。ありがとうございました。いろいろありましたが、幸せな人生でした」と言われた。この人との出会いを通して、私の「人生の実力」の定義が変わった。「どのような状況に置かれても、その状況を幸せと思える力」である。


 最近、私の中でまた、「人生の実力」の定義が少し変わった。新しい定義は「自分にとって不都合なことがおこった時、その中に自分が人間として生きている証をみることができ、その中に感謝を見いだすことができる力」である。どんなに辛く、悲しいことが起こっても、その状況の中に感謝できることはあると思う。例えば、家庭内に悲しいことが起こった時、少なくとも自分の健康が支えられており、その悲しいことに耐え、対処できる体力があるということは感謝なことである。人は自分にとって不都合なことが起こった時に、そのことにとらわれてしまう。少し視点を変えれば、その状況の中にも、多くの感謝すべきことがあるにも関わらず、不都合さのみが心を占領してしまうという弱さをもっている。感謝の心は「人生の実力」の重要な要素だと思う。それと同時に人生を楽しむためには感謝の心が必要である。
 物事が順調に進んでいる時には、人の底力は見えにくい。つらい、悲しい、やるせない状況、すなわち自分にとって不都合な状況になった時、どのような態度でその状況に対処できるかで、その人の「人生の実力」が決まる。その中に、人間として生きている証を見ることができ、その状況の中に感謝を見いだすことが「人生の実力」につながる。人生の達人はその実力を持っている。日々の生活の中で少しずつ実力を養成したいものだと思う。
 精神科医として、ホスピス医として、また教育者としての経験から、多くの「人生の実力者」に会った。そして、実力者が持っている要素について目を向けてきた。その中で「物事のプラス面をしっかりと見ることができる」ということがとても大切であると思っている。


 すべての物事や経験にはプラス面とマイナス面がある。一見悲しい、マイナスの出来事のように見えることを経験する時、考え方を返るとその出来事のプラス面が見えてくることがある。また、一見マイナスと思える出来事から大きなプラスが生まれることがある。大切なのは経験への態度である。バーナード・ショーは「経験そのものが人を成長させるのではない。人を成長させるのは経験への態度である」と言っている。また、神学者ピールは「わたしたちの直面するどんな経験も、たとえそれがどんなに困難であり、絶望的に見えた場合でも、わたしたちがその経験に立ち向かう態度に比べれば、それほど重要ではない」と述べている。
 老いはさまざまな身体機能を喪失する過程である。視力、聴力、脚力、全体的な体力が衰える。残っている機能よりも衰えた機能に目が行くのが常である。例えば、目は大丈夫だが、耳が遠くなったと嘆き、何事にも消極的になる。しかし、前向きに生きている老人は、残っている機能に目がいく。耳は遠くなったが、目は良く見えるのでありがたいと感謝できる。目は良い、耳は悪いという状況は同じでも、それをどうとらえるかの態度によって生き方が変わってくる。
 物事のプラス面をしっかり見つめる事が人生を楽しむ重要な秘訣ひけつであると思う。

かしわぎ・てつお 金城楽員大学長、大阪大名誉教授、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長。1939年、兵庫県生まれ。大阪大医学部卒。ワシントン大にて精神医学研修。帰国後、淀川キリスト教病院にホスピス設立。著書に「いのちに寄り添う。」(kkベストセラーズ)など多数。