修行僧 仕事の探検隊 <記者たちの職業ルポ> 
2011年2月20日(日曜日)中日新聞「浜松・遠州版」より
座禅、読経、山積みの作務

 夜明け前の朝五時。寺院に鳴り響く鈴の音が一日の始まりを告げた。東海道筋随一とされる曹洞宗の僧侶養成機関「僧堂」が置かれた袋井市久能の可睡斎かすいさいでは、修行僧らが朝五時から座禅や読経を始める。
 同寺の僧侶高木正浩しょうこうさん(63)から、右足を左ももの上に載せる半跏趺坐はんかふざや作法を習い、僧堂の壁に向って座禅をした。修行僧が次々やって来て座る。時折かねや太鼓が鳴る以外はしんと静まり返り、きぬ擦れの音で人の存在を感じるだけ。右側にいるはずの高木さんの気配がない。
 専用の座布団にうまく座れず、足腰と背骨が軋きしみだした。長くも短くも感じた五十分、一人煩悩ばかりが頭を駆け巡った。
 座禅後は本堂や御真殿で朝のお勤めがある。導師や修行僧ら二十人近くが般若心経などを読経して釈迦しゃかや祖師、秋葉三尺坊の供養をするさまは、厳粛そのもの。初めて見る別世界に圧倒された。すでに外はすっかり明るい。
 七時からの朝食も、小食しょうじきという修行だ。おかゆに梅干しやごまなどが付くのみ。居並ぶ修行僧らはすべて作法にしたがい肅然といただく。
 日に幾度も座禅とお勤め、掃除など山積みの作務―と、毎日十六時間の日課が決まっている。開山から六百十年、可睡斎では一日も欠かさず連綿と受け継がれてきた。高木さんは「日常のすべてが修行」という。
 可睡斎には二~四月に全国から入山があり、一~二年修行を積む。今は青森、秋田、広島などから来た二十~六十代の修行僧十五人ほどがいる。
 最年長の鈴木隆三りゅうざんさん(63)は名古屋市中区から来て、ちょうど一年。無住になっている実家の寺院を再興しようと決意した。編集関係の会社を経営しながら本を書き、講演をこなしてきた。
 「相当な覚悟で来たけど、ここまで厳しいとは」と苦笑する。二十代向けに修行が組まれ、付いていくのがやっと。太鼓やかねを鳴らすなど、場面ごとの「配役」と呼ばれる役割分担、お経と、覚えることばかり。さらに妥協のない上下間系。
 入山一週間で胃から出血して倒れ、入院した。二週間休んで復帰後、まもなくかっけになり、精神的にもまいって二カ月休養。六月に復帰した時「寺の人は絶対戻ってこないと思っていた」と笑う。
 年間一日の休みもなく、早朝から夜までの修行。年に数人が逃げ出すという。僧堂に来て「心身が強くなった」と鈴木さん。「誰もが絶対必ず返りたいと思う。それを乗り越えなくては」
 「葬式仏教といわれるけど、お釈迦さんの教えに共鳴してもらえるよう普及したい。定年になって仏教に興味を持った人に誤解のないよう仏門を開けたら」。来年秋に修行を終えたら、僧堂生活を本にまとめるつもりだ。

(河野貴子)



曹洞宗の修行僧

 大本山の永平寺と総持寺のほか、全国の寺院など二十七カ所に専門僧堂、専門尼僧堂が置かれている。県内では可睡斎のみ。大学卒業直後の二十代を中心に、全国で毎年五百人前後が新たに修行を始めると推計される。大半の寺院の住職を努められるニ等教師の資格を得るには、大卒者で半年以上の修行が必要。

他の僧侶とともに読経する鈴木隆三さん(右)=袋井市久能の可睡斎で(川戸賢一撮影)