欧米人を魅了する仏教の秘密
ケネス・田中 けねす・たなか 2011年12月3日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
信じる宗教から目覚める宗教へ [上]

 10月に亡くなった、アップル社の創立者スティーブ・ジョブズ氏は、仏教に深くひかれていた。曹洞宗の知野弘文老師に師事し、長年座禅に取り組んでいた。老師に自分の結婚式の司祭を頼んだそうで、いかに仏教に魅了されていたかがうかがえる。
 氏にとどまらない。米国には、日本で衆知の有名人に仏教徒が多い。俳優リチャード・ギア、歌手ティナ・ターナー、ゴルフ選手タイガー・ウッズの各氏らだ。2006年の選挙では、米国の国会議員として初めて2人の仏教徒が登場した。その一人は南部ジョージア州の黒人政治家である。
 有名人だけではない。現在、米国の仏教徒は約300万人を数え、全米人口の約1%に当たる。ヨーロッパでも約100万人いる。中でも最も多くの仏教徒があらゆる宗派の下に集まっているのがロサンゼルスで、100近い宗派が軒を並べ共存している。


 米国の仏教徒の内訳は、もともとのアジア系仏教徒と、成人して改宗した仏教徒が約半数ずつを占める。改宗者をさらに分類すると、約10万人が創価学会、残る約140万人が禅か、上座部(タイ、ミャンマー、カンボジアなどの仏教)か、チベット仏教に所属している。
 この他、自分が「仏教徒」と断言はせずに仏教に通じ、真摯しんしにそれを実践する「仏教同調者」もかなりの数に上る。その代表者としてバスケットボールのNBAで優勝を11回遂げたウィル・ジャクソン氏があげられる。別名「ZEN(禅)監督」とも呼ばれている。
 これに加え、「仏教に何らかの重要な影響を受けた」と答えた人が、07年調査で約2500万人いる。これらを合計すれば、米国人口の10%、約2000万人に及び、驚くべき数の人が仏教の影響を受けていることになる。
 もちろんキリスト教徒と比べれば、仏教徒の数はまだマイナーだ。しかし、伸び率だけに注目するなら、キリスト教徒をはるかに上回る。キリスト教徒は1970年代の半ばには、全米人口の約91%を占めたが、07年には79%と大きく減った。その間、仏教徒は15倍もの伸びを見せている。この勢いでいけば、数十年後には、もっか米国第2位の座にいるユダヤ教徒を追い抜き、仏教が第2位の宗教となる可能性が高い。
 では、彼らが仏教に魅了される原因はどこにあるのか。ダライ・ラマの絶大なる世界的人気や、米国の場合、65年の移民法改正によりアジア諸国から多くの仏教指導者が渡米してきたことなどが挙げられる。
 だが、私は、最大の理由は仏教の本質にあるとみる。彼らは、仏教を「信じる宗教」(religion of faith)ではなく、「目覚める宗教」(religion of awakening)と、とらえているのだ。
 キリスト教から仏教へ改宗した人たちに訪ねると、キリストの復活を「信じる」ことより、煩悩による誤った見方を是正して自らが「目覚める」ことを究極の目的にする仏教の教えの方が魅力的だと答える人が実に多い。キリスト教などには、立派な教義があるが、その教えを体験する方法が明確ではないのに対し、仏教は誰もが日々実践できる瞑想めいそうなどを通して実際に教えを体験できることにひかれると話す。


 どの宗教でも教典を信じ指導者を信頼することは大事である。仏教徒にもこれは必須ではあるが、仏教徒の最終目的は信じた後の「目覚め」である。つまりブッダ(目覚めた者)になることこそが最重要なのだ。欧米では、ジョブズ氏のように多くがこの「目覚める宗教」に魅了されている。ただ単に教えのみを信じ込む従来型の宗教形態が、欧米のような先進国では崩れ始めているといえる。
 この現象は、アジアの先進国、日本でも始まっている。スリランカ出身のスマナサーラ長老の下へ最近多くの日本の若者が瞑想指導を求めて集まっている。彼らは従来型のただ願ったり信じたりする宗教では満足が得られず、個人の「目覚め」に重きをおく仏教に魅入られるのである。

現代社会に即し ニーズに応える [下]

 伸長する欧米の仏教は、いかに現代社会に対応し、人々の心をとらえているのか。そこに、日本仏教が学べる点が潜んでいる。
 日本仏教は、1500年の間、偉大な宗教家を輩出し、荘厳な寺院を建立し多くの人々の宗教的なニーズに応えてきた。だが、戦後の日本仏教はどうだろう。伝統宗派は、葬式や法事という死者儀礼だけに専念する寺が少なくない。
 一方、150年の歴史しかない欧米の仏教は、当初から社会のニーズに対応しながら発展してきた。とりわけ1965年以降、死者儀礼とほとんど関係なく、現代社会の日常的な精神的ニーズに応えることに力を注いできた。
 現代の欧米社会の特徴として、(1)平等化 (2)理性化 (3)多様化 (4)世俗化 (5)個人化 ―この5つが挙げられる。この特徴を少し掘り下げれば、欧米仏教が広がる理由がみえてくる。


 平等化は、公民権や女性開放、同性愛者の運動に見いだせる。欧米仏教では住職の立場にあたる女性の指導者が多い。ある教団は指導者の約半数が女性である。日本では、女性参拝者は多いが、女性住職は極めて少ない。女性の持つ力を活用できていないのだ。米国では、女性指導者が女性だからこそ扱えるような、日常生活に即した教えを説く。日本でも早急に女性指導者の養成が必要であろう。
 理性化だが、教育水準が高まるに連れ、現代人は科学的で理性的な思考能力を持つようになった。欧米では仏教は一神教とは異なり、科学と矛盾しないとのイメージが強い。特に欧米では心理学と仏教の融合が進み、心理療法に仏教の瞑想めいそうが取り入れられ、医学療法にまで及んでいる。欧米仏教は理性的思考に訴えるために、より多くの人々が仏教に関わり始めている。
 日本ではどうか。「政教分離」の行き過ぎた解釈の影響などで、仏教者と科学者の協力はまれだ。ただ最近創立された「日本仏教心理学会」の動きに希望の兆しがみえる。
 欧米社会は多様化している。特に米国では、人種や民族が共生するために互いに寛容的な考えが必要である。確かに排他的な原理主義者も多いが、大多数は、多様化は好ましいと考えている。その中で仏教の他宗教に対する寛容的な態度は、一神教とは異なり高く評価されている。
 日本での多様化は欧米ほどでないにしろ高まる傾向にある。寛容な仏教の役割は日本でも重要になるだろう。国際的舞台で、日本仏教は財力と人材力を基にもっと宗教間の相互理解に貢献すべきだ。
 世俗化について述べよう。現代社会では、科学万能主義や政教分離の思想が蔓延まんえんする一方で、宗教の影響力は低下した。経済力が向上し、寿命が延びて自由な生き方を選べるようになり、人々は「あの世」よりも「この世」を重視する。欧米仏教は「この世」の課題に力を注いできた。
 日本仏教では、近年葬式のあり方が問われている。遺族の求めに応える心のこもった葬儀を多くの日本人は依然、期待している。仏教はこれを担い続けるべきである。だが、人々の日常生活のニーズに応えることは、それ以上に仏教の重要な役割であるということを忘れてはならない。東日本大震災での仏教教団の貢献は、社会に評価されているようで、さらに果敢な社会参加を期待したい。
 最後の個人化が最も重要な要素かもしれない。個人化が進んだ結果、共同体への参加は敬遠されてきた。欧米では自治体主催のピクニックへの参加は過去40年間で、年間1人当たり7回から2回に減った。日本も同じような状況で、情報技術(IT)社会の中で、一人で過ごす時間が増えている。終身雇用が崩壊し、いつ仕事を失っても不思議でない世の中になった。雇用の不安定は心の不安を増幅する。必然、「頼るのは自分しかない」という孤立化は深まる。人々は「聖なる心の体験」を求め始めている。


 欧米の仏教は、こうした先進国現象を着実にとらえ、誰もが個人で実践できる瞑想、題目、念仏を提供することで人々の精神的なニーズに応えることに成功しているといえる。
 日本仏教も精神的なニーズを求めてくる人々に門戸をより大きく開く必要がある。仏教が目指す「目覚め」、つまり心の安定を得る実践的な指導が求められている。
 日本の仏教が、社会に広く貢献し、より深く人々の心の支えになってくれることを仏教徒の一人として願ってやまない。

けねす・たなか 1947年、山口県生まれ。米国籍。58年、日系2世の両親と渡米。スタンフォード大卒。東京大修士課程修了。カリフォルニア大博士課程修了。哲学博士。98年から武蔵野大教授。専攻は仏教学・アメリカ仏教。日本語の主著『アメリカ仏教』(武蔵野大出版会)『真宗入門』(法蔵館)など。