道具としての時間
一川 誠 いちかわ・まこと 2011年11月19日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
使いこなすコツ
心と身体の時計を意識 [上]

 時計も、時計で計られる時間も、本来は共同体での他者との作業や社会の円滑な運営のために人間が創り出した道具である。多くの人が時間に振り回されているのを見ると、どうやら、この道具は使いこなすのは簡単なことではないらしい。
 どうしたら時間という道具を使いこなすことができるだろうか?この問題について、心理学や時間生物学など時間に関わる科学が見いだしてきたことをもとに2週にわたって解説しよう。
 時間を使いこなす上でまず大事なのは、心的時間や人間の時間的特性を知ることである。時計で計られる時間は、どこでもいつでも同じように流れるが、心的時間はさまざまな要因によって変動する。心的時間に影響を及ぼす要因は複数あるので、ここでは特に効果の大きなものだけ紹介する。


 まずは時間の経過に対する注意の要因である。時間の経過に対して向けられる回数が多いほど、その間の時間は長く感じられる。楽しい時間があっという間に過ぎてしまう体験にもこの要因が関わっていると考えられている。通常の状態でも、それなりに時間経過には注意が向けられる。それが、楽しいと感じる事柄に取り組んでいると、その事柄に注意を集中するので、時間経過にはほとんど注意が向けられなくなる。そのために、この間の時間を通常よりも短く感じてしまうのである。
 楽しい事柄でなくても注意を集中することで、時間経過に注意が向けられる回数が減る。そのため、退屈な時間を早くやり過ごしたい時は、何かに集中すれば良いということになる。待合室などに雑誌や新聞を置いたり、ラジオやテレビを流しておくというのは、時間経過に注意が向けられる回数を減らし、待つ時間を長く感じさせないようにするという点で理にかなっている。
 身体の代謝も感じられる時間に影響を及ぼす要因である。代謝が昂進こうしんしていると、心拍が早くなったり体温が上昇したりするが、時間も長く感じやすくなる。
 代謝の昂進は運動や発熱などでも起こるが、代謝の状態は1日のうちでも変動している。朝方、起床したばかりの時間帯は代謝が落ちているが、午前中のうちに急上昇し、夕方頃ピークとなる。その後、次第に低下し、入眠してから起床するまでの間に最も低くなる。このような代謝のリズムは、主には脳の視交叉上核しこうさじょうかくにある「体内時計」におけるタンパク質合成の周期性によって決められている。
 体内時計はさまざまな身体や精神の活動にも影響している。起床したばかりの時間帯は代謝も低く、身体も昼間ほどは動かない。そのため、朝の1時間でできる事柄の数は昼や夕方の1時間と比べると少ない。これは、朝方の時間があっという間に過ぎるという感覚を引き起こすことにもなっているだろう。
 また、朝起きてすぐはまだ「頭が回らない」が、午前の遅い時間帯には論理的推論や数学の問題の成績が高くなりやすい。筋力を必要とする競技の成績は、身体の代謝が最も激しくなる夕方の時間帯に高くなりやすい。
 さらに、さまざまな疾病が発症しやすい時間帯もある。痛風やぜんそくの発作は未明に生じやすく、脳卒中や心臓発作は午前中の早い時間帯に発生しやすい。歯痛は深夜近くにひどくなりやすい。患っていた人が亡くなるのは未明が多い。病気ではないが、自然分娩ぶんべんでの出産も未明になりやすい。


 現代文明は照明などの技術を発展させることで、太陽の昇降の周期に縛られない生活を可能にした。ところが、進化の過程で獲得された私たちの身体にある体内時計の振る舞いに基づく身体のリズムは、代謝を通じて感じられる時間に影響を及ぼしているだけではなく、さまざまなレベルで私たちの生活を基礎づけている。まず、私たち自身にこのように時間的な特性があることを理解することは、道具として時間を使いこなす上で重要である。
 来週は、時間を使いこなす上で重要な「個人の特性を理解すること」について紹介する。

個人の特性で調整
記録を残し過去に学ぶ [下]

 先週は、時間を道具として使いこなすためには人間の時間特性の理解が重要であることを説明した。時間を道具と考えると、道具に自分を合わせるのではなく、書く個人が自分なりの仕方で道具を使うことも可能なはずである。今週は、時間を使いこなすための工夫として、そうした「道具としての時間の調整(カスタマイズ)」について説明しよう。
 そもそも、時間の感じ方には個人差があり、同じ時間を長く感じやすい人も短く感じやすい人もいる。時間を使いこなすためには、心的時間に影響する要因を知るだけではなく、自分自身の時間的個性を知っておくことが重要になる。


 まずは、自分は時間を長く感じやすいのか短く感じやすいのか知っておいたほうが良いだろう。自分が1分間と感じられる時間の長さを測ってみて、それが実際の時間よりどの程度長いか短いかを調べるのである。主観的な1分間が実際の1分より長くなりがちな人は、心的時間が物理的時間よりもゆっくり過ぎていると思われる。このような人は、時計の時間に合わせて活動する際に、短い時間の間に多くの予定を詰め込まず、余裕を持って計画を立てることで、時間に終われることを避けやすくなるだろう。
 心地よく感じられる作業のペースにも個人差がある。このような個人のペースの基礎にあるのが「精神テンポ」で、会話の時の間合いや歩くスピードなどとも対応している。
 自分の精神テンポが速めか遅めかを調べる方法に「タッピング法」がある。心地よく感じるテンポで机を指などで繰り返し叩たたき(タップし)、10回叩くのにかかる秒数から1回あたりのタップの間隔を計算する。1回あたり0.1~0.9秒程度となる人が多いので、自分のテンポが0.4秒と0.9秒のどちらに近いか、あるいはその範囲をはみ出しているか調べることで、自分の精神テンポが速めか遅めか分かる。
 1回のタップが0.4秒に近い人の精神テンポはかなり速い。周囲からは早口と思われているかもしれない。他方、1回のタップが0.9秒に近い人は、周囲からかなりのんびりしているように思われているかもしれない。精神テンポが極端に速い人や遅い人は、他者と一緒に働く際には作業のスピードについて、よく配慮しておくべきだろう。
 先週紹介した、人間の時間特性に対応して時間とのつきあい方を調整するだけではなく、こうした個人の特性に対応したカスタマイズもできれば、さらに時間を有効に使うことができるだろう。
 時間のカスタマイズで有効なのは、時間に関する自分自身の過去の失敗に学ぶことだろう。自分が時間の使い方の上でどのような失敗をしやすいのか整理すれば、そこから自分の時間的な特性とより良い対処法を理解できるはずである。
 ところが、失敗経験を活かすのは簡単なことではない。実は、人間には、自分の失敗を覚え難く、そもそも認識もし難いという特性がある。自分に失敗は自分自身への評価を落とすことにつながる。人間には、自分自身の自尊心を傷つけないようにする「自我防衛機制」があるため、失敗の経験やその記憶が妨害されてしまうのである。
 そのため、失敗から自分の傾向を知るには、記憶に頼るのではなく、事前の見通しと実際にかかった時間、足りなかった時間などについて、ノートなどに物理的に記録を残すのが有効である。記憶は自我防衛機制のために消失することもあるが、ノートなどに物理的に残された記録は消失しない。


 自分なりの時間の使い方を考える上で大事なのは、したいことがいろいろあっても、それらをすべて実行に移すだけの時間は誰にもないということである。そのため、したい事柄の間に優先順位をつけて、順位の上のものから片付けていくことをお勧めする。優先順位をつけることは、自分にとって重要なものとは何かを整理し、必ずしも必要ないものは「仕分け」する機会にもなるだろう。年を重ねるとさらに身体も動かなくなる。優先順位をつける必要性はますます高くなるだろう。
 このように時間のカスタマイズは、自分の時間的特性を知り、自分自身で時間の使い方を考えることに基づいている。この記事を読んだ方々にも、自分の時間の特性を知り、自分なりの時間の使い方を整理することを、時間をうまく使いこなすきっかけにしていただければと思う。

いちかわ・まこと 1965年、宮崎県生まれ、大阪府で育つ。大阪市立大文学研究科後期過程終了。博士(文学)。カナダ・ヨーク大視覚研究所博士研究員、山口大工学部感性デザイン工学科講師、助教授を経て、現在は千葉大文学部行動科学科准教授。専門は実験心理学。著書に『大人の時間はなぜ短いのか』(集英社新書)『時計の時間、心の時間―退屈な時間はナゼ長くなるのか?』(教育評論社)など。