問い直される日本の仏教
末木 文美士 すえき・ふみひこ 2011年9月17日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
五山送り火騒動をめぐって
震災の死者と交わる [上]

 8月16日の京都五山の送り火で被災地の薪を焚くという計画が、二転三転の末中止されたことは、京都市民の一人としてはなはだ辛つらく、申し訳ないことであった。最初、五山の一つ「大文字」で、震災で倒れた陸前高田の松に被災地の祈願を記してもらい焚く予定であったが、セシウムが検出されなかったにもかかわらず、一部の反対によって中止になった。ところが、それを批判する声が多数寄せられたことから、京都市長が先頭に立って説得し、五山全体で受け入れることになった。最初の薪は地元で盆の迎え火として焚いてしまったため、新たに同地の別の薪を取り寄せたところ、今度は表皮部分からセシウムが検出され、結局中止となった。
 最初の対応が不適切であったために、被災地を何重にも傷つける結果となったが、この騒動から、いや応なく今回の震災の複雑な状況が浮かび上がることになった。最大の問題は、原発事故による放射能汚染という大きな問題を抱え込み、切り離せなくなったことである。震災だけであれば、被害は巨大であったが、それでもぼつぼつ復興へ向けて方針が立てられ、力強い再建の声が溢あふれてくる頃である。ところが、放射能汚染は拡大する一方で収拾する見込みがつかず、多量の汚染物質の処理と併せて、見通しがつかない。原子炉の廃炉、周辺住民の被曝ひばく、とりわけ子どもたちの健康への影響や土地の復元まで含めると、何十年という年月でも完全な解決に至るかどうか、不明である。しかも、今回の送り火騒動では、陸前高田という、原発事故からかなり離れた被災地まで、原発事故と絡んでいることが明らかになった。広範な地域が震災と原発の二重苦の中で復興に立ち向かわなければならない。


 放射能の問題は風評被害を生むが、実際にセシウムが検出されれば、風評では収まらない。人体非ぇの影響がない微量であっても、政府や専門家の保証が信用できない現状では、警戒しすぎたとしても非難はできない。そうした中で、表面では誰もが被災地支援を口にしながら、陰に回れば露骨な差別が横行する。テレビ番組に被曝地への差別をあらわにしたテロップが流れた騒動は、氷山の一角にすぎない。インターネットのツイートを見たら、もっとひどい差別的な表現が次々と出てきて、背筋が寒くなった。大臣さえもが、差別的発言で辞任に追い込まれるような事態は、深刻である。
 ただ、五山の送り火騒動で、多少はよかったと思うところもある。京都人の閉鎖性はよく言われるが、実際外から来て住んでみると、京都こそ日本の文化の中心という京都人の誇り高さと、よそ者に入り込めない独特の雰囲気にとまどうことがある。その誇りがあってこそ、祇園祭や五山送り火のように何百年も続く伝統行事が維持されているのであり、それは一時的なボランティアや観光目当ての営利とはまったく異なる。それだけに京都以外の地方への関心は薄く、震災も必ずしも切実な問題として捉えられていない。それが、今回の騒動ではいや応なく被災地の問題に直面し、一度は五山全体で被災地の薪を受け入れるというところまで進んだのは、京都としてはかなり画期的なことであったように思われる。伝統を護まもる気概は、もう一方で他者への配慮と開かれた心があって、はじめて生きてくる。そのことが多少とも認識されたとすれば、それはそれで多少の意味のあることであったと言えよう。


 送り火は、もちろん納涼の楽しみというわけではなく、お盆に迎え入れた死者を送りだす宗教行事である。死者と濃密に交わる非日常的な時間を終えて、改めて死者との距離を受け入れ、死者と生者は異なる秩序に分かれて日常に復帰する。しかし、死者はそれでも完全に離れてしまうわけではない。僕たちは震災の不本意な死者たちから逃れられない。そのことを、今年の送り火は改めて強烈に再認識させてくれた。伝統はそれを支える心があって初めて生きてくるものである。

震災天罰論その後
自然との対話忘れまい [中]

 東日本大震災後、 石原慎太郎東京都知事が「天罰」と発言したことから、多くの批判に曝さらされることになった。僕は石原氏の発言自体は認めないものの、そこに単なる自然以上の力の発現を見たことは評価すべきではないかと考え、そのことを宗教専門誌『中外日報』4月26日号のコラムに書いた。すると、ネットで炎上するほどの批判を浴び、それに対して応戦して、大論争に発展した。反対者たちは、震災は純然たる自然災害であり、その奥に神仏がいるなどというのはばかげたことだと主張した。
 『サンガジャパン』という仏教系の雑誌の第6号で「震災と祈り」を特集していて、そこに、震災を宗教の立場から見た論文がいくつか収録され、興味深い。宗教から見る場合でも、いろいろな立場があることが分かる。
 まず、震災を純然たる自然現象と見る見方がある。上座部仏教の指導者アルポムッレ・スマナサー長老は天罰論を否定し、災害は自然法則だとして、世の中の無常を冷静に受け止めるように説いている(「東日本大震災で被災された皆様へ」)。佐藤哲朗氏(日本テーラワーダ仏教協会)もまた、原始経典の解釈に基づいて、同様のことを主張している(「パーリ三蔵読破への道」)。禅僧で作家の玄侑宗久氏も、原発事故を除けば、地震と津波は自然現象だとしている(「生き方の問われる日々」)。
 それに対して、島田裕巳氏(宗教学)は、震災観を歴史的な検討から見直し、多様な見方のあることを示している(「東日本大震災は天罰か?」)。氏は、、震災観は時代によって変遷すると見る。中世には震災を天罰や祟たたりと捉える見方があり、それが有効であったが、それを現代に持ち込むのは不適当だとする。それならば今日、どのように見ればよいかという点になると、どうやら天災として、仕方ないものと受け止めるということのようである。その点で、自然現象と見る見方に近い。


 こうした自然現象としての受け止め方は、必ずしも宗教に特有の立場とは言えない。それに対して、震災にもっと深い宗教的意味を見いだそうとする見方がある。その一つは大澤真幸氏(社会学)の論文「オウムから原発へ」で、一神教の立場から、聖書を手掛かりに震災を論じている。氏は、天罰論を否定しながら、震災や津波をノアの洪水に較くらべ、また原発事故を、正しいものが苦しむヨブ記と較べている。ただ、氏の論はあくまで聖書が比喩ひゆとして役立つというのであって、災害を直ちに宗教の問題として本当に掘り下げているとは言えない。
 このような中で、佐藤剛裕氏(文化人類学)が紹介しているダライ・ラマの見方(「ダライ・ラマの慈悲とチベットの大地母神」)に、僕は非常に親近感を覚える。ダライ・ラマは、震災犠牲者の法要で、「大地の主と四大の女神たちへの供養文」を読んだという。チベット仏教では、土着の神々を力でねじ伏せるようなことはしない。例えば、寺院を建立する場合、土地から一方的に便益を得ようとすると、土地の神々の怒りや恨みを買って、自然に対する負債を負うことになる。そのような負債が積もり積もって、返済を余儀なくされたのが地震などの災害だ、というのである。そこで、償いとして、神々を供養し、饗宴きょうえんに招いて、女神たちが慈悲を垂れるように願うことが必要になる。


 じつは日本の仏教も、神仏習合の中で、まったく同じ考え方をしてきた。海にも山にも森にも神々がいて、漁師も農民も自然の中の神々と対話しながら、彼らをいじめないように配慮しつつ、自然の産物を享受してきた。もしそのバランスが崩れれば、神々は苦しみ、呻うめいたり、暴れたりすることも当然ありうる。それが災害となるのである。ところが、乱開発や過疎化の中で、自然は荒廃してしまった。人々は神々との対話を忘れ、横暴に自分の利益だけを押しつけてこなかったか。僕はそのように思う。
 このような見方は、確かに先端的な知識人からするとばかばかしいと一蹴され、現代的ではないと否定されるかもしれない。先に挙げた日本の仏教者は、誰一人としてこのような見方をとる人がなく、自然災害説が圧倒的に強い。この度、ダライ・ラマの考えを知るに及んで、チベット仏教では現代でもそのような見方が生きていると知って、ホッとした。
 もちろん、いろいろな見方があってよいのであって、無理に自説を押し付ける必要はない。ただ、自然を単なる自然としか見ないのよりも、対話の相手として語り合うほうが、豊かな世界が開かれるのではないだろうか。

伝統仏教は再生するか
社会全体に関わる課題 [下]

 しばらく前から、伝統仏教の危機が言われている。それは、端的には葬式仏教の衰退に他ならない。葬式仏教というと、一見すると近代以前の名残りのように思われるが、そうではない。確かに江戸時代には寺檀じだん制度によって寺と檀家が固定され、それによって仏教は民衆生活に大きな力を持った。その役割は葬式に限られるものではなかった。
 近代になって仏教は自由に選択可能な宗教となった。しかし、じつはそれは見せかけにすぎなかった。明治政府が採用した家父長的な家制度のもとで、仏教は家のシンボルとなる墓と位牌いはいを押さえ、祖先祭祀さいしは仏教形式で行われるのが原則となった。それが近代の葬式仏教であり、それによって、江戸時代の寺檀制度はなくなったものの、寺院と檀家の関係は緊密に維持されることになった。
 戦後、家父長的な家制度はなくなったが、しばらくは家意識が残り、葬式仏教も安泰だった。しかし、人口の都市流入、核家族化、女性意識の向上などによって、次第に家意識が薄れ、家を単位とした葬式仏教が危機にさらされるようになった。それに少子高齢化が追い打ちをかけ、実質的に家単位で墓を維持していくことが困難となった。葬式や墓は自由化され、葬式否定論、墓否定論も有力となっている。


 こうした情勢を受けて、仏教界も葬式に頼らない活動が注目を浴びるようになってきた。社会参加仏教などと言われる動向であり、海外ボランティア、平和運動、貧困者の救済、自殺防止や心の相談、自然保護、寺院での各種イベントなど、さまざまな方面で仏教者の活動が盛んになっている。東日本大震災に際しても、他宗教と共同で宗教者災害支援連絡会を立ち上げ、被災者の支援に当たっている。
 しかし、それらが葬式仏教に代わって日本仏教の中心的な役割を果たしうるかというと、いささか疑問である。第一に、葬式仏教は寺院経済を支えるに足るだけの収入をもたらし、それが今日の仏教界の繁栄を支えている。社会参加仏教はその多くがボランティアであり、必ずしも経済的な安定をもたらすものではない。今後、寺院のリストラが起こり、日本の仏教寺院の数はかなり減るだろうと予測されているが、それを覆すことはかなり困難と思われる。
 第二に、これらの活動は個々の仏教者に任されていて、教団全体として動くことは少ない。今日の教壇の中枢は、近世の本山・末寺の序列制度をもとにして、寺院を系列化した上に成り立つ官僚組織となっている。その点で、新宗教の教団が、教祖や教団幹部の一言で、末端の信者まで総動員されるのと全く異なっている。大震災の支援に当たっても、新宗教やキリスト教教団、あるいは海外の仏教教団が組織ぐるみで動くのに大して、伝統仏教は仏教会全体、あるいは教団としての動きが鈍い。
 ところで、大震災を契機に、伝統仏教を見直そうという動きも見られる。多数の死者が出て、その埋葬や供養がなされねばならなかった。被災地はもともと信仰の篤あつい地域であり、寺院が地域の拠りどころとなっているところが多い。もう一度葬式を中心とした伝統仏教の役割を評価する声が出ている。大震災後、盛んに家族の「絆」が言われるなど、心情的な伝統復帰とも通ずるところがある。しかし、それによってかつての葬式仏教的なあり方がそのまま復興するとは思われない。


 恐らく、今後の仏教は地域の形態によって多様化していくであろう。東京などの大都会では、伝統仏教離れは進むであろう。寺と檀家という縛りがなくなり、仏教は精神的な依りどころを求める際の選択肢の一つとなっている。伝統仏教だけでなく、上座部やチベット系の仏教への関心も強くなっている。底では、社会参加仏教的な形態が重要になってくる。
 他方、各地域の中小都市や村落では、伝統的な仏教の形態がかなり維持されるであろう。ただ、かつての日本の農耕社会を支えていた村落は、過疎化と高齢化が進み、危機的な状況にある。そのような地域は、信仰心に篤いところが多く、伝統仏教の重要な担い手であったから、その崩壊は伝統仏教にとって致命的となる。過疎化が進むと、職がない上に、生活は不便になって、さらに過疎化するという悪循環に陥り、下手をすると無人化して、自然の荒廃をも招く。
 こう考えれば、伝統仏教の問題は、宗教という範囲だけではなく、日本車会の今後のあり方全体に関わってくる。人口の首都圏集中を解消し、地域の文化を興隆させることが絶対に必要なことである。

すえき・ふみひこ 1949年、山梨県生まれ。東京大大学院人文科学研究科博士課程単位 取得。国際日本文化研究センター教授、東京大名誉教授。専攻、仏教学・日本思想史。主著『日本仏教史』(新潮社)『日本宗教史』(岩波新書)など。