生と死の境界
碑文谷 創 ひもんや・はじめ 2011年8月6日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
暮らしが破壊されている
大切なものを喪失 [上]
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■約5カ月過ぎ
3.11は日本にとって大きな衝撃的な出来事であったはずである。だが約5カ月という時間が経過した今、どうであろうか。
国際原子力機関(IAEA) の定める事故レベルが危険度最高の7となった東電福島第一原子力発電所事故は、いまだ終息にはほど遠い。福島県の人間が「ムラが消え、マチが消えていく」と嘆息しているが、事故の影響は福島の農業、酪農、漁業という生業の基盤を奪い、それだけではなく教育の機会まで奪おうとしている。これは現在進行形の出来事である。
被災地を見る見方も変化した。風評被害は大きい。放射性物質が暫定基準値以上を示した産物について、いかにも生産者や流通業者が悪いかのような論理が堂々とテレビの画面で展開されている。被災者はどこまでむち打たれれればいいのか。二次・三次被害が続く。そのうち「税金が上がるのは被災地のせい」という言い方が出てきはしないか、と真剣に憂慮している。
「生活者の立場」がいいように使われているのではないのか。
■無責任な激励
私は震災直後から沸きあがった「がんばれ東北!」「負けない!ニッポン!」といった激励の嵐に危険なものを感じていた。それは3.11という大災害をなかったかのようにする、非常に無責任なものの言いようだ、と感じていたからだ。
善意ではあっても無責任な激励は、しばしば当事者の心を閉ざし、孤立感を強め、心を痛める働きをする。
死んだ者は再び立ち上がることはできないのだ。家族を喪失した者の悲嘆は簡単に癒せるものではない。暮らしを奪われた者にはお金は大切であるが、それだけでは回復できない大切なものが喪失したという事実は変わらない。今回の震災は「元気」や「お金」だけで解決できるものではない。
震災発生時の東北には冷たい雪が降っていた。10日後近辺に土中から発見された遺体は、水で洗うときれいになったのも少なくなかった。2週間、3週間が過ぎると、傷みが進み、家族ですらすぐ判別できない遺体が多くなった。夏を迎え、発見される遺体には一部白骨化も見られる。
■今なお「災中」
3.11から1カ月もたたないうちに早くも「災後」という言葉が出てきたのには驚いた。悪意はなく、むしろ今回の震災を大きな出来事としてとらえているから生まれた言葉であろう。でも東北人である私には、しょせんは人ごとなのだな、と思えた。今でも思う。今は「災後」ではなく「災中」であると。簡単に「過去の教訓」にしてはいけない。
福島が危機的状況にあるのは放射線汚染だけではない。暮らしていた人びとが故郷を離れ、再び戻ることはないなど、人間の関係、暮らしを破壊していることである。去るも残るも苦渋の決断である。
しかし、動けない人もいる。原発事故現場の人、消防、警察の人も無論そうだが、立ち入り禁止区域に残された津波被災の遺体がそうだ。今でも残された遺体を完全防護した福島県警の人々が地道に捜索作業を続けている。そして収容された遺体は、放射能汚染を理由に取り扱わない人が多いなか、県の要請に応えて、遺体を納棺し、火葬場に搬送している葬祭従事者がいる。
大津波による被害遺体が最も多かった宮城県の市町村では、遺体の長期保全は公衆衛生上、困難ということで多数の「仮埋葬」が行われた。今この暑いなか、柩ひつぎを掘り返し、納棺し直して火葬場に運んでいる葬祭従事者がいる。
一時は1万人を超す行方不明者がいたが、今では半数近くにまで減少。といっても、今なお約5000人の人が行方不明である。行方不明者の死亡届が簡易になり家族の申述書で可能となったが、結果的に生死判定という重い荷を家族に課すことになっている。
老いて、追い込まれて…
自己決定できない [下]
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■超高齢社会で
私は65歳を迎え、同級生の多くは年金生活者になった。70代の人は「あなたなんてまだまだ年寄りではない」と言い、40・50代のひとは「まだまだやってもらわないと」とお世辞を言う一方、私の仕事の負担を減らす配慮をしてくれるようになった。私は「頭はまだまだ」と思うのだが、50代の時とは、同種の仕事をあげるのに明らかに倍の時間がかかるようになった。気力と集中力の持続が目に見えて低下している。
同級生の中には10・20代で死亡した者もいる。40代から死亡する者が少しずつ増えた。60代になると毎年複数の者が欠けるようになった。次第に私たちは死に慣れ親しむようになっている。
高齢化率(65歳以上人口が全人口に占める割合)が世界保健機関(WHO)の基準である21%を超え、世界に先んじて「超高齢社会」に突入した日本。80歳以上の死亡者数が死亡者総数の5割を超えた。すると、何となく死は若者には関係なく、誕生―幼少年期―青年期―壮年期―老年期―死亡が人生モデルとされるようになる。もっとも今では老年期を65~74歳の前期高齢と75歳以上の後期高齢に分けるようになった。その分け方も年金負担の問題から、前期を70~79歳に、後期を80歳以上とする分け方に変更される日も近いだろう。高齢化したとはいえ、死は老の後にくるとは決まっていない。少年、青年期にも訪れる。
政府が「尊厳ある死」を提唱しはじめたのは、2009年ごろの終末期医療に関する議論のあたりからではないか。当初は本人意思による「尊厳死」が検討事項であった。その議論は次第に高齢者医療費の急増への対処策として、高齢者への過剰医療を避ける用語として使用されるようになった。うがった見方をすれば、認知症等で本人意思を表明できない患者、また治癒が見込めない80歳以上の患者への治療・投薬を減らすという方策である。
平均寿命が約80歳となったとはいえ、80歳以後は、自分がどういう状態にあるか、いつどのように死ぬかはほとんど自分では決められない。「周囲に迷惑かけず、死ぬまで元気でポックリ死ぬ」というのは多くの高齢者の夢、希望ではあるが、健康維持にいくら努力しようが、そんなのは保証されない。言うなら「運」でしかない。死に方は自分では決められないのだ。また、社会環境的にも、家族の分散・解体が進み、家族が「保護責任者遺棄致死」に問われかねない高齢者の死が増加している。
■自死への偏見
自死(自殺)者数が13年間連続して3万人を超えていることが注目されている。
自死者数(10年)は3万1690人、男性が全体の7割を占める。原因は、健康問題、経済生活問題、家庭問題の順に多い。「健康問題」を原因とする自死が全体の約半数あり、その53%が精神疾患となっている。おそらく自死者全体の8割以上は精神疾患(特にうつ病)を抱えていると思われる。注目すべきは30代、40代、50代の男性で自死全体の約半数を占めていることである。今や家庭は永続性を失った。結婚したカップルの約3分の1が離婚する時代。男性離婚者の自死死亡率は有意に高い。
近年、グリーフ(死別の悲嘆)に対する関心が高まっているが、配偶者と死別した人の自死死亡率が有意に高いのは女性の30代、男性の40代、50代である。配偶者と死別した男性は、自死以外の他の病気を原因とする死亡率も高い。
かつて自死は「自ら自由意志で選択した死」と見られていた。だが事実は、さまざまな要因から「追い込まれた死」であると見るべきだろう。自死に対して「いのちの大切さ」を説き非難する風潮があったし、今もある。だが、それは無意味というより弊害が大きい。それは自死遺族をさらに苦しめる二次被害をもたらす。過去、キリスト教、仏教では自死者の葬儀を宗教者が拒否したり、してもその席で自死を非難する説教・法話が行われた事例が少なくなかった。今なお自死遺族は死因を秘し、密葬することが少なくない。
気になるデータがある。内閣府の調査によれば、東日本大震災との関連が判明した6月の自死者が、岩手県3人、宮城県8人、福島県2人、茨城県・埼玉県・東京都各1人の計16人という。これは6月だけのデータである。
ひもんや・はじめ 葬送ジャーナリスト。1946年、岩手県生まれ。東京神学大大学院修士課程中退。雑誌「SOGI」編集長。著書に『死に方を忘れた日本人』(大東出版社)『「お葬式」はなぜするの?』(講談社プラスアルファ文庫)ほか多数。 |