逝く人と遺された者のこころ
大村 英昭 おおむら・えいしょう 2011年7月23日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
鎮魂の葬式は要る
厳粛に悲しみを共有 [上]

 確か6月18日のことだったと思いますが、東日本大震災の"3.11"から100日がたち、被災各地では犠牲者を追悼する百か日目のお勤めをされたようです。その折、このお勤めのことを「卒哭忌そっこくき」とも呼ぶと報じたメディアがありました。この「卒哭」という言い方、調べてみますと、中国の服喪期間に関する慣習に由来する言い方のようで、故人の命日から百日目を区切りとして、当初の悲しみも次第に癒えてくる頃だから、朝夕には故人を偲しのびながらも、これ以外の時は平常の生活に戻るという意味があるのだそうです。


 確かに、日常業務をそういつまでも放っておくわけにはいかにでしょうから、その限りでは判わかるのですが、でも悲しみの質や深さという点では「卒哭」というのはいかがなものか、筆者の体験から申せば、むしろ逆ではないかというのが正直な思いです。ことにいまの葬儀事情 ― 団塊の世代が90歳前後の老親を送られるケースが大半を占めている点など ― を勘案しますと、兄弟姉妹間の ― 遺産相続や形見分けをめぐる ― 葛藤をはじめ、世間さまへの義理立てなど、いろんは瑣事さじが片付き、かつ要介護期間中の疲れも癒え、ようやく独り静かに故人を偲ぶゆとりができるのが百か日の頃、当然、かけがえのない人を喪うしなった淋しさや悲しみが更あらためてこみ上げてくるのもこの頃になるのではないかというのが私の判断です。
 で、話を戻せば百日目のお勤めをされたという報に接して、「卒哭」とは名ばかり、むしろ遺のこされた人びとのいや増す痛恨の想おもいが感じられ、この際、"国をあげて"の慰霊祭を是非やるべきだと思うようにもなったのです。避難所におもむき一人一人に声をかけて励ますことも、もちろん尊いことに違いありません。でも、かけがえのない人を喪った深い悲しみに限っては、どんな励ましの言葉も通じないはずです。結局は"頑張ってネ"としか言えない使用言語の貧しさ。加えて、生活困難にだけ立ち向かえばいい人たちとの同棲どうせい。ために折角せっかくの励ましの言葉に冷水を注さないよう気遣われ、自身の痛恨の想いは押し殺して"すら"おられるのではないでしょうか。


 五木寛之さんが各所でおっしゃる通り、この種の痛恨の想いに対しては、明るい歌やこころを勇気づけるような歌より、せつなく悲しみをうったえるような歌のほうがいい。と言うのも、ほんとうの慰めというものは悲しみを共有するところにしかないからです。
 もう一つ、誰にとっても「死」は日常生活の全体を揺るがす非日常の事柄です。これに対処するには日常性とは切り離された別次元の厳粛な場に身を置く必要があるのではないでしょうか。ことに、この度たびの大震災では、「ちゃんとした火葬もしてあげられなくて…」と悔しい思いをしている方々や、いや、それどころか遺体すら見つからないと嘆いている人たちが大勢おられます。だからこそ、「全国戦没者追悼式」に匹敵する厳粛な慰霊祭をする必要があるのです。


 日常生活とは別次元の静寂な時の流れの中に身を置くことで、猛々たけだけしく沸き立つ痛恨の想いも次第にやわらぎ、落ち着いた気持ちで死者のことを想い、かつ、いずれは自分にもおとずれる死についても思いを馳せることができましょう。
 そう言えば、いまは丁度ちょうど"お盆"の時節。大震災の犠牲者にとっては"初盆"に当たるわけですから、いわゆる「施餓鬼せがき供養」の法会ほうえが各地で営まれていることでしょう。ことに西日本では旧盆(8月中旬)を彩りますから、原爆忌に続く終戦記念日とも重なりますので、広く世間全般に慰霊月間の趣おもむきがあります。そして、しめくくりが京都の"五山送り火"。この頃に吹く一陣の涼風に秋の気配を感じとった関西人は、これを"極楽のあまり風"と呼んでまいりました。
 最後に、一時代前の話ですが、出稼ぎ先の事故で亡くなった父親の遺骨を前に、岩手県の中学生が旧盆の頃、こんな句を詠んだと聞いたことがあります。
 天国は
 もう秋ですか
 お父さん

自殺と自然災害の死
「存命」それ自体が喜び [下]

 もともと筆者は、本願寺派の僧侶でもありますが、た方では、臨床クリニカル社会学の必要性をうったえてきた社会科学の徒でもあります。当初は、二つの領分の間で"股裂き"のように感じて苦しみましたが、幸か不幸か、僧侶のほうの「現場なき教義学」も、学究としての「生活現場フィールド抜きの社会学」も、いずれにせよただのへ理屈になりがちであることに気づいて以降、"二足わらじ"の強みを、むしろ積極的に生かすべきだと思うようになったのです。
 ところで、2008(平成20)年を起点にとりますと、このところわが国の自殺件数は1日平均90件弱、他方、殺人のほうは1日平均3件強という辺りに落ち着きます。
 さらに、スパンを長くとりますと、自殺のほうがいわば高止まり状態であるのに対し、殺人のほうは、むしろ"激減"と言っていいほどなのですが…。それでも1日平均3人強の件数があるのは事実ですから、ほとんど毎日のように殺人事件の報道はあるわけです。ために、"なんと物騒な世の中になったもんでんなァ"といった世論が相も変わらず形成され続けているのです。


 でも、どうでしょうか、"物騒な世の中に…"式の言説がまかり通っている一方で、このたびの大震災の渦中にあっても、外国人の目には驚異と映ったほど、日本社会の平静さが取り沙汰されてきたのではないでしょうか。なかには、東北人に特有の我慢強さが表れているのだなどという人もありましたが、阪神淡路大震災の折にも外国人から同様の評価があったことを思えば、社会秩序への信頼感は日本社会に広く浸透しているとみていいでしょう。「秩序社会の崩壊」などというのは、警察と警備会社そして一部マスコミにとってだけ都合のいい、それこそ"風評"の一つにすぎないわけです。
 ですから、もし日本社会の危機的状況を言いたいのなら、10年以上も年間3万人を超える人たちが自殺しているという、こちらの側こそ問題視すべきでありましょう。
 ことに、この3万人を超える自殺者のうち、3分の2以上が男性によって占められており、いわば"男性現象" の観を呈している点を見過ごすわけにはいきません。なるほど、筆者が応対している大学生はもとより、どの現場で見ても男性より女性のほうがよほど"元気"であるとの印象は誰しも持っておられましょう。ところがです、特に「女性論」と呼ばれる社会科学の一分野では、いまだに女性を弱者ないし被害者と決めつけるような奇妙な議論が横行しているのです。
 「自殺率は、(問題にしたい)集合体の"平均的不幸"ないし不幸度を測定できるほとんど唯一の指標である」という有名なデュルケム・テーゼに照らして、この際、男性こそ弱者ないし被害者である点をもっと強調すべきだと私は思います。
 もう一つ、自殺と対照させることによって、この度の大震災に伴って生じた自然災害による死の性質が一層はっきりするという点も強調したい。ご存じ『徒然草』第155段に、こうあります。
 <死期は序ついでを待たず。死は前よりしも来きたらず、かねて後うしろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つことしも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟ひがたはるかなれども、磯より潮の満るが如し>
 いかがでしょう。まるで大津波にのまれる形の死を見透かしているかのような文章だとは思われないでしょうか。


 比較して、自殺は、死を自らの手で目の前に引き寄せておられるようなもの。しかも、逝く人の想おもいはもとより、遺のこされた家族の恨みや自責の念も、ケースごとに区々まちまちです。ために、一般論は言い難く、強いて言われる自殺原因にしても、病苦であれ、失業であれ、わざわざ自殺を引き合いに出すまでもなく、それ自体、是非ぜひとり除きたい不幸に違いありますまい。
 いずれにせよ、第三者の目には、なぜ(?)の思いが募るばかり、とても共感するというわけにはいきません。後ろから迫りくる死を警告した同じ『徒然草』、第93段では、自殺などとんでもないといわんばかり、次のようにも言っているのです。
 <人、死を憎まば、生しょうを愛すべし。存命の喜びに、日々に楽しまざらんや>
 自然災害によるあれほど多くの死を知った我われ。「いたづかはしく外ほかの楽しび」を求めるようなことは止めて、ただいま生かされてあるというこの一事を喜ぶべし、と(通称)吉田兼好はうったえているのでしょう。

おおむら・えいしょう 1942年、大阪市生まれ。京都大文学部卒。大阪大大学院、関西大大学院教授を歴任して、現在相愛大教授。兼ねて浄土真宗本願寺派僧侶。近著に嵐山光三郎氏との対談本『上手な逝き方』(集英社新書)。