震災を経て 悲しみを力に
島薗 進 しまぞの・すすむ 2011年6月11日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
宗教儀礼に癒やされ [上]
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東日本大震災から3カ月。なお見つからぬ遺体も、身元の分からぬ遺体も少なくない。この残酷な震災でなくなった方々の御霊みたまの平安を心からお祈りする。だが、これだけの大きな被害を目の当たりにし、膨大な数の亡くなった方々のことを想像しようとすると途方に暮れてしまう。親しい人を失って悲しみに暮れる人々の数や言葉にふれると、わずかにその悲しみに近づけたかという気がする。
私もそうだが親しい家族・親戚がいるわけでもないのに、被災地を短時間でも訪れようとした人は少なくないだろう。ボランティアとしてお手伝いをしたり、じゃまにならないように気をつけながら「悲しみの地」にふれようとする。阪神・淡路大震災でもそういう体験をした人が多かった。「悲しみの地」に近づくことで私たちは何かを学び力を得ようとしている。
同じ国土に住み同じ国土に生きる多くの人々が悲しみに沈んでいるとき、自分もその悲しみをともにしたい。それは自然な共感、連帯感の表明だ。だが、それとともに私たちには、「悲しみから力を生み出す」ことを期待してもいる。
そういえば、震災後、「元気をだそう」とか「一緒にがんばろう」といった言葉をたくさん聞いてきた。スポーツ選手も「自分が全力で戦うことが被災地の人たちの勇気のもとになってくれればと思った」という趣旨の感想をしばしば語ってきた。大事な人や生活の糧を失い悲しみに沈む人々に身を寄せてこそ、団結の気持ちが高まり底力が出てくるように感じる。
これは決して奇妙なことではない。人間の生活は悲しみに暮れてこそ力を出す、そのような経験に満ち満ちている。失敗して嫌われる、友達と思っていた人から軽視される、愛する者と別 れる。そんな悲しみをいくつも通り越して今の自分はある。芸術作品は悲しい経験を思い起こさせるものが多い。涙を流した後に映画館を出るとき、私たちは心を洗われたように思う。ともに悲しみ、そのことによって少なくともしばらくはこれまで以上に力を得たと感じている。もっと確かな経験であれば、悲しみから人生の真実を学んで一回り大きく成長し、新たな力をもらって日常生活にもどっていくのだ。
もっともこのように悲しみをもとに力を取り戻すのが困難な場合もある。大切な人を失ったために生きる気力を失ってしまう人もいる。大切な仕事や生きがいを失ったり、自信や誇りを失ったりして引きこもってしまう人もいる。悲しみに取り込まれてしまう危険、悲観の泥沼に深く落ち込んでしまう危険に人はさらされている。悲しみにとりつかれて人間のもろさを思い知ることもある。現代のうつ病や自殺のことを思えば、悲しみの怖さがいくばくか理解できよう。
芸術作品が悲しみと縁が深いと述べたが、宗教もまた悲しみと縁が深い。かつて宗教は深い悲しみに耐える力を与え、悲しみに沈む人に生きる力を取り戻す道を示してくれるものだった。お通夜や葬儀には祈りがつきもので、それらを通しておのずから死別の悲しみが癒やされていくと感じられた。
近年、東京などの大都市を中心にこうした宗教儀礼から人々が離れていく傾向があると論じられていた。確かに葬祭が簡略化し、人々と寺院や僧侶の間の距離が広がっていくように感じられていえた。しかし、東日本大震災ではあらためて伝統的な葬儀や供養の意義が見直されたようだ。地域社会の絆が堅固な東北地方では寺院や僧侶が人々の絆を保証する役割を果たしているところが少なくない。宗教には確かに悲しみを生きる力につなげてくれる働きがあると感じた人も少なくなかったようだ。
追悼文化、静かに展開 [下]
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東日本大震災は私たちに悲しみから力を生み出そうとする文化のあり方を思い出させてくれている。文芸や芸能はそのよい例だが、近代以前の文芸や芸能は宗教と関わるところが大きかった。日本人は悲しみに深い宗教的に会見を見いだしてきたが、近代化を経てその伝統はどう継承されてきたのだろうか。
そもそも仏教は悲しみに強い関心を寄せる宗教だ。それは「無常」という言葉によく表れている。ゴータマ・ブッダは生老病死を区と観じて、その根本を克服するための修行生活に入ったと伝えられる。ブッダの死との関わりはその誕生のときから始まっている。母マーヤー婦人がお産後、数日にして亡くなったという。仏教が説く「無常」はすべての存在、とりわけ生き物が永遠の存在ではないこと、移り変わり過ぎ行くるものであることを意味する。死があってこその生であり、「生」(誕生)と「死」が裏腹のものなのだ。痛切な喪失の悲しみを味わうことで無常を知る。それは自らの死を強く意識することでもある。無常を知ることが出家をすること、発心することの重要なきっかけと考えられた。
仏教が葬式と結びついたのは日本古来の祖先崇拝と結びついたためで、仏教本来のものではないと説く学者もいる。しかし、死に思いをいたし、死別の悲しみに耐えながら生きる力を育もうとする精神は仏教本来の無常の教えに通じている。
平安時代末期から鎌倉時代初期の乱世に生きた鴨長明は『方丈記』で「朝に死に、夕に生まるゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける」と説き、強大な浄土真宗本願寺教団の基礎を築いた十五世紀の蓮如は、「白骨の御文章」とよばれる書簡で「されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」と無常を悟り、死すべき身であることを強く意識することを説いていた。
死を強く意識することで民衆に浸透した日本仏教は、死者をしのぶ文化と結びついて発展することになった。キリシタンを排除しようとした江戸幕府によって、十七世紀には死者を葬るとともに家の先祖を祀まつる儀礼を仏教寺院が独占する檀家だんか制度が確立した。それによって死者をしのぶ「仏事」「法事」が人々の日常生活に深く根付いていくことになった。親族集団や地域社会とお寺が一体となって悲しみを力に転ずる文化を担ってきた。
だが、二十世紀も末になると親族集団や地域社会の絆が弱まり、お寺と個々の檀家との関わりも薄まっていった。東日本大震災が襲うすぐ前の一年ほどの間、葬式の省略や簡易化がさかんに論じられた。確かに大都会では「仏事」「法事」が形式化し、心のこもらぬものになる傾向が目立った。儀礼を通して「十分に悲しむ」こと、そのことによって「生きる力を育むこと」が難しくなって来ているという議論が力を増していた。
東日本だし震災後の経過を見ると、少なくとも東北・北関東地方では必ずしもそうとはいえないようだ。お寺が地域社会と強い絆をもっており、悲しみを力に変える場として今なお機能している地域が多きように感じられる。だが、その東北地方も時代の変化の作用は免れえない。東北・北関東地方でも伝統的な行事だけでは「十分に悲しむ」経験を得られないと感ずる人が少なからずいることだろう。それらの人々の気持ちを反映して新たな慰霊・追悼のが、あるいは「悲しみを力に変える」文化が展開してくることだろう。
すでに現れている新たな特徴は、宗派・宗教の枠を越えた追悼の文化である。たとえば、仙台では医療関係者と仏教、キリスト教、神道、新宗教などの諸教団が協力して「心の相談室」が立ち上げられた。震災で亡くなった方の葬送のお世話をするために諸教団が協力してきたのだが、さらに死別の悲しみに暮れている方々の世話をするためにも協力しようというものだ。
阪神・淡路大震災のときも宗教や宗派を超えて「悲しみを力に」していこうとする動きがあった。だが、それはまだ一地域の動きにとどまっていた。その後、末期がん患者や自殺者遺族のための宗教・宗派を超えたスピリチュアルケアやグリーフケアの動きが広がっていった。東日本大震災の「悲しみを力にしていく」これまでのさまざまな点と線の動きを面 へと広げていくきっかけになるかもしれない。日本の悲しみの文化の大きな展開が静かに進んでいる。
しまぞの・すすむ 1948年、東京都生まれ。東大文学部宗教学科卒。現在、同大大学院人文社会系研究科・同文学部教授。(財)国際宗教研究所長。専攻は近代宗教史、比較宗教運動論。著書に『現代救済宗教論』(青弓社)『現代宗教の可能性』『スピリチュアリティの興隆』(岩波書店)『宗教学の名著30』(ちくま新書)『国家神道と日本人』(岩波新書)など。 |