災害時にむきだしになること
鷲田 清一 大阪大学学長 2011年5月4日(水曜日)中日新聞「時のおもり」より
基礎能力を失った人間社会

 大きな災害のときにむきだしになるのは、いうまでもなく自然の脅威を前にしての人間の無力である。三月の津波は、いかなる文明の装置もわけもなくなぎ倒すほどの甚大さであった。
 しかし、災害時にむき出しになるのは、そういう人間の自然的な弱さだけではない。人びとが人為によって無力にされてきたという事実もまた、くっきりと浮き彫りになる。
 たとえばあの日の東京。停電で交通が麻痺まひし、多くの人が帰宅できなくなった。その後多くの生活物資が欠乏し、さらに放射能汚染で水道水が飲めなくなった。停電と放射能被害。いずれも典型的な人災である。
 十六年前の阪神淡路大震災のとき、兵庫県西宮市で激震に見舞われた友人が、自宅近くを流れる河を見ながら、ため息まじりに言っていた。「目の前にこんなに水がたっぷりあるのに、水道が止まるとペットボトルがヘリコプターで運ばれてくるのを待つしかないんだよね」


 都市生活はもろい基盤の上になりたっている。ライフラインが止まれば、人は原始生活どころかそれ以下に突き落とされる。自然が残る土地であれば、渓流の水が飲める。土や石ころや枝葉で雨露をしのぐ工夫ができる。が、都市の河の水は汚くて飲めない。アスファルトに覆われた路上には、土も石ころもない。なすすべもなく、ライフラインの復旧をただただ待つしかないのだ。
 考えてみれば、いのちをつなぐためにどうしてもしなければならないこと、たとえば出産、蝶理、排泄はいせつ物処理、子育て、看護、介護、看取みとり、教育、警備、もめごと解決、これらすべてを、かつての社会では家族と地域が受け持っていた。人びとはみなで協力して事にあたった。しかしやがて社会の近代化とともに、そうしたいのちの世話の大部分を、行政ないしは民間のサービス・システムに依託するようになる。国が養成した専門職(医師・看護師、調理師、教師、警官・消防士、弁護士)にそれらを任せることで、人びとは寿命を伸ばし、安心で安全な生活を享受できるようになった。
 が、それとともに人びとは、それらを自力で行う能力を失っていった。そうした能力喪失を、災害時には思い知らされる。思い知らされても、そういうサービスの「顧客」として、クレームをつけることしかできない。システムに依存しすぎてきたつけが、災害時に回ってくるのである。高度なアメニティー(快適さ)を得たことの代償はかくも大きい。


 あの夜、人びとは何時間もかけて帰った。帰れなかった人も多くいた。けれども、とおもう。昼休みに食事をとるために家に帰れないほど隔たった場所で働くというのが、そもそも異様なのではないか。また、帰るべき郊外の集合住宅地に、働く人の姿はほとんどなく、食事や買い物や教育や遊興などのサービスを消費する人ばかりだということ。働く大人のあいだを子どもが走り回り、子どもは大人の働く姿を横目で見、といったことが起こりえない街になっていること。このこともまたひどく歪いびつなことではないのか。
 このたびの震災は、「千年に一度」 の大災害だといわれる。けれども、わたしたちは戦後六十数年のあいだにも、安心で便利で快適な生活を公共的なシステムにぶら下がることによって得たその代償として、いのちの世話をしあう文化、そしてそれを支える一個人としての基礎能力を、ひたすら削ぎ落としてきたのではないか。

「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っている」

 十七世紀フランスの思想家、パスカルが同胞どうほうに向けて述べた言葉である。