「救いの力」の復活を
上田 紀行 うえだ・のりゆき 2011年4月16日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
大震災から再創造へ
苦しみを共有し信頼を取り戻す [上]
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未曾有の大震災。その惨状に私たちは我が目を疑い、そして言葉を失った。人間の力をはるかに超えた津波の猛威が多くの人々の命を奪い、困窮する人々を生みだし、そして科学技術の最先端と謳うたわれた原発は今も深刻な状況に直面し続けている。
自然の猛威の前での人間の無力さ、はかなさをこれほど感じさせられたことはない。しかし私たちは無力感に陥ることなく、人智じんちを尽くし、持てる力を結集してこの災害を乗り越えていかなければならない。
この震災からの復興は、日本社会全体のあり方、国家像を根本的に変える大きなきっかけになるだろう。いや、そうならなければならないと思う。それはこの国における「救いの力」の復活であり、再創造である。
家を失い、財産を失い、生活基盤を失って困窮する人たち、肉親を失い、友人を失い、故郷を失って魂の痛みに直面している人たち。被災者の徹底的な救済に、まさに私たちの全力を傾注する時である。
しかし、この被災者の救済によって、他の社会的弱者にしわ寄せがいくことを絶対に避けなければいけない。大災害による死者と行方不明者の合計は約二万八千人もの数にのぼっている。一方で、この国は毎年三万人を超える自殺者を生みだし続けていることを忘れてはならない。あの悲惨な大災害による死者と行方不明者と同じ数の人々が、毎年自分の命を絶っている国に私たちは生きているのである。震災復旧のための財源をどこに求めるのか、被災者の雇用、さまざまなケアをどのように行っていくのか、それは今後の大きな議論になる。そのときに、この社会にすでに存在する社会的弱者を更に追いつめるような施策を決して採ってはいけない。
さらに一歩進んで、この震災からの復興は、これだけ多くの自殺者を毎年生みだし続けるような、この社会システムを根底から変えていくものとならなければいけないだろう。それは徹底的に苦しむものの側に立ち、ぜったいに見捨てないという、社会の中での「信頼」の回復である。
五年ほど前、「勝ち組、負け組」という言葉が跋扈ばっこしていた時代、小泉元首相が「国会議員もしょせん使い捨てだ」と発言した。人間に「使い捨て」という言葉を使うことに耐え難い違和感を感じた私は、大学の講義で「人間は使い捨てだと思う人は手を挙げて」と促すと、大教室の半分の学生が手を挙げた。心底悲しい風景だったが、それは決して学生たちの責任ではない。そうしたイメージを持たされた若者たちを生みだしたのは、私たち大人の振る舞いであり、私たちが容認してきた社会システムのあり方である。
「人間は使い捨てた」「困っても誰も助けてはくれない」という社会イメージを持って生きる人間は幸せだろうか。そしてその人が、人生で実際に「使い捨て」にあったとき、何を希望に生きたらいいのか。
震災の復興は、日本の国家「像」、つまり社会の「イメージ」の再創造でもある。肉親も友人も家も財産も失っても、支援によって立ち直れる、私たちの社会はぜったいに見捨てない、ともに支え合って生きていくという、「苦しみの共有」の意識の復活であり、そこからの「救い」への信頼の再創造である。かつて大戦後にはこの国には苦しみを分かち合う意識があった。しかし私たちは経済的な豊かさの中で、いつしかそのイメージを失ってしまったのではなかったか。
「救いの力」の復活。それは単に「ありがたい言葉」のレベルでは成し遂げられない。いまだ物質的な困窮の続く被災地には物資の支援を、安心して住める住居を、雇用の確保をと、目に見える援助が必要だ。そして、亡くなった方々の供養をいかに行うのか、喪失の苦しみをいかに乗り越えていくのか、目に見えない援助も今後大きな課題になる。
この復興には長い年月と、ねばり強い努力が必要になる。それは私たち国民に強い覚悟を迫るものだ。しかしそれは必ずやこの国の大きな再生の契機となるだろう。ぜひ前向きに受けとめていきたい。
重なり合い、補い合う
大きな可能性持つ寺院ネットワーク [下]
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震災からの復興を日本社会の大きな転換点にしなければならない、と前回(16日付)書いた。それは「救いの力」の復活である。
かねて私は、この数年間の日本を「第三の敗戦」と呼んできた(『「肩の荷」をおろして生きる』PHP新書)。第二次世界大戦における軍事的敗戦。バブルの崩壊という経済的敗戦。そして、その敗戦後の施策を間違え、人間相互の絆を犠牲にしてまでも、さらなる社会の「経済化」を目指したことによる、信頼の崩壊という第三の敗戦である。この震災で亡くなられた方や行方不明者とほぼ同じ数の人たちが、毎年自分の命を絶つような国となってしまった日本。その社会の構造を、この震災の復興の中で同時に変えていかなければならない。
「救いの力」の復活はいかにして可能になるだろうか。それは単なる一つの要因では成し遂げられない。広がる経済的格差の是正はもちろん重要だ。しかし経済のみに依存する「救い」では、逆に経済の破綻で全てが崩壊してしまう。しかし「心」が全てなのだと言い切ることは、現実の格差や差別を隠蔽いんぺいすることになる。いま必要なのは、多重に張りめぐらされた救いのネットワークであり、ある側面が破綻しても、それを他の「救い」が支えるような、幾重にも重なり合い、補い合うような、救いの網の目なのである。
その中で、宗教にももう一回活躍してもらわなければならない。実際、この震災直後から、多くの宗教教団が救援活動に入っている。ふだんから災害対策チームを持っている教団も多く、それがここでも生きている。さらに今回の震災で注目すべきは、これまで動きが鈍かった在来仏教に新しい動きが見られることである。仏教教団の本山組織は相変わらずのお役所的体質で機能していないところも多いが、これまで自殺、ホームレス、ハンセン病、海外援助などの問題に関わってきた、社会的意識の強い僧侶たちのグループが、そこでの経験を生かして震災の支援に取り組んでいるのが目立つ。
そこであらためて気づくのは、寺院のネットワークの潜在的可能性である。全国に76,000と、コンビニの二倍近く、公民館の四倍もある寺が、救いの網の目となれば、明らかにこの社会にもう一つの厚みある支えをもたらすだろう。遠方からの僧侶も同じ宗派の修行仲間などをたどって、被災地の寺に入ることができる。また被災地の寺が一時的避難所となったり、被災を免れた寺が疎開の場所を提供したりと、機能すれば寺は実に「使える」場所なのである。
日本仏教は「ありがたい話」はするが、実際には何の行動もしないというイメージを持たれてきた。しかしこの困窮の中で、寒さをしのぐ物資を届け、炊き出しをし、といった行動もまた宗教である。仏は言葉の中にあるのではなく、まさに救いの行動の中にある。
寺や教会の大切さをいまいちど認識したい。それは非常時には支援の網の目となり、またふだんからそこに集う仲間たちの存在が苦しみに直面した中で大きな力となる。そしてもちろん、すべてが失われ、極限の苦悩に瀕ひんしても、神や仏とともに生き抜いていける信仰の力は大きなセーフティーネットとなる。目に見える救い、助け合う人の絆、目には見えないが信ずることの中にある救い、それらが多重に張りめぐらされた信頼社会の中に「救いの力」はある。
私は震災直後に身の回りで起こったスーパーでの「買い占め」の光景を思い出す。何も信頼できるものがない、隣人は決して助けてくれないと思ったとき、私たちはわれ先に買い占め、溜ため込むしかない。それはとてつもなく寂しい風景であった。
その風景を変えていかなければならない。私たちのためにも、そして私たちの子どもたちのためにも。そのとき、私はダライ・ラマ十四世の言葉を思い出す。「理不尽な不正義や差別があっても、仏教者は怒ってはいけないのですか?」という私の問いに、ダライ・ラマは「怒りには二つの種類、悪意からの怒りと慈悲からの怒りがあります。そして慈悲から生じる怒り、何とか社会の不正を正していきたいという怒りは持つべき有益な怒りなのです」と答えた。人に怒りをぶつけるのではなく、その憤りを問題の原因の探求へ、より良き未来の創造への原動力とする。人には限りなく優しく、しかし人を追いつめるシステムには厳しく。その毅然きぜんとした態度こそがいま必要なのではないか。私たちはまさに歴史の分岐点に立っているように思えるのである。
うえだ・のりゆき 1958年、東京都生まれ。東京大大学院文化人類学専攻博士課程修了。東京工業大准教授。著書に『生きる意味』(岩波新書)『がんばれ仏教』(NHKブックス)『今、ここに生きる仏教』(共著、平凡社)など多数。 |