未曾有の天災と人災
池内 了 2011年4月13日(水曜日)中日新聞「時のおもり」より
全原発止め設計見直しを
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三月十一日午後二時四十六分、東京都心で会議を行っていた私たちは、一分以上も続く大揺れに突然襲われ、慌てて建物の外に出た。うち続く余震で足元がふらふらした。ケータイを持っている知人からの情報によれば、マグニチュード(M)は7.9であった(その後、Mは9.0に引き上げられた)。東京でこれだけ揺れたのだから、東北地方は壊滅的な被害を受けたのではないかと心配であった。海岸縁に住んだことがない私は、大津波が海岸線を、それも短時間のうちに次々と襲っていったことは夢にも思わなかった。一万人以上が波にさらわれて犠牲になったというのに。
鉄道網はいっさい止まり、バスは超満員、タクシーは渋滞で動かない。私が住む神奈川県逗子市まで都心から約70キロメートルでとても帰り着けないとは思ったものの、とにかく西の方向へと脱出することにした。余震によってビルが崩壊する恐れがあり、それに巻き込まれることを警戒したのだ。まさに帰宅難民になってしまった。約20キロメートル歩き、幸い沢の口(横浜市高津区)でバスに乗ることができて新横浜に着き、動いていた新幹線に飛び乗って京都に逃げ帰った。被災された方々に申し訳ないと思いつつ。
七十七年前、寺田寅彦は「天災と国防」という文章(『寺田寅彦全集第七巻』所収、岩波書店)で、「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその激烈の度を増す」と書いている。科学・技術の進展によって、社会構造が一様化し集約化されるから、ひとたび天災によって一部でも破壊されると全体に及んで災害が拡大するということを見抜いていたのだ。その背景には、続けて寺田が「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようという野心を生じた」と書いているように、科学・技術の力を過信した人間が自然を凌駕りょうがしたと思い込んできたこともある。
今回の原子力発電所(原発)事故は、産業構造を大型化・集中化・一様化とする道を突っ走ってきた人災の要素が大きい。地震が頻発し、津波が多発する日本は「豆腐の上に立地する国」である。にもかかわらず、五十四基もの原発を海岸線沿いに建設している。危険な放射能を大量に抱え込む原発であれば、いかなる地震にも耐えられる設計でなければならず、それが不可能であれば建設すべきではなかったのである。さらに、緊急炉心冷却装置(ECCS)への外部電源が途断し補助電源も動かなかったのは、システム設計の甘さを露呈しており、「想定外」という言い訳は通用しない。「安全神話ボケ」に陥っていたことは明らかで、「人災」という表現も言い過ぎではないだろう。その他、いろいろ言いたいことはあるが、紙面の都合でここでは省略する。
ただ、中越沖地震で柏崎原発が損傷し、今回の地震で福島原発が壊滅状態になったことを思えば、全ての原発の運転をいったんストップして、耐震や外部電源の確保などシステム設計を根本的に見直すべきことを強調しておきたい。なかでも、東海地震の震源域に誓い中部電力浜岡原発はただちに運転中止にして廃炉とする措置をとるべきではないか。電力不足になって産業や生活に支障が出ると懸念される人がおられるかもしれないが、ひとたび原発事故が起こってしまえばそれどころではないのである。
便利さと効率性をむやみに求め欲望過多になっている私たちは、日常生活を見直すことを通じても、東北地方の人々と苦難を分かち合わねばならないと思う。