人も犬も…最近思うこと
山折 哲雄 やまおり・てつお 2011年4月2日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
漂泊の空也上人
輝く毛皮、自然へ同化 [上]

 もう40年も昔のこと。そのときの光景が今でも、舞台の一点に照明をあてたように思い浮かぶ。
 真夏の午後だった。うっくつしたからだを持て余し、部屋から飛び出して田舎道を歩いていた。東京の郊外、借家に住んでいた。
 ぶらぶら行くと、道ばたの草むらに白い犬が捨てられ、横たわっているのに気がついた。からだ中からウジがわきだしていた。裂けた腹から、赤黒い内蔵の塊がとびだしている。腐敗した匂いがゆらゆら立ちのぼっていた。
 しばらくそれを見ていたが、それ以上は近づかず、通り過ぎた。


 それから一カ月ほども経っただろうか。夕方になって仕事が一段落し、散歩にでた。いつもの田舎道をたどっていくと、あの草むらの場所がみえてきた。
 白い犬は片付けられることもなく、そこに静かに横たわっていた。わきでていたウジの群れはウソのように姿を消していたのである。犬は胸から腹にかけて肉の厚みを失い、やせこけたからだを小さくして、まだ眠っているようだった。
 それからどれくらい経っただろうか。寒い季節が近づいていたが、夕方になって珍しく雪が舞いはじめている。私はコートをはおり、令の田舎道に出た。雪が解けてぬかるんだ土を踏み、何となくあの犬はどうしているだろうかと期待に胸をふくらましながら歩いていった。
 その場に近づいていって、私は目を見張った。犬のからだに雪が薄くつもり、白い毛皮が雪と混じりあって、つやつやした輝きを発していたのである。
 私はそこに立ったまま、ただ見下ろしていた。その場を去ってはならぬ、という声がどこかからきこえてくるようだった。美しい毛皮だけになって輝く犬が、急に親しい身近なものに思えてきたのである。犬はただの死体になったのではない、そういう思いがこみあげてきた。
 けれども私は、それ以上、犬に近づくこともせず、そのからだにふれることもしないまま、またあるきはじめた。
 そのときだったと思う。あのよく知られた空也上人の姿を写した木彫像が突然、念頭に甦よみがえった。平安時代の中ごろに活躍したお坊さんである。比叡山で修行し、やがて山を降り里や村を歩いて、念仏の功徳を説いた聖ひじりだった。
 その像は知られているように、口元から針金がでている。その上に、同じ針金でできた六体のアミダ仏がのっかっている。顔をうかがうと、すこし顎あごをあげて恍惚こうこつの表情をしている。


 首から胸、そして足腰にかけての筋肉が、かもしかのようにしなやかだ。みるからに鍛えぬかれたからであることがわかる。左手で鹿杖かせづえをもっている。右手には撞木しゅもくをつかんで首から吊つるした鉦かねを叩いている。
 そして、鹿の皮を腰にまとっている。その鹿皮の色が空也の陽に焼けた銅色あかがねの肌と融けあいほとんど見分けのつかないほどになじんでいる。鹿の皮が空也の第二の皮膚になっている。
 風雪に耐えた空也のからだである。そしてそのからだを包む鹿の皮が、遊行漂泊ゆぎょうひょうはくする空也の姿を美しく生き返らせている。
 鹿の皮と同行二人…。
 空也はそう思っていたのではないだろうか。そのうち、誰いうとなく
 皮聖ひじり、 皮上人…
と呼ぶ人々があらわれる。
 獣皮への同化が、山川草木への同化の第一歩だったのかもしれない。人間の色彩を消して、鳥や獣の色のなかにすべりこんでいくための捨て身の戦略だったのだろう。
 思わず、我が身のことをふり返る。私も、皮のカバンをぶら下げている。皮のクツをはいている。けれども、あの白い犬の皮を肌着にしたり、身につけたりすることなど思いも及ばなかったのである。

無常の風
あまねく運命に吹く [下]

 インドに行くと、道ばたによく人が横たわっているのに気づく。ひと休みをしているのか、寝ているのかわからない。息をしているのか息をしていないのか、それも判然としない。都市の駅舎なんかでも、そんな光景に出くわす。
 最近ではこの日本にも、似たような場面がふえてきた。ホームレスといい、ブルーテントの人、とかいっている。けれども規模からいったら、インドは大先輩だ。活気といい、迫力といい、奥行きの深さといい、日本列島の日常とはケタ違いである。
 不思議なのは、インドで道行く人々のほとんどが、そのような道ばたに投げだされたように横たわっている人々に関心らしい関心を示そうとしないことだ。みんな、チラッと視線をむけるだけで通りすぎていく。何とも不人情の光景というほかはない。非人情といったらいいのだろうか。


 もしもこれがわが国の場合だったら、どうだろう。たとえば銀座四丁目の四つ角や、名古屋の中日新聞社の表玄関の前で、道ばたに倒れたり横たわっている人がいたとしたらどうか。まず誰かが近づいてきて、声をかけるだろう。公衆電話に走ったり、いや、まずはケイタイで、110番に通報という仕儀になる。まもなく、ピーポー、ピーポーと、救急車がやってくる。
 倒れている人は、たちまちのうちに車のなかに運び込まれ、病院へと直行、銀座四丁目の四つ角も、中日新聞社の玄関口も、ふたたびもとの街並みにかえるだろう。常日ごろの、衛生的で冷たい表情をとりもどし、何ごともなかったように人の波が流れはじめる。
 この違いは、どこからくるのだろう、と思うことがある。インドの街角では、そんな一件落着は、まずおこりそうにない。国柄の違いか、いや。衛生観念のありなしか、いや。「近代」のすすみ具合の差か、いや…。
 どれがどれやら、よくわからないのであるが、もしかすると、人は犬ころのように生きて、死んでいく、ということではないか。人の運命と犬ころの運命の区別立てをしない、それだけのことではにか。
 舞台がインドであるのだから、犬のかわりに牛といった方がいいのかもしれない。多くのインド人にとって、牛は神さまであり神さまのお使いである。とても大事にしている。その大切にする扱い方は、人間にたいするのとほとんど変わらない。牛からはミルクをとる。牛の糞ふんは乾かして薪たきぎにする。家をつくるときは、壁土の上にはりつける…。人間だけが偉いのではない。牛も偉いのである。そして犬も、牛や人間と同じように偉い。それだけのことである。だから人は犬ころのように生きて、死んでいく。そういうことになる。そういうことにならざるをえない。
 人と牛と犬の運命の上に、無常の風が吹いているのである。人の運命と牛の運命は、もちろん違う。牛の運命と犬の運命も違っている。だが、その違いは、あの人の運命とこの人の運命の違いと、まったく同じ性質の違いである。そして私自身の運命とも…。


 しかし、それらの個々の運命の違い、人と牛と犬のそれぞれの運命の違いは変更の余地のないものではあるけれども、それらの人や牛や犬の運命の上には、ただ一つの運命の風、すなわち無常の風が吹きわたっている。どんな個々の運命も、この無常の風には抵抗することができない。
 無常の風の普遍性、である。そこまで大袈裟おおげさにいわずとも、と思わないではないが、結局はそこに行きつく。
 この無常の風は、これまで何となくインド方面から吹いてくると思われてきた。仏教という乗りものにのって吹いてきた、と私も考えてきたのであるが、もしかするとそうではないのかもしれない。なぜなら今度の東北地方の巨大地震と大津波にあって、この日本の地震列島には、一万年も二万年も前から無常の風が吹いていた、と思わないわけにはいかなくなったからである。さらにいえばこの無常の風は、地球上のどこにでも吹いていたといってもいいほどだ。
 それは、この間おこなわれたばかりの「生物多様性」の国際会議においても同じことだった。いつのまにか「国家エゴ」むき出しの「人間多様性」の自己主張に終わってしまった会場の上にも、無常の風がひゅうひゅう吹いていたのである。

やまおり・てつお 1931年生まれ。岩手県出身。東北大文学部印度哲学科卒。東北大文学部助教授、国際日本文科研究センター教授、所長を歴任。専門は宗教学、思想史。主著に「神と仏」(講談社現代新書)『親鸞をよむ」(岩波新書)「空海の企て」(角川選書)など。