新しい社会づくりのために
中村 桂子 JT生命誌研究館館長 2011年4月5日(水曜日)中日新聞「時のおもり」より
大災害が問う 文明の驕おごり

 2011年3月11日。マグニチュード9.0という大地震とそれが引き起こした大津波により死者、行方不明者合わせて27000人以上という、今日本列島で暮らす人は誰も体験したことのない災害が起きた。被災地の広大さもこれまでにないものであり、今も避難中の方が16万人を超えると報道されている。
 この数字だけでも大変なことだが、これは単なる数字ではない。ここには、懸命に生きていた人一人一人がいるのであり、家族や地域での関わりがある。まずはこのような人々、家族、地域の暮らしを支える活動に全力を尽くすことが大事だが、その後は、二十一世紀日本の社会としての思想とヴィジョンを明確に持った町づくりが重要になる。本当に暮らしやすい社会を考え、それを創り上げるために、これもすぐに考え始めなければならない。


 これまでの日本は、東京への一極集中を進め、そこでの生活を理想とした。埋め立て地に次々と建つ高層ビルに住み、夜も電飾で昼間かと思う明るさの中、買い物や食事を楽しむ生活をよしとした。食べ物やエネルギーがどこでどのようにつくられているかなど知らずとも、お金さえあれば何でもできる、何をしてもよいという考えがこの生活を支えている。最近は、思うように成長しない経済を何とかしようとする動きが盛んだが、それもこれまで同様、科学技術と金融経済に頼るという基本を変えてはいない。
 その象徴が福島第一原発である。大量のエネルギーを消費する都会に送るための発電所は、日常の中での安全は保障されていたが、大きな自然の力の前では脆弱ぜいじゃくであり、今も事故収束の見通しは立っていない。人口の大半を占める都市生活者、とくに首都圏の人間がこの大きな災害を自分のこととして考えることが新しい社会づくりのためには不可欠である。
 原発建設に関わった科学技術者たちは、この地震は千年に一度のものであり、想定外であったと言う。機械や建築物は、危険が起きる確率とその大きさを想定しなければつくれない。つまり科学技術の世界には想定と確率が存在するのである。しかし、自然には想定外はない。私たちは自然のすべてを知っているわけでもなければ、コントロールでくきわけでもない。そして、科学技術が想定外としたことの被害者となる人間一人一人にとって、確率はない。自分が被害に遭えばそれがすべてなのである。
 科学技術は人間がすべてをコントロールできることを前提に動いており、自然に対しても、人間に対してもその考えをあてはめようとしてきた。自然がどれほど大きな力を持っているか、一人一人の人間のいのちがどれほど尊いかを思い、想定外とした事象をも想像し、それへの対処を考えようとしなかったのは、人間の驕おごりとしか言いようがない。それは企業や科学技術者だけではなく、文明社会で生きる私たちすべての問題である。


 実は、この災害で私たちは自然の厳しさを知ったと同時に、人間のもつ力のすばらしさを再確認もした。被災地の方々の困難の中で生きようとする力、他を思う心などに心打たれた。それは被災地の多くの方が自然と近いところで暮らしていたことと無縁ではないと思う。子どもを自然から離し、ビルの中での機械に囲まれた生活を日常として育てる社会を見直すことだ。日本列島全体を眺め、この大地の上に根を下ろした生活を組み立てるのが、新しい社会づくりの第一歩である。