日本仏教の祖師たち■空海、親鸞、道元
立川 武蔵 たちかわ・むさし 2011年1月8日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
戒、定、慧の三つを学ぶ
新しい自己の蘇りを目指 [上]

 日本仏教の宗派には、空海が建てた真言宗、親鸞を祖とする浄土真宗、あるいは道元を開祖とする曹洞禅の伝統がある。この三人の祖師たちの思想と実践は、実は日本仏教の三典型であるばかりではなく、この三典型は、インド・チベット・中国の仏教における典型でもある。
 すなわち、仏教一般の思想・実践のあり方は(1)ヨーガ(禅はその一種)、(2)バクティ(阿弥陀仏などへの帰依きえ、帰命きみょう)、(3)ヨーガとバクティとの統一としての密教の三つに分けられる。ブッダにはじまり今日に至る仏教者たちはこの三者のいずれかの道を歩んできた。日本仏教を代表する道元、親鸞、空海はそれぞれヨーガ、バクティ、両者を統一した密教の道を進まれた。
  空海は9世紀に、親鸞と道元は12世紀に活躍したが、インドでは道元が歩んだ禅つまりヨーガの道がまずあり、そして浄土信仰が起こり、その後、空海が伝えた密教が現れた。それゆえ、ここではインド仏教の歴史に沿いながら道元、親鸞、空海の考え方を順に見ていくことにしたい。


 インド仏教の歴史は、三期に分けることができる。すなわち、(1)仏教誕生から紀元前後までの初期仏教(2)紀元前後から600年頃までの中期仏教(3)600年頃から13、4世紀のインド仏教滅亡までの後期仏教の三期である。
 今日、東南アジアに流布しているテーラヴァーダ仏教(上座仏教)は、第一期の初期仏教の伝統を保っている。中期および後期には大乗仏教が主流となるが、後期には大乗仏教の一形態としての密教(タントリズム)が勢力を得た。
 初期仏教の僧たちの実践方法であった広義のヨーガは、インド後期仏教まで生きており、さらに仏教が伝播でんぱした全地域においてもっとも基本的な実践方法の一つとして今日に生きている。中国や日本の禅はこの伝統を受けついでいる。
 仏教では戒かい、定じょう、慧の三つを学ぶべきだといわれる。戒とは生活の規範であるが、罰則を含む規範を律という。両者を合わせて戒律と呼ぶ。定とは精神集中つまりヨーガのことであり、慧とは定という方法によって得られた結果としての智慧をいう。
 定にはさまざまな段階があるが、その中の一つにサンスクリットで「ドゥヤーナ」(静慮じょうりょ)と呼ばれる段階がある。この語の俗語形が「ジャーナ」であり、この語が中国において「禅那ぜんな」や「禅」と音写された。その後、「禅」は戒・定・慧の内の定の代表的な方法という意味で用いられてきた。


 古代のインド人たちは仏教誕生以前からヨーガの行法システムを知っていた。仏教開祖ブッダは明らかにヨーガ行者である。
 「ヨーガ」とは、「馬に軛くびきをかける」を意味する動詞「ユジュ」(yuj)に由来する語であり、心の作用の統御を指している。人間の身体には消化器系、循環器系、内分泌系などの器官があるが、人間が自身の意思によって大きな変化を与え得るのは呼吸器系と神経系である。ヨーガは、自身の呼吸を調整し心の作用を統御し、鎮めることによって清澄な心の状態に至ることを目指す。ちなみに、禅においては、修行者の「魂」の救済主としての仏に対して帰命(バクティ)することは不可欠ではない。
 仏教が求めたのは、怒り、妬ねたみ・貪むさぼりなどの煩悩と業(行為)をなくすことによって、悟り(慧)を得ることであった。その悟りの境地を体験するのがヨーガあるいは定の使命である。煩悩や業をなくすとは、新しい自己の蘇よみがえりを目指すのであって、虚無の中に埋没してしまって何も考えず、何の行為もしないことではない。
 ヨーガつまり禅により煩悩に満ちた古い自己が新しく生まれ変わる。再生したその自己は自己自身および他者をも正しく見るのである。これが道元のみならず仏教全体が求めたことであった。

基底にインドの思想
ヨーガ、バクティ、両者の統一 [下]

 仏教にはさまざまな派があるが、それぞれの派の基本は(1)ヨーガ、(2)バクティ(阿弥陀仏などへの帰依、帰命)、(3)ヨーガとバクティの統一のいずれかである。日本仏教を代表する道元、親鸞、空海もそれぞれヨーガ、バクティ、両者の統一の道を歩まれた。ヨーガの一種である禅は、仏教の修行の基本であるが、バクティを必ずしも必要とはしない、と前回に述べた。
 浄土に住む阿弥陀仏へのバクティは、インド中期仏教の初期、つまり、大乗仏教が始まった1、2世紀に現れた。それ以前の初期仏教にあって開祖ブッダは偉大な師であり、修行者たちのモデルであったが、それぞれの僧たちの「魂」あるいは精神の救い主ではなかった。
 一方、浄土に住む阿弥陀仏は、個々の僧あるいは信徒たちの「魂の救い主」となった。これは仏陀ぶっだ観の変化に基づく。すなわち、後世、人々は「釈迦の肉体は亡ほろんだが、釈迦はどこかで姿を現し、説法しておられるに違いない」と考え始めた。このような仏のひとりが阿弥陀仏なのである。それは、歴史的存在としての釈迦の生涯を解釈しなおした結果の仏である。


 初期大乗仏教には阿弥陀仏の浄土を見ようとするヨーガの行法があったのは事実だ。ただし、親鸞の浄土教では、ヨーガによって仏を見ようとすること(見仏)は拒絶された。親鸞は「はからいを捨て、己のすべてを阿弥陀如来に捧ささげる」というバクティ(帰依)を説いた。ヨーガにより仏を見ることあるいは仏になろうとすることは、親鸞にとって人間の思いあがりであったのである。
 この親鸞の態度は、仏教がインド以来持ち続けてきたヨーガによる心身の修練や世界の構造への関心を捨てることを意味した。この傾向は日本仏教の特質の一つとなった。
 インドの大乗仏教(インド中期・後期仏教)においては、ヨーガによる修行を中心とする派と平行して、バクティを基本とする宗派もあった。一方、ヨーガとバクティとが統一されることもあった。この態度は密教に見られるが、この場合には大日如来などの仏に対して帰依すると同時に仏と一体になろうとするヨーガが行われる。
 さらにこの「総合の道」では古代のヴェーダの儀礼が積極的に採りいれられた。例えば、火の中に供物を投げ入れるホーマ祭は、元来は現世利益の祈願のためのものであったが、修行の意味も付け加えられて仏教の中に採りいれられ、護摩となった。また「秘力ある」言葉であり真理の象徴でもある真言(マントラ)が密教の儀礼や修行において用いられた。「真言仏教」という名称はこのマントラ(真言)に由来する。
 密教にあっては、悟りに至ったものが他者を導くために聖なる世界の図を修行のチャートとして描くことがある。これがマンダラ(曼陀羅まんだら)である。このように密教は、ヨーガ、バクティ、儀礼などを総合したものであり、インド仏教史では後期になって確立された。
 以上のように見るならば、日本仏教の全集、浄土真宗および真言宗はインド仏教以来の代表的な思想・実践を踏まえていることが明らかとなろう。
 禅(ヨーガ)は実践のすべての歩みのエネルギーであり、浄土信仰は仏に対するバクティを通して俗なるものを否定する歩みであり、マンダラには仏へのバクティとヨーガの実践を通して「俗なる」世界の聖化が示される。
 ここでは『法華経』信仰に基づく日蓮宗や『法華経』信仰と密教との総合を達成した天台宗などについて触れることはできなかったが、これらの宗派もヨーガあるいはバクティをその実践方法としている。


 日本の浄土教における阿弥陀仏へのバクティと真言宗や天台宗における大日如来へのバクティとヨーガとは、仏(如来)が元来有している二面性を指し示している。
 阿弥陀如来とは、このわれわれの住む「俗なる」世界(娑婆しゃば世界)を否定し続けながら浄化する力であり、大日如来は、この「俗なる」世界を肯定し続けながら浄化する力を表している。前者は遠心的な力であり、後者は求心的な力である。
 この二種の力は仏が本来有しているものである。また、禅、浄土信仰、マンダラは、一つの統一体の三つの側面に他ならない。

なら・やすあき 1929年生まれ。東大文学部卒、修士課程修了、カルカッタ大博士課程留学。文学博士。駒澤大学前学長および総長。現在、駒澤大名誉教授、財団法人・東方研究会常務理事。仏教文化史専攻。著書に『釈尊との対話』(日本放送出版協会)『仏教と人間』『般 若心経講義』(東京書籍)など多数。