京都で仏教を考える
末木 文美士 すえき・ふみひこ 2010年4月17日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
東と西の文化「顕蜜体制論」実感できた [上]

 京都に移り住んで一年になる。単身赴任というわけではなく、転居したので、よく思いきったものだ、などと人に言われる。けれども、それほど大決心をしたというわけでもなく、せっかく京都に務めるのだから、少しでも京都の生活を味わおうというわけで、ごく自然に決まってしまった。もっとも東京の方にもたびたび用事で出るから、京都を拠点とした二重生活というところだ。
 京都に住んで、ずいぶんお寺回りをしたでしょうと尋ねられるが、特にそういうわけでもない。それなりに忙しいし、いつでも生けるとなると、どうしても後回しになる。それでも、京都に住んでいるというだけで、なんだかほっとする。おのぼりさんみたいなものだが、歴史が身近に感じられる雰囲気にけっこう満足している。


 東京から移ってみると、確かに文化の違いは歴然としていて、カルチャーショックは大きい。関ヶ原を越えると外国だと、会う人ごとに言っているが、それは多少は大げさかもしれないけれども、実感だ。言葉が違い、食べ物が違い、生活習慣が違えば、完全に別の文化で、とまどうことが多い。
 食べ物のことがいちばん切実で、それだけに笑い話のようなことが多い。京都で「ぜいたく煮」というから、どんな豪華なものが出てくるかと期待していたら、たくあんを塩抜きし、炊いたもので、がっくりした。けれども、それがまたなぜかクセになって、ついお惣菜そうざい屋で買ってしまう。
 それはともかくとして、日本の歴史を考える場合にも、全体を統合したものとしてでなく、東と西に二分して考える方がよいというのは、網野善彦氏によって提示された説だが、恐らくそれは適切なものであろう。東京にいると、東北は身近だが、九州というと非常に遠いところのように感じられる。しかし、京都にいると、九州の方はすぐにでも行けそうで親しみが持てるが、東北というと別世界のようで、イメージがつかみにくい。
 ひと頃ころ、「さまざまな日本」とか「多様な日本」というようなフレーズがはやったことがある。確かに統一体としての「日本」の意識は、近代の国民国家の中で形成されたもので、それまでは「国」と言えば、まずはそれぞれの藩の範囲であって、その中で生活が営まれていた。とりわけ東西の差は、文化の性格全体に関かかわるほど大きな違いがある。


 仏教の場合も、今日、当たり前のように「日本仏教」とか、「日本仏教史」とかいう言い方がなされ、僕自身、そういうタイトルで本を書いたり、講義をしてきた。しかし、これもそれほど常識的なことではない。もちろん宗派に細分化されているということもあるが、地域差も無視できない。東北の仏教と九州の仏教ではその性格はかなり異なる。東北には、イタコやおしらさまなど、独特の信仰が展開して、中央の仏教の正統的な教理によって統制しきれない民衆の息づきがある。他方、九州、とりわけ北九州の仏教は大陸との関係が密であったから、ある面では中央以上に先進的だった。
 中世仏教に関して、顕密体制論という理論がひと頃大きな影響を与えた。顕教(密教以外)と密教を統合した体制的な仏教が、中世に大きな勢力を持っていたというものである。この理論の支持者は関西の研究者に多く、それにたいして、完投の研究者は比較的距離を取っていた。僕自身、その説に刺激を受けながらも、納得できないものを感じていた。
 東京にいると、寺院など陰に隠れて、文化の中核から外れている。時代を遡さかのぼっても、寺院が政治、経済を動かす中心的な支配的な勢力だったとは考えにくい。ところが、京都に来て、巨大な寺院が軒を並べ、今日でも、政治、経済的にかなりの力を持っているのを見ると、顕密体制というのが実感として分かり、中世もそうだったのだろうと納得がいく。客観的に見える歴史理論でも、どの地域に立脚するかで大きな違いが出てくるのだ。

伝統仏教と自由仏教 双方の長所結べば本領 [下]

 東京は何といってもあまりに巨大すぎる。どこも人に溢あふれ、繁華街では右往左往するばかりで、疲れてしまう。人の歩く速度が速く、街を歩くのにも緊張する。地下鉄は地下深くもぐり、ちょっとこわい。郊外の住宅地が延々と続き、毎日膨大な人口が都心との間を往復する。
 しかし、東京と京都でどちらが住みやすいかというと、生活上の便利さでは、東京のほうがよい。僕は23区のはずれに住んでいたので、かなり下町的で、狭い範囲で生活の用が足りた。スーパーやコンビニ、飲食店がすぐ近くにあり、公立の図書館も充実している。東京は若い人の街のように思われがちだが、じつは年寄りにもかなり優しい。バリアフリーが行き届き、公共の場所はエレベーターやエスカレーターが必ずあるし、バスもほとんどノンステップになっている。
 それに対して、京都の中心部に住むと、生活面では便利とはいえない。古い商店街は次第にすたれつつあって、生活用品がすべて揃そろうわけではなく、手頃てごろなスーパーも少ない。私鉄の駅にはエスカレーターなどないところもあり、足の悪い人は出歩きにくい。公共施設も手近に少ない。
 それでも、京都は何といってものんびりしている。観光シーズンはともかく、ふだんは寂れた中都市くらいの感じで、多少の周辺への発展はあるものの、中心地区は隅から隅までバスや自転車で移動が可能な範囲に収まっている。
 その枠は、長い歴史の中で発展してきた地域と、それほどずれるものではない。その中で、神仏が今でも生きている。大寺院はもちろん、街の角ごとにお地蔵様を祀まつる祠ほこらが作られ、衰えてきているとはいうものの、夏の終わりには町内会ごとに地蔵盆が行われる。誇りを持って伝統が頑固に守られている。そうした雰囲気はとても好きだ。


 けれども他方、あまりに神仏にどっぷり浸かりすぎている感じもしないではない。どこへ行っても寺社だらけで、その呪縛じゅばくにかんじがらめにされてるようだ。僕は天邪鬼あまのじゃくだから、もし最初から京都にいたら、かえって仏教に反発して、まったく違うことを研究していたかもしれない。今でも、ときどき東京に出ることで、精神的なバランスを取っているという面がある。
 東京はというと、最先端の現代の状況の中に歴史が埋もれてしまっている。もちろん東京にも古い歴史があり、とりわけ江戸の繁栄は世界に冠たるものであった。今でもその痕跡は至る所に残り、伝統を伝えようという努力もなされている。しかし、あまりに変わり方が早く、また首都圏が広範囲に広がってしまったので、「東京」をうまく「江戸」と重ねることができるのは、浅草など一部の地区に限られる。伝統をどんどん脱ぎ捨て、因習に捉とらわれることなく、自由に新しい文化が創造されるのが、東京の利点だ。
 だから、東京には決して寺社が少ないわけではないが、それらが文化の中心になっているとはとても言えない。仏教や、あるいはもっと広く宗教は、いわば添え物的な存在でしかない。東京のお盆は7月だが、各地の8月のお盆の濃厚さに較くらべると、ほとんど実感がない。檀家制度の崩壊が進み、宗教を介しない直葬と言われる簡略な葬儀形式の割合が急速に高くなっている。


 もっとも、それだから仏教やその他の宗教が無意味化しているかというと、必ずしもそうも言えない。精神的な困難を抱えて、救いを求めている人の割合は、おそらく他の地域よりも東京の方がはるかに大きいであろう。宗教は本来、そういうところでこそもっとも大きな役割を果たすことができるのではないか。形式ではなく、実質が問われることになる。
 一部の寺院や僧侶の方は、そうした状況の中で、新しい仏教の形を実験している。仏教カフェとか、寺院でのコンサートなどを通して、仏教の魅力を伝えようとしている。僕自身、東京で暗中模索する中で、既存の伝統など知らずに仏教に出会い、勉強を始めた。仏教はいわば異文化のように新鮮に受け止められた。そこで、それだけ自由に自分なりの解釈を押し進めることが可能だった。今でも形式的な仏教儀礼はあまり好きになれない。
 伝統的な京都型の仏教と、伝統から自由な東京型の仏教と、どちらがよいというわけでもない。折衷的かもしれないが、その両方の要素のどちらもが必要だろう。それらを結び合わせることができてはじめて、仏教は新しい時代に定着して、本当の力を発揮することができるのではないだろうか。

すえき・ふみひこ 1949年、山梨県生まれ。東京大大学院人文科学研究科博士課程修了。東京大教授を経て、現在、国際日本文化研究センター教授。専門は仏教学、日本思想史。著書に『日本宗教史』(岩波新書)『仏典をよむ』(新潮社)『増補日蓮入門』(ちくま学芸文庫)など多数。