中年になって気づくこと
高橋 祥友 たかはし・よしとも  2010年3月6日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
知足 物欲忘れさす南の島の心 [上]

 五十代も半ばを過ぎ、子どもの頃ころに暗記させられた諺ことわざ、故事成語、百人一首などが、ふとしたきっかけで記憶に蘇よみがえることがある。
 当時は意味がまるでわからなかったのに、人生も折り返し点をはるかに過ぎた今となると、その意味がありありと迫ってくる。時には、教えてくれた人やその場面まで思い出す。頭が柔らかいうちに先人の知恵をともかく暗記させておくというのもけっして意味のないことではないように思われる。
 さて、一昔以上の前のことになるが、世界保健機関(WHO)の精神保健のコンサルタントとしてミクロネシア連邦を訪問したことがある。
 日本からまずグアムに飛び、そこで飛行機を乗り換えると数時間でミクロネシア連邦の首都に到着した。
 単純な感染症や飢餓で多くの人が死亡する発展途上国では精神保健に対してまで関心を払う余裕はない。社会・経済的に安定してきてようやくこの領域に対する社会の関心が高まってくるというのが実状である。
 予算もマンパワーも不足している中で、それでも地元のスタッフたちは懸命に働いていた。そのうちのひとりで私とほぼ同世代のソーシャルワーカーとはとても気が合った。


 ある日、彼が
「週末に何か予定はありますか?」
と私に尋ねてきた。報告書をまとめるくらいで、とくに予定はないと答えると、
「それでは、土曜日に一緒に釣りに行きましょう」
と誘ってくれた。
 土曜日の朝に浜に出ると、手漕ぎのボートが一艘そう浮かんでいた。空と海が一体になったような澄み切った青さの中を、私たちはボートに乗り込んで、沖に出た。なんという名前の魚か知らないが1~2時間で両手でも抱えきれないほど釣り上げた。
 成果に満足した私たちは大きなバケツにいっぱいの魚を一緒に抱えて、丘の上の彼の自宅に向かって汗をかきながら登っていった。
 その途中で、知人に会うと、彼は挨拶あいさつを交わして、魚を一匹、一匹と手渡していく。クリスマス前だったので、お年寄りの姿を目にすると、魚だけではなく、一ドル札をまるでお年玉のように手渡して、「メリークリスマス」と声をかけていた。お年寄りたちも当然のように笑顔で挨拶を返して、魚と紙幣を受け取る。地域社会の温かい絆きずながいまだに保たれているのを目の当たりにした想おもいだった。
 さて、ようやく丘の上にある彼の自宅に着いた頃には、バケツの中の魚は四匹に減ってしまっていた。
「あんなにたくさん釣ったのに」
と私が残念そうに話しかけると、彼は
「我が家には、今日のゲストの君と、妻と三歳の息子と、私だけだ。四匹あれば十分だよ。足りなければ、また明日の日曜日に釣りに出かければいいさ」
という答えが返ってきた。


 まさに、彼の言う通りだ。私は自分の物欲をごく当たり前のことと感じていたのに赤面してしまった。その時、ふと「知足」という言葉が心に浮かんだ。老子の「足るを知る者は富む」という言葉を習ったのは私が何歳のことだったろうか。
 現代に生きる私たちは何かを手に入れると、さらにそれ以上を手に入れようとする。あるいは、手に入れたものを失うことを必要以上に恐れている。
 今、自分の手の中にあるもの、あるいは、今、ここで必要としているものだけではなかなか満足ができない。ミクロネシアでの出来事は、不要なものまで脅迫的に手に入れようとすることをごく当然と考えている自分に気づかせてくれた。
 それから十数年たった今でも、魚屋に並んでいるたくさんの魚を見ると、ミクロネシアの友人のその時の姿、表情、話ぶり、青い海と空がありありと眼に浮かんでくる。
 さて、「知足」が私の身につくようになるまで、まだかなりの時間が必要なのだろうか。私の人生に残された時間はもうそれほどないように思うのだが。

グッド・ルーザー(潔い敗者) 負けたときも正々堂々と [下]

 今年は4年に一度の冬期オリンピックの年にあたり、この話題で盛り上がった。世界最高の技を見ることができるというのは、いくつになっても胸がときめく。さて、五十代半ばまで生きてくると、オリンピックも何度か見たが、私には目に焼き付いている光景がある。
 1998年に長野で開催された冬期オリンピックの団体ジャンプ競技だ。前回のリレハンメル大会では、日本チームの優勝が確実視されていたものの、最後の一人が失速し、残念なことに二位に終わってしまった。
 そして迎えた長野大会。直前まで日本チームは絶好調で、今度こそは念願の金メダル獲得だとの期待が全国を包みこんでいた。
 一回目の試技が終わり、予想に反して日本チームは四位だった。そして、不運にも、雪風が強まってきて、試合が中断された。そのまま試合が中止されることも十分に予想された。日本選手と共に多くの観客が天候の回復を祈った。
 ジャンプの場合、二回の試技の合計点で勝敗が決まるルールなので、もしも悪天候のために試合が中止になれば一回目の成績で順位が決定してしまう。
 多くの人びとが祈った。そして、幸い、天候は回復し、試合が再開された。
 岡部が、斎藤が、原田が、そして船木が最高のジャンプをみせて、日本チームが逆転優勝を果たした。シャンツェで見守った人びとばかりでなく、テレビで観戦していた多くの国民が歓喜した。選手たちが持っている力のすべてを出しきったことに私も心から祝福したものだ。


 さて、同時に、私の視線はほかのところに向けられていた。日本チームの優勝が確定した瞬間、二位になったドイツ選手が日本選手の元に駆け寄り、肩車をして祝福したのだ(私はこのようなシーンがあったと記憶しているのだが、その後、長野オリンピックの特集があるのを何度か見たが、このシーンは放映されない。ひょっとすると、私の思いこみかもしれない)。
 ただし、記者会見でドイツチームの選手が次のように語ったのは事実である。
 「私たちは最高のジャンプをしました。悔いはありません。しかし、日本チームのジャンプはそれ以上だった。彼らの優勝を心から祝福したいと思います」
 といった内容の賛辞を笑顔で述べたのだ。
 この言葉は本心からであったと私は思った。オリンピックは世界最高水準の選手たちが参加する大会である。金メダル以外は、銀も銅もメダルなしと一緒だと言った選手がいたが、優勝するか二位になるかは努力や能力だけで決まるものではないと私は考える。天候や運さえも味方につけてはじめて勝者の側にまわれるのだろう。
 勝利を誇るのは当然であるが、敗北を恥じることなどまったくない。
 スポーツは勝つこともあれば、負けることもあるということを教えてくれる最高の場だと思う。しかし、この国は、あまりにも勝つことばかりを重視し過ぎてきたのではないだろうかと、私はいつも考えてしまう。


 英語にはグッド・ルーザー(good loser)という言葉がある。「潔い敗者」とでも訳すべきだろうか。試合に敗れたとしても、これまで懸命に努力してきたことに自信を持ち、潔い態度で勝者を讃たたえるといった態度を指している。
 全戦全勝で人生を終えることができる人などいない。これだけは現実である。人生はまさに「禍福は糾あざなえる縄の如し」という諺ことわざの通りだ。よいことだけでもなければ、悪いことだけでもない。
 スポーツというのは、負けたときにいかに正々堂々と振る舞えるようになるかを子どもたちに教える絶好の場であると私は考えている。しかし、いまだに、負けるとあたりかまわず涙するといったシーンに多くの日本人が感動する。
 高校野球を観戦していると、敗れたチームの選手たちが泣きながら、甲子園の土を集めているといった光景が今でも繰り返しテレビの画面に映し出される。
 努力を重ねてトップを狙い、勝敗にこだわるのもよいかもしれない。しかし、全力を尽くして戦った結果について、相手もそして自分も讃えることができるような心理構造を備えてほしい。これは一生における心のバランスを保つことの基礎になると私は考えている。

たかはし・よしとも 1953年、東京生まれ。金沢大医学部卒。精神科医。2002年から防衛医科大学校・防衛医学研究センター教授。著書に「自殺予防」(岩波新書)「自殺の心理学」(講談社現代新書)など多数。