商業化している葬式
碑文谷 創 ひもんや・はじめ 2010年11月20日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
それは誰の責任か
高齢者 支えきれない [上]

 百歳以上の高齢者の行方不明者が今わかっているだけで二百人以上、七十五歳以上となると一万六千人以上となるという数字がある。最終調査結果が発表されていないので、この数字は増えることがあっても減ることはないであろう。
 今身元不明者の死である行旅死亡人が年間約一千人という。この数字の中に行方不明者がどの程度含まれているかは謎のままである。
 一月と四月に放映されたNHK「無縁社会」によるならば、これは高齢者とは限らないが、行旅死亡人以外の引き取り手のない遺体が年間約三万一千人いたという。
 身元がわかるならばなぜ身内が引き取らないのか、という疑問に思う人も要るだろう。だが多くの場合、その縁者は甥おいや姪めいで、血縁ではあるが一緒に生活をしていない、他人同様の関係者が多かったようだ。中には実の親の遺体引き取りを拒否した例もあるが。


 以前高齢者施設の人の話を聴いたことがある。その人によれば、家族がいてもまったく見舞われない人が四分の一程度はいるという。危篤となり家族に連絡しても家族は来ない。死亡したと連絡すると「そちらで葬式をしてもらえないのですか」と言われた、という。
 家族とすれば、親を施設に入れることで、心理的に親との縁を切ったのであろう。心理的な「親殺し」である。であるから、いまさら親が死んだといわれても驚くべきことではない。死者となった親を「仕方なく」引き取ったとしても、家族には死体の始末、つまりは火葬だけの葬式(直葬)を淡々と済ませることになるであろう。火葬場で遺骨引き取りを拒否する例も少ないが漸増ぜんぞうしている。
 もちろんこうした家族の断絶には子にだけ責任があるわけではないだろう。個別事情はうかがえないが、こうした高齢期の家族解体の例はもはや珍しいものではない。
 こうして「仕方なく」直葬された死者は、私が推定するに遺体の引き取り手がいない死者の約三倍、およそ十万人程度にはなるのではないか。
 平成二十一年国民生活基礎調査によれば、単独世帯は24.9%、ほぼ四人に一人の割合である。六十五歳以上の者のいる世帯は全世帯の41.9%でその半数近い52.8%が高齢者のみの世帯、高齢者のほぼ四人に一人である23%が単独世帯である。
 総人口に占める六十五歳以上人口の割合である高齢化率が平成二十一年には22.7%である。日本はすでに「高齢化社会」ではなく「超高齢社会」である。年々高齢化は進み、七十五歳以上人口が総人口に占める割合は10.8%、実数にして一千三百七十一万人。


「長寿」というと聞こえがいいが、この大量の高齢者を家族も社会も十分には支えられていない状況にある。
 近年「高齢者の死」が軽く扱われるようになった、と嘆かれるが、葬式が軽くなっただけではない。認知症や一人では生活できない高齢者を介護保険でもってしても十分に支えられなくなってしまっている。超高齢者の生を支えられずに葬式だけを立派にやれというほうが無理だろう。
 夫婦での老老介護は珍しくなく、親子でも七十歳を過ぎた娘が九十歳を過ぎた親の介護をし、どちらが先に逝くか心配している例も少なくない。
 平成七(1995)年以降顕著になった葬式の小型化、個人化の背景には景気の悪化だけではない、高齢化の問題が厳然としてある。
 八十歳以上の死亡者が全死亡者の半数を超えた。これは「大往生」と言われるべき死が増えたのではない。元気な高齢者もいるが、認知症、一人では動くことすらできない高齢者が全体の四分の三以上を占める。自分が将来どこに属するかは本人の意思や心掛けで決まるわけではない。
 「他人に迷惑かけずに一人で死ぬ」という死生観を唱える人が多い。その心掛けは立派だが、いざ実際には、己の終末期を自己決定したり、家族はもとより他人の世話にならない、と言い切れる人間はいない。

消費者となった遺族
心通わす関係築こう [下]

 現代日本の葬式は、一部地方ではまだ残っているものの、かつての血縁共同体や地域共同体の手から離れ、個人化して、実際の仕事は葬祭業者の手に委ねられるようになっている。これを「商業主義」と批判する人がいる。今遺族の側にいるのは、多くの場合、初めて会った葬祭業者である。
 日本の仏教式葬式は八世紀頃からだが、民衆の葬式は十五世紀の室町後期の戦国時代から広まった。
 もちろん当時は土葬が多く、火葬と言っても野焼きのようなものであった。「野辺の送り」と言われる葬列が墓地または焼き場まで続いた。
 話題になった映画「おくりびと」で本木雅弘扮ふんする納棺師が美しい所作で遺体を整え、化粧した。あのような美しい遺体を整える作業が遺族や隣組の手で行われていたというのは夢想である。
 死後硬直がすでに始まった遺体を前に湯灌ゆかんを行う者たちは悪戦苦闘し、中には血や体液があちこちに飛び散った例も少なくない。


 昔、自宅で死を迎えた場合には、本人が口から食せなくなった時、本人も周囲も死を覚悟したという。
 現在の遺体は終末医療で栄養分を点滴で過剰投与されているものだから、枯れるが如ごとき遺体とは異なり、腐敗しやすい。
 かつては僧侶も地域共同体と共に遺族の傍らにいて葬式を差配したものである。死者が出たら近所の人が二人一組でまず檀那だんな寺の僧侶に知らせ、僧侶が駆けつけて枕経まくらぎょうをあげた。そうして遺族、隣組の関係者を集めて葬式の段取りを組んだ。僧侶は終始、死者や遺族に寄り添って葬式を行った。
 今、自宅で死亡するのは12%程度、自宅で葬式をするのは一割を切った。二〇〇〇年以降の顕著な傾向は、遺体が自宅に戻らなくなったことである。斎場(葬儀会館)や火葬場の保冷庫に直行する。それとともに死亡直後の大切な儀礼である枕経がなくなる傾向にある。斎場で葬儀だけではなく追悼儀礼である初七日まで行い、火葬場まで付き添わない僧侶も少なくない。
 江戸時代から寺は「葬式仏教」と揶揄やゆされ続けてきた。しかし、そのお寺に死者供養を託したのは檀家だんかとなった民衆であった。民衆からすれば民衆もまたホトケ(仏)となり、浄土に赴くことを可能とした仏教に人格を認められた想おもい、救いを感じたのであろう。寺檀じだん関係は江戸中期に寺請てらうけ制度で法制度化され、明治維新の一時期、仏神分離による廃仏毀釈きしゃくで迫害されたが明治三十一年の明治民法による家制度で関係が強化された。
 寺と檀家(檀信徒、門徒)の関係は、法施と言われる寺の活動を信徒がお金や労働による財施で支えるという関係にある。「おらが寺」と言うように、寺を檀家が支えるのが当然とされた。
 しかしそれが崩れたのが戦後の高度経済成長期である。檀信徒の都会への流出、都会でも移動が激しく、寺檀関係が弱くなった。都会に出た地方出身者の多くが宗教的浮動層を形成するようになった。
 宗教的浮動層が選んだ道は都会の寺の檀信徒となることではなく、葬式や納骨や法事だけを一時的に頼む「消費者」であり、いちいちの料金化、明朗会計を望んだ。
 葬式における仏事は宗教行為なのか、それとも対価を伴うサービスなのか、大きな分かれ目にきている。


 大手スーパーであるイオンが葬儀斡旋あっせん業に参入、僧侶の布施目安を提示したことで全日本仏教会と激突、イオンは目安表を撤去したが、目安表示を歓迎する一般の人が多かった。
 ということは、いくら寺が布施で宗教行為だと言っても、現実には葬式費用の一部のサービスと理解する人が多いということである。
 葬式で宗教者の関かかわりが薄れたことは、一つの不幸である。本来は大切な家族との死別という事態にあって遺族は精神的な助けを得られず孤立しているからである。
 今の葬式では、僧侶も引き、遺族も僧侶から引き、その関係は非常にわかり辛づらいものとなっている。遺族は、宗教者に儀礼形式を整えてもらうことだけを期待する。それでは何かもったいない。
 僧侶(宗教者)は積極的に遺族に近づき、遺族の声、想いに耳を傾ける。遺族も不安やその他遠慮せず僧侶に訊く 。 葬祭業者も両者の間を分けるのではなく、両者の信頼関係づくりを支援する。そして三者とも死者を第一に考える。こういう関係づくりが今こそ求められる。

ひもんや・はじめ 1946年、岩手県生まれ。東京神学大大学院修士課程中退。雑誌『SOGI』編集長。著書に『「お葬式」はなぜするの?』(講談+α文庫)『死に方を忘れた日本人』(大東出版社)『新・お葬式の作法』(平凡社新書)ほか。