ビハーラ 往生のすすめ
田代 俊孝 たしろ・しゅんこう 2010年12月4日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
生も死も不可思議な縁起 [上]

 末期患者や高齢者と仏教の教えを学んで生老病死を受け止めていく活動、いわゆる仏教ホスピスを「ビハーラ」と名づけて活動しはじめて、はや二十五年近くがたつ。最初の永岡西病院(新潟県)、城陽市あそかビハーラクリニック(京都府)など各地にいくつかビハーラ施設、つまり、仏間があり、僧侶もいる緩和ケア病棟や高齢者施設もできてきた。また、こういった活動に関心を持つ医療関係者の組織であるビハーラ医療団(事務局・同朋大学田代研究室内)の会員も次第に数が増えて来た。
 しかし、一方では緩和ケア病棟そのものを、「あそこは死に場所だ」「あそこへ入ったらおしまいだ」といって敬遠する患者がいるのも事実である。死を遠ざけ、生はプラス、死はマイナスという価値観でおれば当然である。
 だが、死は必然である。ある患者のアンケートにあった「延命・救命も大事だが、死んでゆく人をよりよく送るのも医療の役目だと思う」というコメントは死に直面した多くの人の声である。


 老いや病そして死をどう受け入れるか。これは人類の原初からの課題である。このことを直接の課題にしてきたのが仏教である。特に、縁起の思想や中道の考えはそれに応える普遍思想である。このことに着眼して、すでに、アメリカでは、日本のビハーラ運動よりも早く1980年ごろカリフォルニアにカミングホームホスピスやマイトリーホスピスなどの仏教ホスピスがつくられていた。
 「科学」はすべてを実在するモノとして観る。そして、それを分析し、数値化した仮説を立て実証して還元する。したがって、人間はヒトであり、モノとして存在することになり、有無がはっきりする。
 それに対し仏教は、すべての存在は、「縁起」による、つまり関係性の中に存在すると考える。一般に現代人は、私の命は私のもので、私は今ここにいるという。では本当に自分の命は自分のものか。自分の命と言うのなら自分の所有物であるから思い通りになるはずである。では、あなたは自分で思い通りに生まれてきたのか。そして、思い通りに生き、思い通りに上手に死んでいけるのか。思い通りにならない人生を思い通りにしようとして、また思い通りにならない死を思い通りにしようとして苦しんでいるのではないだろうか。
 思えば、父があり、母があり、祖父があり、祖母があり、連綿と続くご縁の連続によって、思いがけず、私はここに生まれてきたのであり、三歳か四歳になり、知恵がついてから自分のいのちと言っているにすぎないのではないか。死もまた、同じで思いがけず死んでいくのである。読者とのこの出遇であいも思いがけない出遇いである。


 「思いがけない」とは、思いを超えているのである。思いを超えたこと、それは思議(考え)が及ばないので「不可思議」というのである。思いを超えた縁起の法の中に私は生かされているのである。だから、私の力で有無を主張すればするほど苦しまねばならない。ご縁がなければ私は存在しないのである。有無のとらわれを離れたとき、ホッとでき安らげるのである。
 生はプラス、死はマイナス、長生きがよくて、若死にはよくないなどというものさしは誰が決めたのだろうか。それにとらわれればとらわれるほど苦しまねばならない。いのちをモノとして観たり、数値化すればするほど苦しまねばならない。
 「空」を悟った孫悟空は三界をへめぐりまわっても仏様の大きな手の中だったと気づいた。その大きな手の中で有無にとらわれ、独り相撲をとって苦しんでいたのである。生もなく、死もないそれが空である。賢い現代人ほど苦しまねばならないのだろうか。

老いも病も当たり前 [下]

 思い通りにならないことを思い通りにしようと思うと苦しまねばならない。生も死も思いを超えている。かつて岡山大学の教授をしていて、大腸がんでなくなった阿部幸子さんがその手記で、
 「癌がんになる前は、自分の力で生きているのだと自信過剰な私であった。人生の困難に直面しても、脱出路を見出みいだすこともできたし、様々さまざまの状況に柔軟に対応する能力もあると思っていた。(略)癌に直面した私は、それまでただひたすら己の道を歩き続けてきたが立ち止まらざるをえなかった。まず、第一に浮かんだ疑問はこれまでの人生を本当に自分だけの力で生きてきたかどうかということであった。"他力によって生かされて来たのだ"と。なぜ今までこんな単純な真理に目をとじていたのだろうか。気づくのが遅すぎたと思うと同時に、気づかぬまま死ぬよりよかった。やっとの思いで終バスに乗車できたのである」(阿部幸子著『生命を見つめる―進行癌の患者として』1991年、探究社)と、述べている。
 本願の終バスに乗車できた阿部さんは、六十年の人生を「これでよかった」と受け止めている。
 ものさしにとらわれている者は何歳まで生きても「こんなはずではなかった。もっと生きたかった」といわねばならない。常でないものを常だと思うところに苦しみがある。死すべき身であるという事実によって「思い通りになる」という自我が砕かれる。その体験が「生死を超える」ということである。私に限って、老いない、病にならない、死なないという虚妄が、無常なる事実によって砕かれる。そこに、老いてあたりまえ、死んであたりまえと、「あるがまま」をあるがままに受け入れられる境地が開かれる。まさに「我」の破れた無我の世界である。これを親鸞は「自然法爾じねんほうに」という。


 しかし、読者は誤解してはいけない、何でも自分の思い通りに自然体でおればよいということではない。それは「あるがまま」ではなく、「わがまま」か「気まま」である。無我ではない。
 仏教の救いとは、癌が治ることではない。また、死なない体になることでもない。癌を癌のままで「これでよし」と受け入れられるようにこちらが転じていくことである。死に逝く身のままで「これでよし」と助かっていくことである。「癌は宝です」(鈴木章子著『癌告知のあとで』1989年、探究社)と受け取って逝った人もいる。
 ビハーラ活動で御縁ごえんのあったある患者からいただいた手紙に、
「私は自身が癌の手術を受け、父を看取みとり、亡くなった後、老母と二人で生活をしておりますが、この十年間、末期の癌に対する医療のこと、高齢化社会に対応する行政のあり方などに、私なりに考えさせられ、悩みもしました。そして、父の死を御縁に浄土真宗と巡りあい、以前とは比べられないほどの心の落ち着きを得た日々を過ごさせて頂いております。死の恐れ、生きてゆく上での経済的な悩み、人間関係の難しさに悩む日々は同じですが、何かしいて言葉にあらわすならば、価値観とでも申しましょうか―が変わることにより、苦しい中にも、ある種の心の安らぎを得させていただけるようになりました」
と書かれていた。価値観が変わることにより事実が受け入れられたのである。


 老いや病もまたしかり、鏡に映る自身の白髪や皺しわが、あるいは病んでいる身の事実が自我を砕いてくれる。老いて当たり前、病んで当たり前、死んで当たり前である。老いるときは老いるがよかろう、病むときは病むがよかろう、死ぬるときは死ぬるがよかろう。良寛の言うごとく、これが災難を逃れる妙法である。老病死に勝とうとすればするほど、向こうの刃は鋭く刺さってくる。
 このような自覚を「今」、つまり死ぬ時、あるいは死んでからではなく、たった今するのである。だから蓮如は「仏法のことはいそげいそげ」(『蓮如上人御一代記聞書』)という。死ぬのがいやなら生まれてこなければよかったのである。しかし、あなたは手遅れである。あなたが死を迎える時に「こんなはずではなかった」と不平不満を言って死ぬのか。「これでよかった」と言って「満足」して死ぬのか。急がぬと時間がない。

たしろ・しゅんこう 1952年滋賀県生まれ。80年大谷大大学院博士後期過程満期退学。同朋大助教授、カリフォルニア州立大客員研究員などを経て現在、同朋大大学院教授。同文学研究科長。名古屋大医学部非常勤講師、同生命倫理委員。博士(文学)。三重県行順寺住職。日本ペンクラブ会員。著書に『増補親鸞の生と死』『仏教とビハーラ運動』『ビハーラ往生のすすめ』『人間を観る―科学の向こうにあるもの―』(法蔵館)『市民のためのビハーラ』全5巻(同朋舎出版)など多数。