『アポトーシス』という仕組み
池内 了 いけうち・りょう 2010年10月6日(土曜日)中日新聞「時のおもり」より
「死」あっての「生」 人体の絶妙さ

 夏の終わり頃ごろ、例年にない暑さのため少しボーっとしていたのかもしれない。給湯器からの熱い湯(98度)を左手に浴びてしまった。慌てて水で冷やし、病院へ駆けつけた。幸い手の甲の数カ所で皮が剥がれる程度の火傷だったので、二十日間ほど不自由な思いをしたが全治した。その間、傷跡が変化してゆく様を観察しているうちに、人体の仕組みの絶妙さに感動を覚えた。


 初め二日間ほどは、熱湯に触れた部分の細胞が壊死えしして(ネクローシス)痛々しく赤い肌をさらしていた。やがて、火傷をした周辺部の熱湯が能っていない部分の表皮が黒ずみ、手の甲の表皮全体に広がってきた。一週間くらい経つうちに、火傷した箇所かしょの近くから皮が剥がれ白い肌が顔を出した。そして十日も経つと、左手の甲の表皮がすっかり入れ替わってしまった。といっても、入れ替わらずに残っている部分、入れ替わって白い肌となった部分、熱湯が当たって赤いままの部分と、まだら状である。しかし、紫外線を浴びないよう手袋をしていたら、そのうちにまだらが消えてきた。熱湯を直じかに浴びた部分は少しひきつれたようになったが、無事完治したようである。


 私が興味を持ったのは、熱湯に触れていない部分の表皮までもが軌を一にして剥がれたことだ。どうやら、手の甲の表皮に「自殺せよ」との命令が下されたようなのである。これをアポトーシスというらしい。細胞が内側から得たさまざまな情報を総合的に判断して、自死装置を働かせる仕組みのことである。火傷によって損傷を受けた部分だけ修復するのでなく、表皮全体を入れ替えようとしているのだ。おそらく、表皮の部分的修復ではなく全体を入れ替える方が細胞を活かすことになると遺伝子が判断したのだろう。
 アポトーシスの例として、オタマジャクシの尻尾しっぽが消えて手足ができカエルに変身するとき、イモムシがサナギになりチョウへと姿を変えていくとき、最初グローブのようであった手から指が形成されるとき、などがある。生物は細胞を多めにつくって不要な部分をアポトーシスによって削っていくのだ。細胞の死があればこそ、新たな細胞の生が保証されていると言えるだろうか。
 他方、秋になれば木々は紅葉して葉を落とし、私たちの皮膚や内蔵の細胞もある一定の自巻が経つと死を迎えて新陳代謝するのもアポトーシスのおかげである。木々の葉の場合、日光が弱くなって光合成で栄養を蓄えるより、エネルギーを使う方が多くなると自死するよう指令が出される。皮膚や内蔵の細胞は分裂する数が決まっており、その寿命がくれば死を迎えることになる。つまり、アポトーシスは死を制御することによって生を継続することを可能にしているのだ。
 逆に、アポトーシスの仕組みが効かなくなったのががん細胞で、いつまでも細胞が生き続けようとするために腫瘍しゅようが増殖し、やがて本体まで殺してしまうことになる。部分の死がないことが全体の死につながっているのである(以上、田沼靖一『ヒトはどうして死ぬのか』幻冬舎新書を参考にした)。
 人間の欲望は限りなく、長寿への願望が強くなってアンチエイジングなどが流行している。それで良いのだろうか。細胞のように死を従容として受け入れることで次世代の生が全うできるのではないかと、思わぬ火傷によって死と生のつながりを思ったことであった。