現代日本人の死生観
島薗 進 しまぞの・すすむ 2010年8月21日(土曜日)中日新聞「人生のページ」より
来世信仰と「限りなき生命」
宗教問わずかなりが意識 [上]

 死の後にどうなるのか考えることがない人はまれかもしれない。人類の諸文化はこの問題についてさまざまな答えを提示してきた。核心的な問いは死後の生があると信じているかどうかということだ。これが人の死生観を分ける重要な指標となる。多くの宗教において死後の生への問いはもっとも重い問いの一つだった。
 死後、その人の霊魂は目に見えない世界で存続し続けるという考えは、古代から現代に至るまで広く見られる。死者のいる他界について多くの物語が語られてきた。日本では、今でもお盆には迎え火をたく家が少なくない。これは他界から帰ってきた死者の魂を家に迎え入れるための目印であり、歓迎の印でもあるようなものだろう。お盆の習俗では、死者がいる他界はこの世でたかれる火が見えるぐらい、近いところにあると考えられていることになる。
 今でも、日本の浄土真宗の檀家だんかでは、法事に訪れた僧侶が、室町時代に蓮如(1415~99年)がしたためた「白骨の御文おふみ(御文章ごぶんしょう)」を読み聞かせている。蓮如は切々と述べている。人生は幻のようなはかないもので、死はいつ襲ってくるかもわからない。自分の死は遠い先だろうなどと油断はできない。若い顔やからだが自慢のあなた自身もいつ死を迎え、白骨の身となるかもしれない。極楽往生(来世での成仏)のための信心をして阿弥陀あみだ仏のもとに行くのか、地獄に堕ちるのかの分かれ目がもうすぐそこまで来ている、と。


 このような来世信仰をもっている人は、今も少なくない。キリスト教、イスラム、仏教(特に浄土教)、民族宗教など、世界のさまざまな宗教伝統の中で、来世信仰は根強く生きている。確かに「私はキリスト教徒だが、天国というものがあるとは信じていない」という人や、「極楽往生というが、浄土はひとりひとりの心の中にあるものだ」と考えている浄土教信仰者もいる。しかし、文字通りの天国・地獄をイメージはしないものの、「死んだら神のみもとに行く」とか、「永遠の平安である仏の境地へ入っていく」といった表現であれば、十分受け入れられると考えているキリスト教徒や仏教徒は少なくない。仏教本来の教えに近い輪廻転生りんねてんしょうとなると、もっと受け入れやすいかもしれない。
 しかし、この世とは別の世界、別の生の実在を信じない人も多い。日本では「来世」の実在を信じると述べる人は少数派だ。2004年のある世論調査では、「来世は存在すると思いますか」という問いにイエスと答えるのは、日本人の15.9%にとどまる(石井研士『データブック現代日本人の宗教 増補改定版』新曜社)。では、死後の信仰をもたない人たちは、「死によってすべてが終わる」と考えているのだろうか。


 宗教学者の岸本英夫は、1948年に「死生観四態」という論文を発表しているが(『死を見つめる心―ガンとたたかった十年間』講談社)、そこでは「限りなき生命、滅びざる生命の把握」の様態として、1「肉体的生命の存続を希望するもの」、2「死後における生命の永存を信ずるもの」という死後の永生を信ずる二つの死生観以外に、3「自己の生命を、それに代る限りなき生命に托たくするもの」、4「現実の生活の中に永遠の生命を感得するもの」という二つの類型があげられている。死後の霊魂の実在や来世での永遠の生をそのまま信じるのではないが、<死を超える>世界、<不死なるものの>世界に参入するといった考え方や意識がありうるという立場からの類型論だ。<永遠の生命>とか<死を超える><不死なるもの>というのが何を意味するのかは微妙だが、おおよそこの考え方に賛成する日本人は少なくないのではないだろうか。

死者祭祀と「限りなき生命」
葬祭かげり 細る家族の絆 [中]

 『論語』には、弟子の子路が師である孔子に、「死者の霊に仕えるにはどうしたらよいか」と尋ねる一節がある。孔子は「生きている人のためにどのようにつくしたらよいかをまだ十分学んでもいないのに、死後の霊のために何かをしようなどと考えるのがよいことだろうか。死についてあれこれ考えるよりも、まずはこの世をしっかりと生きようではないか」と教えている。
 儒教の伝統はこのように現世主義的だが、儀礼を重んじ、とりわけ親孝行の延長として先祖のための儀礼を尊ぶという側面からも東アジア人の死生観に大きな影響を及ぼした。日本では徳川将軍権力の確立する17世紀以来、次第に儒教や神道の影響が強まる。それは現世主義的な思考を育てる一方で、死者や先祖のための儀礼を尊ぶ文化をも発展させた。いわゆる「葬式仏教」「葬祭仏教」だ。
 江戸時代から20世紀に至るまで葬祭仏教は日本人の生活に深く入り込み根づいて今日に至っている。たとえば、読売新聞の2005年の世論調査では、「盆や彼岸などにお墓参りをする」と答える人が79.1%を数える。お墓参りをする人といっても、「死後の霊魂が実在する」と信じているかどうか分からない。しかし、伝統宗教的な儀礼を通して死者の慰霊や先祖への供養をするという行為は遵守じゅんしゅし続けてきたのだった。


 伝統宗教的な儀礼が続いてきた大きな要因は、家族・親族の絆きずなが堅固に維持されてきたことにある。葬式や先祖供養を行うことは家族の絆を確認し、死を超え、世代を超えて一族の生命が持続・発展していくことを願うこととつながっていた。これは岸本英夫の「死生観四態」の類型論では「3・自己の生命を、それに代る限りなき生命に托たくするもの」に属する。世代を超えて家族の生命が続いていくことに、「限りなき生命」を見ているものだ。
 しかし、20世紀の終わり頃ごろから、日本の伝統仏教が担ってきた葬祭儀礼にかげりが見えて来た。その現れの一つは、葬式が終わったら当然のように家族のはかにはいるというのとは異なる形態の葬送やお墓の形態が目立つようになったことだ。1991年には、葬送の自由をすすめる会」が発足し、海や山に散骨する「自然葬」を広める運動を始めている。また、個々人の遺灰を特定の樹木の根元にまく樹木葬、家族ではない人々が共同で入る合祀ごうし墓(永代供養墓)などが各地で次々と始められ、受け入れられるようになってきた。
 2007年に「千の風になって」 (新井満訳詞)という歌が流行したことは、こうした傾向と関連づけることができる。この歌は、「私のお墓の前で/泣かないでください/そこに私はいません/眠ってなんかいません」と始まる。死者が生者に語りかけるのだが、「千の風に/千の風になって/あの大きな空を/吹きわたっています」という。死者は葬祭仏教が尊んできたような狭苦しい家族の墓の中にいるのではなく、広い世界を自由に、かつ孤独に飛び回っているというイメージが広がる。


 死者と生者の絆は、一族という世代を超えたつながりの中に、あるいはこの世の家族の堅固な秩序の中にどっしりと座を占めているのではなく、個と個の深く親密ではあるけれども孤立した関係としてかろうじて存在している。この歌はお墓を軽んじる考え方に通じるので、好ましくないという議論が日本の仏教界からわきあがったが、まんざら的外れでもないようだ。「限りなき命」を世代を超えた家族・親族の血のつながりの中に感じ取るという死生観の様式は、日本では仏教の葬儀や先祖供養と結びついていたのだが、その威力が薄れて来ているようなのだ。
 この歌は何十年も前に、アメリカの主婦が友達のために作った歌だと言われている。その友達はドイツに遺のこしてきた母の死に立ち会えなかったので、この歌によってとても慰められたようだ。だが、死者と生者が親しく語り合うというのはキリスト教の教義とは合致しない。宗教史的に見ると、この歌は死者との交流の表現という点でアジアで広く見られるアニミズム文化に近い。しかし、それが孤独な個と個の関係であるという点では、西洋が築いてきた近代の個人主義文化に通じるところもある。

『限りなき命』『不死なるもの』を求めて
宗教離れ帰るところ探る [下]

 現代人は伝統宗教の死生観や儀礼から離れてきているということを述べてきた。近代化が進むと科学や合理主義が考え方の基礎となり、死は単に生命の終わりであり、死後にその人自身の生命が何らかの仕方で生き続けることなどということはありえないという考え方が広まる。他方、伝統的な葬儀や先祖祭祀さいしに意義を見いだせない人も増えてくる。
 岸本英夫の「死生観四態」では、「3・自己の生命を、それに代る限りなき生命に托たくするもの」というものがあった。これはいくつかの形態が考えられる。自らが生みだした組織や作品や業績に「限りなき命」を見いだそうとする人もいるだろう。戦争中は国家や民族の繁栄に永遠のものを見ようとする傾向が強かった。中でも根強いと思われてきたのは、家族・一族の存続に「不死なるもの」を感じ取る様式だ。葬祭仏教と結びついたが、仏教以前の先祖崇敬に連なるものと論じられてきた。だが、それほどに根強かった日本人の伝統的な死生観や儀礼がぐらついてきている。では、「限りなき命」「不死なるもの」に身を寄せることはもはや不可能なのか。現代日本で死生観や死生学への関心が高まっている大きな理由の一つがここにある。


 哲学者や文学者の死生観が多いに注目されるのもその一例だ。たとえば、作家の高見順(1907~65年)はがんの病床で詩を創作することによって、独自の死生観を表現し、死を迎える日々の自己を支えていった。高見順の『死の淵ふちより』は多くの人々の心を揺さぶった詩集だ。たとえば、「帰る旅」という作品には次のような詩句が語られている。
 「この旅は/自然へ帰る旅である/帰るところのある旅だから/楽しくなくてはならないのだ……/大地へ帰る死を悲しんではいけない/肉体とともに精神も/わが家へ帰れるのである/ともすれば悲しみがちだった精神も/おだやかに地下で眠れるのである」
 この詩は、岸本がいう「限りなき生命、滅びざる生命の把握」を示したものといえるだろうか。「大地へ帰る」とか「地下で眠る」と述べられているが、これは伝統宗教的な死生観から何かを借りてきている。伝統宗教の死生観をそのままに受け取ろうというのではないが、この世の当たり前の現実を超えた何かを指し示し、いわば手作りの死生観を生み出し、「限りなき生命、滅びざる生命の把握」に近づこうとしているのだ。
 同じ詩集の「電車の窓の外は」という作品は、死に直面することでこの世の「いのち」が永遠の輝きを帯びて感じ取られる瞬間を描き出している。「電車の窓の外は/光にみち/喜びにみち/いきいきといきづいている/この世ともうお別れかとおもうと/見なれた景色が/急に新鮮に見えてきた/この世が/人間も自然も/幸福にみちみちている/だのに私は死なねばならぬ/だのにこの世は実にしあわせそうだ/それが私の心を悲しませないで/かえって私の悲しみを慰めてくれる/私の胸に感動があふれ/胸がつまって涙がでそうになる」
 高見順の『死の淵より』は、なお「限りなき命」「不死なるもの」を探ろうとする現代人に力強い示唆を与えてきた。それは、死を見つめつつ仏の無限の慈悲を仰ごうとする一葬儀業者を描いた青木新門さんの『納棺のうかん夫日記』に、さらに『納棺夫日記』にインスピレーションを得た映画「おくりびと」にも影響を及ぼしている。


「おくりびと」では、妻が実家に帰ってしまって沈みがちな納棺師生活を続ける主人公、大悟と火葬場の職員の平田正吉が橋の上から川面を見つめながら語り合う場面がある。上流へと遡さかのぼろうとする何匹かの魚の横を同種の魚の死体が下ってゆく。それを見つめながら、大悟が言う。「何か切ないですよね。死ぬために上るなんて。どうせ死ぬなら何もあんなに苦しまなくても」。正吉が答える。「帰りてえんでしょうの。生まれ故郷に」
 映画「おくりびと」は作品全体で何らかの首尾一貫した死生観を提示しようとしたものではない。だが、死生観を探究する現代人に歓迎された作品だった。この作品に感動した多くの人々は、伝統的な宗教や儀礼や共同体(家族・親族・組織など)が身近ではなくなっている人々だ。彼らはこうした作品を通して、「限りなき命」や「不死なるもの」を求め、そのありかを探りあてようとしており、その試みは今後も続いていくだろう。

しまぞの・すすむ 1948年、東京都生まれ。東京大文学部・同大学院人文社会系研究科教授。(財)国際宗教研究所長。専攻は近代日本宗教史、比較宗教運動論。著書に『現代宗教の可能性』(岩波書店)『スピリチュアリティの興隆』(同)『現代救済宗教論』(青弓社)『死生学』(編著、東京大学出版会)など。